「筝曲七段」と「琉球筝曲七段菅撹」の違いについて

ロレンソ了斎・狩野内膳筆・神戸市立博物館所蔵
諸田賢順夫妻の墓碑・多久市北多久町大字小侍
諸田賢順位牌・多久市・諸田稔氏所蔵


「筝曲7段」と「琉球筝曲7段菅撹」の違いについて


第1章
1 「筝曲7段」と「琉球筝曲7段菅撹」の違い
 筝曲関係の本を読んで琉球にも同じ箏曲七段が「七段菅撹」として1700年(元禄13)に伝わっていることを知った。宮崎まゆみ著『箏と筝曲を知る辞典』東京堂出版、2009年、200~202頁には『琉球筝曲は古い形を保っている筝曲であり《六段菅撹》は調弦音のことを除けば本土の《六段》とほとんど同じであるのに対して《七段菅撹》は《七段》と細部で異なる所が多い。伝承していくうちに変化したか、あるいは当道筝曲の《七段》より古態をとどめているのかもしれない』とある。直ぐに沖縄より『琉球筝曲工工四 上巻と中巻』(琉球筝曲保存会発行、昭和53年版)を取り寄せ、許可を頂き、筝曲譜より五線譜化した。
 
 宮崎まゆみ著『箏と筝曲を知る辞典』東京堂出版、2009年、200~202頁には『《七段菅撹》は《七段》と細部で異なる所が多い。伝承していくうちに変化したか、あるいは当道筝曲の《七段》より古態をとどめているのかもしれない』とある。
 
 宮崎まゆみ氏は著書の中で『《七段菅撹》は《七段》と細部で異なる所が多い。伝承していくうちに変化したか、あるいは当道筝曲の《七段》より古態をとどめているのかもしれない』と述べているが、基本的に箏曲7段と琉球筝曲7段菅撹の基の旋律は同じと考えているので、細部で異なる所が多い。伝承していくうちに変化したか、あるいは当道箏曲の《七段》より《琉球箏曲七段菅撹》は古態ととどめているのかもしれない』と考えている。
 これにより、宮崎氏は両曲の旋律までは詳しく調べて比較していないことが分かる。

箏曲関係の本で「箏曲7段」と「琉球筝曲7段菅撹」の五線譜化された楽譜を探したが、比較するための五線譜化された楽譜はなかった。邦楽社と琉球箏曲保存会の許可を得て、比較するため2つの筝曲「七段の楽譜」を五線譜化して、並列併記して両曲の違いが判るようにした。
 
2 「筝曲7段」と「琉球筝曲7段菅撹」の小節数の違いについて
下記の表が「筝曲7段」と「琉球筝曲7段菅撹」の小節数の違いである。
 
「筝曲7段」と「琉球筝曲7段菅撹」の小節数の違い 
    『七段』   琉球箏曲『七段管撹』
初段   27小節    28小節
2段   26小節    26小節
3段   26小節    25小節
4段   26小節    20小節
5段   26小節    23小節
6段   26小節    19小節
7段   26小節    31小節*
 
「琉球筝曲7段菅撹」の七段31小節については(24小節2拍休み、25小節3拍休み、28小節4拍休みを省いて続けて演奏する)
 
この表の小節数の違いから見ても、2つの曲が同じ旋律から変化したとは考えにくいし、別々の旋律(曲)から派生した楽譜と考えた方が理解しやすいし納得できる。
 
3 「筝曲7段」と「琉球筝曲7段菅撹」の違いについて
*「筝曲7段」と「琉球筝曲7段菅撹」の並列楽譜参照
 
*「筝曲7段」と「琉球筝曲7段菅撹」の並列楽譜を見ると2つの曲の旋律の違いは歴然としているし、旋律にはどこも同じものが存在していないことが明白である。
1、旋律が全く違うこと
2、小節数が同様に全く違うこと
3、「箏曲7段」には同じ旋律が存在していたことを伺わせる小節数が揃っていること
 
4 本土に伝わっている筝曲の内訳
箏曲5段「聖母マリアの祝祭日、ミサ通常文第1・聖母マリアの祝祭日・Sanctus 」
箏曲6段「信仰宣言・Credo」
琉球箏曲7段菅撹「めでたし天の元后・Ave Regina caelórum」
8段「ミサ通常文第1・聖母マリアの祝祭日より・Agnus Dei」
9段「ミサ通常文第1・聖母マリアの祝祭日より・Gloria」
12段「主の祈り・Pater Noster」と判明した。
 
ミサにおいて歌われる各歌は繰り返しなしで歌われるのが普通である。通常ミサにおいては、「キリエ・エレイソン」「グローリア」「クレド」「サンクゥトス」「アニュス・デイ」は1回だけ歌われる。従って1550(天文19)年当時もミサにおいてすべての聖歌は通常は1回だけ歌われていたはずである。
 
本土に伝わっている筝曲の中にひとつだけ、琉球箏曲7段「聖母マリアの祝祭日、通常文第1ミサ「Kyrie eléison・主よ、憐れみたまえ」が混じっている。どのような過程で本土筝曲に中に琉球筝曲が混じってしまったのか謎は残ったままである。またその逆に琉球筝曲の七段管撹に『ミサ通常文第1・聖母マリアの祝祭日より・Kyrie eléison 』が収まっている。この2曲の入れ替わりがいつ起こったのか。説明のつかない不可解な入れ替わりである。
 
第2章 琉球箏曲について
1 琉球箏曲の特徴
琉球箏曲とグレゴリオ聖歌の比較研究,解析の結果、琉球箏曲の全てが、本土では失われたと思われていた「聖母マリア讃歌・聖母マリアのための交唱と讃歌」だったことが音楽の視点から解析され証明された。有名な「聖母マリア讃歌」は6曲あるが、そのうちの5曲の伴奏譜が琉球箏曲の中に存在していた。 

始めは琉球箏曲の七段菅撹が「めでたし天の元后・Ave Regina caelórum 」ではないかと思い分析を進めたが、七段菅撹の小節数が「めでたし天の元后・Ave Regina caelórum 」のラテン語分節からも旋律の小節数からも和声からも合うことはなく違う曲だと解った。
 
その時点では「七段菅撹」の原曲は不明のまま保留し、まずは「めでたし天の元后・Ave Regina caelórum 」に合う本土の段物の解析を始めた。箏曲「5段」はラテン語分節からも旋律の小節数からも和声からも合うことはなく違う曲だと解った。箏曲「7段」に合わせてみると、ラテン語分節も旋律の小節数も和声も見事に合った。これで「聖母マリアのための交唱と讃歌」の6曲全てが揃った。
 
「聖母マリアのための交唱と讃歌」の6曲全てが「段物」として箏曲の中にあるということは「聖母のためのミサ曲」もあるはずである。しかし「聖母のためのミサ曲」も3種類「聖母マリア被昇天祭のミサ」「聖母マリアの汚れなき心のミサ」「ミサ通常文第一・聖母マリアのミサ」があり、残りの「段物」にどのミサ曲が該当するのか1曲ずつ比較して調べて答えを探す作業が続いた。
 
その結果「ミサ通常文第一・聖母マリアのためのミサ・In festis B. M. V.」が該当することが解った。「通常文第一・聖母マリアのためのミサ」曲には「キリエ・Kyrie eléison 」「グローリア・Gloria」「サンクトゥス・Sanctus」「アニュス・デイ・Agnus Dei」「クレド・Credo」「主の祈り・Pater Noster」がある。
 
ミサ曲の順番に従い最初の「Kyrie」より調べ始めたが、箏曲「5段」「7段」「8段」「9段」「10段」のどれにも合わない。もしかして保留にしていた琉球箏曲の「7段菅撹」ではないか。「7段菅撹」の各段の小節数の大きな違いに悩まされながらも「7段菅撹」が「通常文第一・聖母マリアのためのミサ曲」の「Kyrie eléison 」であることが解明できた。
 
「Gloria」は「9段」「Sanctus」は「5段」「Agnus Dei」には「8段」がそれぞれ該当した。
 
2 琉球箏曲の特異性
琉球箏曲とグレゴリオ聖歌の比較研究,解析の結果、琉球箏曲の全てが、本土では失われたと思われていた「聖母マリア讃歌・聖母マリアのための交唱と讃歌」だったことが音楽の視点から解析され証明された。
 
有名な「聖母マリア讃歌」は6曲あるが、そのうちの5曲の伴奏譜が琉球箏曲の中に存在していた。始めは、琉球箏曲の七段菅撹が「めでたし天の元后・Ave Regina caelórum」ではないかと思い分析を進めたが、七段菅撹の小節数が「めでたし天の元后・Ave Regina caelórum 」のラテン語分節からも旋律の小節数からも和声からも合うことはなく違う曲だと解った。その時点では「七段菅撹」の原曲は不明のまま保留し、まずは「めでたし天の元后・Ave Regina caelórum 」に合う本土の段物の解析を始めた。箏曲「5段」はラテン語分節からも旋律の小節数からも和声からも合うことはなく違う曲だと解った。箏曲「7段」に合わせてみると、ラテン語分節も旋律の小節数も和声も見事に合った。これで「聖母マリアのための交唱と讃歌」の6曲全てが揃った。
 
「聖母マリアのための讃歌」の5曲全てが琉球箏曲の「段物」として箏曲の中にあるということは「聖母のためのミサ曲」もあるはずである。

しかし「聖母のためのミサ曲」も3種類「聖母マリア被昇天祭のミサ」「聖母マリアの汚れなき心のミサ」「ミサ通常文第一・聖母マリアのミサ」があり、残りの「段物」にどのミサ曲が該当するのか1曲ずつ比較して調べて答えを探す作業が続いた。
 
その結果「ミサ通常文第一・聖母マリアのためのミサ・In festis B. M. V.」が該当することが解った。「通常文第一・聖母マリアのためのミサ」曲には「Kyrie eléison 」「Gloria」「Sanctus」「Agnus Dei」「Credo」「主の祈り・Pater Noster」がある。
 
ミサ曲の順番に従い最初の「Kyrie eléison 」より調べ始めたが「5段」「7段」「8段」「9段」「10段」のどれにも合わない。もしかして保留にしていた琉球箏曲の「7段菅撹」ではないか?「7段菅撹」の各段の小節数の大きな違いに悩まされながらも「7段菅撹」が「通常文第一・聖母マリアのためのミサ曲」の「Kyrie eléison 」であることが解った。
「Gloria」は「9段」、「Sanctus」は「5段」「Agnus Dei」には「8段」がそれぞれ該当した。
 
3 抜け落ちていた七段『めでたし天の元后・Ave Regina caelórum』
琉球箏曲の原曲が「聖母マリアのための讃歌」の5曲だったことは、解析の結果判明したが、6曲あるはずの「聖母マリアのための讃歌」から「めでたし天の元后・Ave Regina caelórum」が抜け落ちている。
琉球箏曲の中に無いならば、本土にある箏曲の段物の中にあるはずで、すでに「六段」が「クレド・信仰宣言」と判明しているから、残りの5段、7段、8段、9段、10段(または12段)のいずれかに該当するはずである。
 
本来なら琉球筝曲の中に入っているはずの『めでたし天の元后・Ave Regina caelórum』が本土の筝曲の7段に収まっていた。
 
どのような過程を経て琉球筝曲にあるべきはずの『めでたし天の元后・Ave Regina caelórum』が本土筝曲の7段に収まったのか。
またその逆に琉球筝曲の七段管撹に『ミサ通常文第1・聖母マリアの祝祭日より・Kyrie eléison 』が収まっている。
 
この2曲の入れ替わりがいつ起こったのか。説明のつかない不可解な入れ替わりである。本土に伝わっている筝曲の中にひとつだけ、琉球箏曲7段「聖母マリアの祝祭日、通常文第1ミサ「Kyrie eléison・主よ、憐れみたまえ」が混じっている。どのような過程で本土筝曲に中に琉球筝曲が混じってしまったのか。謎は残ったままである。
 
第3章 箏曲『七段』
1 筝曲『七段』の特徴
原曲は『めでたし天の元后・Ave Regina caelórum』
聖母マリアが天の元后になられたことを祝い、救いの取次ぎを願う歌。本来、聖母被昇天の祭日の九時課の讃歌として用いられた。作者、作曲時期、共に不明だが一二世紀から唱えられている。
 
【歌詞】
めでたし、天の元后、天の女王。世に光を生み出した命の泉、天の門。喜べ乙女、輝く乙女、総てに優る尊い乙女、我らのためにキリストに祈りたまえ。
 
琉球箏曲にはない『めでたし天の元后・Ave Regina caelórum』
(二月二日から聖週間(復活祭のための週)の水曜日までの期間)は、本土筝曲七段にある。本来ならば、琉球箏曲の七段菅撹が『めでたし天の元后・Ave Regina caelórum』であるはずだが、代わりに七段管撹には『ミサ通常文第一・聖母マリアの祝祭日よりKyrie eléison 』が伝えられて入っている。
 
聖母への結びの交唱(Antiphonae finales)は終課(現:寝る前の祈り)の結びに歌われる聖母讃歌。終課の歌は、詩編三編(共通の交唱付)、讃歌、「私たちは光の消える前にお願いします・Te lucis ante terminum 」、「シメオンの讃歌」(交唱付),終課終了後に聖母への交唱を一曲歌う。下記の四曲の聖母讃歌は、一五六八年、ローマ聖務日課書で歌われる時期が定められた。
 
*一五六八年、ローマ聖務日課書で歌われる時期が定められた4曲
1『麗し救い主の御母・アルマ・レッデムプトリス・Alma Redemptoris Mater』

待降節から二月二日の聖母マリア潔めの祝日までの間に歌われる。
2『めでたし天の元后・アヴェ・レジナ・Ave Regina caelórum 』
二月二日から聖週間(復活祭のための週)の水曜日までの期間

3『天の元后・レジナ・チェエリ・Regina caeli』
聖土曜日(復活祭の前の土曜日)から三位一体主日までの期間

4『めでたし元后・サルヴェ・レジナ・Salve Regina Mater misericordiae』
三位一体主日後から待降節第一主日の前の日までの期間
 
これら四曲の『聖母マリア讃歌』はベネディクト会が定めた聖務日課の最後の祈り(就寝前の祈り)、終課の最後で歌われる聖母マリアを称える歌、ラテン語の表題は『聖母マリアへの結びの交唱』である。
 
この聖務日課は朝課、一時課(午前六時)三時課(午前九時)六時課(正午)九時課(午後三時)晩課(午後六時)終課(午後九時)、暁課から構成されていて、詩編の唱和が中心となっている。終課の最後で歌われる聖母マリアのための交唱歌は四曲あり、教会暦の季節ごとに異なった美しい交唱が歌われる。
 
使用した楽譜の出典は『グラドゥアーレ・トリプレクス・Graduale Triplex 』(一九七九年ソレム修道院出版) 二七八頁、マリア交唱歌(Antiphonae B. Mariae Virginis )単純調(tonus simplex )
原調は第六旋法ヒポリディア旋法による。はじめの音はF音。
 
*『Ave Regina caelórum』の原調は教会第六旋法のヒポリディア旋律で、始まりの音がF音であるために、伴奏譜としての箏曲『第七段』の本調子の調性G音とは、1音のズレがあるため、グレゴリオ聖歌の旋律を1音上げてG音から始まるように書き直す必要がある。書き直した曲の調性はト長調に近くなり、F音に#が付く。
*カトリック聖歌伴奏譜には掲載が無い。
 
2 筝曲「7段」と『めでたし天の元后・Ave Regina caelórum』との関係
ロレンソ了斎は『めでたし天の元后・Ave Regina caelórum』の旋律に伴奏を付け、それが段物の『箏曲七段』に相当する。
 
『七段』と『めでたし天の元后・Ave Regina caelórum』との構成関係
曲の構成表 
 
『七段』『めでたし天の元后・アヴェ・レジナ・Ave Regina caelorum』
初段   27小節   9小節×3回繰り返し
2段     26小節   9小節+9小節+8小節・3回繰り返し
3段   26小節   9小節+9小節+8小節・3回繰り返し
4段   26小節   9小節+9小節+8小節・3回繰り返し
5段   26小節   9小節+9小節+8小節・3回繰り返し
6段   26小節   9小節+9小節+8小節・3回繰り返し
7段    26小節   9小節+9小節+8小節・3回繰り返し
                                         初段は『めでたし天の元后・Ave Regina caelórum』の旋律一回に対して
九小節が割り振られ、九小節を三回繰り返すことで、初段の二七小節と和声的にも合い、七段が『めでたし天の元后・Ave Regina caelórum』の伴奏譜だったことが証明できる。しかし、二段から七段までは一小節少ない二六小節で曲が構成されていて、初段と同様の割り振りができない。ラテン語と和声の関係から『めでたし天の元后・Ave Regina caelórum』の旋律一回に対して、九小節+九小節+八小節・三回繰り返しで割り振ると和声的にも収まることができた。
 
第3章 琉球箏曲『七段管撹』
1 琉球箏曲『七段管撹』の特徴     
原曲は『ミサ通常文第一・聖母マリアの祝祭日より・Kyrie』
『喜びを持って・Cum jubilo』
 
七段管撹は各段のばらつきが多く、旋律に対しても、ラテン語分節に対しても一定の法則を持っていない。しかし小節数からある一定の区分け方が見えてくる。
 
*小節数の多い少ないにかかわらず各段に対してキリエの旋律は1度だけ歌う。
少ない小節:六段19小節、四段20小節、
中庸の形 :五段23小節
ほぼ同じ形:三段25小節、二段26小節、
数の多い形:一段28小節、*七段31小節
*特に七段31小節については
(24小節2拍休み、25小節3拍休み、28小節4拍休みを省いて続けて演奏する)
 
なぜこのように多くの休み(休符)が挿入されたのかが解らないが、楽譜の構成から考えて、諸田賢順が『キリエ・7段』の伴奏譜を編集した時には、このような多くの休み(休符)はなかったと考えている。
このことは『キリエ』の旋律と7段の楽譜を再生する過程で、多くの休み(休符)を省くことで旋律に対して段物の音が綺麗に入ることで楽譜が成立することで証明される。いつの時点でこの多くの休み(休符)が挿入されたかが判らないが、おそらく1700年(元禄13)琉球に伝わった時点から徐々に(休符)が増えたのではないだろうか?
 
カトリック教会のミサ典礼における、ミサ通常文第1・第9番目のミサ『聖母マリアの祝祭日』のための第1曲・『Kyrie eléison ・主よ、憐れみたまえ』『喜びを持って・Cum jubilo』は12世紀頃から歌われている。
 
『Missa・ミサ』と言う言葉の語源は、ラテン語の動詞「Mittere 送る」に由来している。ミサ聖祭の終わりに司祭が継げる言葉「Ite,missa est イテ・ミッサ・エスト・行きなさい、あなた方は遣わされています」に由来する。
 
ミサはカトリック教会の典礼で聖務日課(現:教会の祈り)と共に中心的な礼拝で、イエス・キリストが最後の晩餐で定められたキリストの御血と御肉の象徴であるぶどう酒とパンとによって、キリストの受難と復活を記念する聖体祭儀である。
ミサには、日曜のミサである『主日のミサ』、典礼暦の『祝祭日のためのミサ』、『聖人のミサ』、『記念日のミサ』、『冠婚葬祭のミサ』等がある。
 
ミサでは様々な祈りや歌が捧げられるが、ミサ式文は、原則として一年を通して変わらない言葉の部分の『通常文・Ordinarium missae (通称ordinarium オルディナリウム)』と、日によって言葉が変わる部分の『固有文・Proprium missae (通称oroprium プロプリウム)』によって構成されている。固有文は主日や祝祭日の特徴を表し、祝日や典礼の季節に応じて変わって行く。通常文、固有文は、聖職者によって唱えられる。もしくは歌われるものと聖歌隊によって歌われるものとに区別されている。そのうち原則として、聖歌隊によって歌われるものに限り、通常文を挙げると以下のようになっている。
 
・通常文(唱)キリエ、グローリア、クレド、サンクトゥス、アニュス・デイ、14世紀以降、通常文(唱)のキリエ、グローリア、クレド、サンクトゥス、アニュス・デイの5つを一組としてミサで歌われるようになった。多くの作曲家により多声ミサ曲として作曲されるようになり、今日に至っている。
 
『キリエ・Kyrie』現:あわれみの讃歌
『Kyrie eléison』 ギリシャ語で『主よ、憐れみたまえ』の意味。『Kyrie』はギリシャ語の(Kyrios・主)の呼格をラテン語読みしたもので『主よ』を意味する。
東方教会の伝統を引き継ぎ、ギリシャ語の典礼に残っている、御父、御子、聖霊に憐れみを求める祈り。初代キリスト教会時代からの伝統に従い『キリエ・エレイソン』『クリステ・エレイソン』『キリエ・エレイソン』の各フレーズを各3回、計9回唱えていた。旋律は12世紀頃から歌われているミサ曲。
 
使用した楽譜の出典は『グラドゥアーレ・トリプレクス・Graduale Triplex 』(1979年ソレム修道院出版) 40頁、ミサ通常文第1・第9番目のミサ『聖母マリアの祝祭日』
(IX In festis B. Mariae Virginis 1)(Cum jubilo・喜びを持って)単純調(tonus simplex )
原調は第1旋法ドリア旋法による。はじめの音はD音。
*カトリック聖歌伴奏譜 256~257頁
 
伴奏譜としての琉球箏曲『瀧落管撹第七段』の本調子の調性G音とは、1音のズレがあるため、グレゴリオ聖歌の旋律を1音上げてE音から始まるように書き直す必要がある。
書き直した曲の調性はホ短調(e♭minor)に近くなり、F音に#が付く。
原調の第1旋法のドリア旋法による『Kyrie eléison』は、荘厳で重厚な調性を持ち,ニ短調(d minor )に近い調性を持っている。
 
ロレンソ了斎は『ミサ通常文第一・聖母マリアの祝祭日より・Kyrie eléison 』の旋律に伴奏を付け、それが段物の『琉球箏曲七段・七段管撹』に相当する。

*原曲『キリエ・エレイソン』の初めの音はD音レから始まっているので、そのままの調性では1音のズレがあるため、グレゴリオ聖歌の旋律を1音上げてE音から始まるように書き直して筝曲七段菅撹に合わせた。調性としては#がF音にひとつ付くト長調であるが、E音から始まっているのでホ短調(e♭ minor)に近い音階の調性である。
 
『ミサ通常文第1・聖母マリアの祝祭日より・Kyrie eléison』『喜びを持って・Cum jubilo』の旋律は12世紀頃から歌われているあまりにも有名な旋律であり、多くの作曲家たちが、この旋律を用いてミサ曲を書いている。同じ時代、特に有名なミサ曲は、ジローラモ・フレスコバルディ(Girolamo Frescobaldi 1583~1643年)が1635年にローマで出版された『音楽の花束』の中の『聖母のミサ曲』である。オルガン・ミサ曲の冒頭『キリエ』には『聖母マリアの祝祭日用第1の『Kyrie eléison』『喜びを持って・Cum jubilo』が使用されている。

2 「筝曲7段」と「琉球筝曲7段菅撹」の入れ替わりについて
ロレンソ了斎が1550年代に琵琶で、グレゴリオ聖歌の伴奏を作った時、おそらく下記のような配列で伴奏を作っていたと考えられる。
 
・琉球箏曲
1、 瀧落管撹・一段  『アヴェ・マリア・Ave Maria』
2、 地管撹・二段   『めでたし元后・Salve Regina』
3、江戸管撹・三段  『麗し救い主の御母・Alma Redemptoris』
4、拍子管撹・四段  『天の元后・Regina caeli』
5、佐武也管撹・五段 『めでたし憐れみ深い御母・Salve Mater 』
6、六段管撹  『信仰宣言・クレド・Credo』原曲と推測される・陽旋法
7、七段管撹 『ミサ通常文第1・聖母マリアの祝祭日より・Kyrie eléison 』
 
・本土箏曲
1、五段     『ミサ通常文第1・聖母マリアの祝祭日より・Sanctus 』
2、六段      『信仰宣言・Credo』原曲が装飾陰旋法化されている  
3、七段    『めでたし天の元后・Ave Regina caelórum』
4、八段     『ミサ通常文第1・聖母マリアの祝祭日より・Agnus Dei』
5、九段     『ミサ通常文第1・聖母マリアの祝祭日より・Gloria』
6、みだれ・山田流一二段  『主の祈り・Pater Noster』
 
*ロレンソ了斎が作った『聖母マリアの6つの賛歌』と『ミサ通常文第1・聖母マリアの祝祭日』の2種類に分類して一覧表にしてみる。『信仰宣言・Credo』は箏曲にも琉球箏曲にも重複している。この重複は1700年(元禄13)に琉球に渡った時に起こった分裂として考えられる。
 
『聖母マリアの6つの賛歌』
1、瀧落管撹・一段  『アヴェ・マリア・Ave Maria』
2、地管撹・二段   『めでたし元后・Salve Regina』
3、江戸管撹・三段  『麗し救い主の御母・Alma Redemptoris』
4、拍子管撹・四段  『天の元后・Regina caeli』
5、佐武也管撹・五段 『めでたし憐れみ深い御母・Salve Mater 』
6、箏曲七段(本土) 『めでたし天の元后・Ave Regina caelórum 』
 
『ミサ通常文第1・聖母マリアの祝祭日』
1、七段管撹(琉球) 『ミサ通常文第1・聖母マリアの祝祭日より・Kyrie eléison 』
2、九段     『ミサ通常文第1・聖母マリアの祝祭日より・Gloria』
3、六段      『信仰宣言・Credo』(原曲) 
4、五段     『ミサ通常文第1・聖母マリアの祝祭日より・Sanctus 』
5、八段     『ミサ通常文第1・聖母マリアの祝祭日より・Agnus Dei』
6、みだれ・山田流一二段  『主の祈り・Pater Noster』
 
上記の表から2種類の《七段》が存在していたことがわかる。
1、『聖母マリアの6つの賛歌』の筝曲七段『めでたし天の元后・Ave Regina caelórum 』
2、琉球七段管撹の『ミサ通常文第1・聖母マリアの祝祭日より・Kyrie eléison』である。
 
3 ロレンソ了斎が作った2つの伴奏曲
つまりロレンソ了斎がグレゴリオ聖歌の伴奏を作った当時1550年代には『聖母マリアの賛歌』6曲、『ミサ通常文第1・聖母マリアの祝祭日より』6曲を作ったと考える。

1550年(天文19)から1700年(元禄13)までの150年の時代の流れ、諸田賢順から玄恕、八橋検校、吉部座頭、服部清左衛門政真、武右衛門政実父子へ継承され、1700年(元禄13)稲嶺盛淳(いなみねせいじゅん・1679~1715)により琉球へ伝承された。
1700年(元禄13)までの150年間「7段」は2種類存在して伝承されていた。
 
1700年(元禄13)を境に琉球へ伝承された七段管撹の『ミサ通常文第1・聖母マリアの祝祭日より・Kyrie eléison』と、本土において伝承された『めでたし天の元后・Ave Regina caelórum』の分離があった。
 
1700年(元禄13)における分離によって、琉球筝曲の七段管撹の『ミサ通常文第1・聖母マリアの祝祭日より・Kyrie eléison』は、琉球王朝に秘曲として伝承されて行き『めでたし天の元后・Ave Regina caelórum 』は本土において筝曲7段として伝承された。
 
本土においても、琉球においても、なぜ2曲とも伝承されなかったのか。どうして1曲ずつ分離して伝承されたのか。現在においては解明が不可能な分離伝承である。
 
4 伝承過程について
諸田賢順から玄恕、玄恕から八橋検校、八橋検校から吉部座頭,吉部座頭から薩摩藩士・服部清左衛門政真、武右衛門政実父子へ継承され、1700年(元禄13)稲嶺盛淳が薩摩に派遣され、薩摩藩士・服部清左衛門政真、武右衛門政実父子から八橋流筝曲の演奏法を学んで帰国した時まで「六段」を含めて「すべての段物」は、琉球箏曲に伝えられている陽の調性ではなかったかと推測される。この150年の間に伝承の過程での変化はなかったのかとの疑問は確かに存在する。
 
一方、本土では八橋検校(1614~1685)の後、1700年(元禄13)代の元禄時代、上方(大阪)で流行した三味線の陰の調性の影響を受けて「段物」にも手が加えられ現在の「段物」の調性・陰調性に変えられていったのではないかと思考している。
 
江戸中期には北島検校(?~1690年)、生田検校(1656~1715年)、倉橋検校1724年(享保9)没、三橋検校1760年(宝暦10)没、安村検校1779年(安永8)没、浦崎検校(?~1800年前半)、山田検校(1757~1817年),八重崎検校(1776~1848年)、光崎検校(?~1853年?)等により、幕末まで徐々に段物に変化や装飾が加えられていったと推測される。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?