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同じ家族でもホームと呼べる場所は変わる(2023の旅の振り返り・深圳)

12月に香港・マカオ・深圳を訪れた。「マカオマラソン出る」という大義名分を半ば無理矢理でっち上げ、もう一度深圳にいくきっかけを作った。2023年最後の旅を振り返り、自分のホームについて少し思いを巡らせてみる。

人生が大きく変わった場所


深圳には約5年間住んでいた。バンコクの日本人学校の任期が満了に近づき、いよいよ帰国も迫る3月に、深圳の日本人学校で働くことが決まった。着任当初は独身だったけど、1年目に今の妻と結婚し、2年目から一緒に暮らし始めた。3年目には第一子を授かり、コロナ禍という前代未聞のトラブルに苛まれつつも、無事大阪で出産した。

出産後、妻と娘は日本に残らざるを得ず、4年目は再び筆者1人の生活が始まった。中国が春節を迎える2月に、ようやく妻と娘に中国で再会する。

5年目、妻と娘の3人の生活が始まった。中国政府のゼロコロナ政策に翻弄されつつも、比較的正常な日常生活を送ることができ、中国国内であれば旅行にも行けた。しかし、2022年に入ると、コロナ封じ込めの雲行きが怪しくなり、学校も完全オンライン授業に切り替わった。筆者は2022年の3月に退職して帰国することが決まっていたので、最後に担任した子たちとは画面越しの別れとなった。

さらに、引っ越しの準備が佳境を迎える1週間前から深圳市がロックダウンされてしまう。日本へ帰国する当日もまだロックダウンは解除されていなかった。職場の人たちに助けてもらい、なんとか命からがらマンションを脱出し空港へと向かった。暗闇の中、車が走っていない道路を進んでいくと、慣れ親しんだ街並みが見える。最後の深圳の記憶は暗く薄暗い。

日本からも深圳へ行けるように

時は移り変わり、中国のゼロコロナ政策は終わりを迎えた。2023年の時点では、15日間のビザ無し渡航はまだ解禁されていないが、深圳市内に限れば約5日間のビザが取得できるようになり、香港やマカオへの往来もコロナ前と同様に回復した。

往来が可能になったとはいえ、きっかけがないとなかなか重い腰は動かない。そこで、マカオマラソンに出ようと思い立ったのである。

2018年にハーフマラソンに出場したのだが、直前の練習で足首を痛めてしまった。結局本番では15キロ地点でリタイアすることになってしまい、「いつかリベンジしたい」と考えていた。マラソンに出て、もう一度深圳も行きたい。そう思い立ってチケットを取ったのは9月のことだった。

マラソンの申し込みとチケットの予約をしたものの、2ヶ月以上先のことである。娘が体調を崩すことはザラだし、直前で大きな予定が入るかもしれない。

現実感のないまま、気がついたら出発1週間前になっていた。直前で慌ただしく準備して、無事香港行きの便に搭乗した。

香港の様子やマラソンのことも詳しく書きたいが、今回の記事のテーマとは少し離れるので割愛する。ちなみに、無事マラソンは完走できた。

マカオからフェリーで深圳へ

12月3日、無事にハーフマラソンを完走し、その日のうちにマカオから深圳行きのフェリーに飛び乗った。

今回の旅の一番の懸念はビザである。深圳へ外国人が入境できるイミグレは多いが、特区旅遊ビザを発給している場所は限られいる。また、1日あたりの発給数に上限があるとのことだった。しかも、その数は定かではない。フェリーターミナルの蛇口口岸が比較的空いているとの情報を頼りに、マカオからフェリーで深圳へ入境することにした。

蛇口フェリーターミナル。深圳はもう目と鼻の先だが、ビザが取れなかったらマカオへ戻ることになる

ビザの申請は到着してから申請する。同じフェリーの乗客で申請するのは筆者の家族だけだった。申請用紙に必要事項を記入し、設置されている機械で顔写真を撮る。4人家族なので4枚の用紙に記入し、娘は抱っこして写真を撮る。ビザの料金は1人275元。こればかりは子供料金も何もなく、0歳の娘も一人分にカウントされるため、4人で1100元の出費となった。あらかじめわかっていたとはいえ、痛い出費である。

手続きをしてくれた検査官に妻が聞いたところによると、フェリーターミナルがある蛇口口岸のビザ発給の上限はないとのこと。「え、その情報早く知りたかった」と思いつつも、深圳に無事入境できることがわかり一安心した。

家族4人分のビザ発給に約1時間かかり、通常の入国審査に30分ほど並んだ。フェリーが到着してから深圳に入ったのはおよそ90分後だった。

変わり続ける街・深圳


タクシーに乗ってホテルへ向かうと、フェリーターミナル周辺の変わりように驚いた。周辺が開発途中だったのは目にしてきたが、当時建設中だったビルや道が完成し、街ができていたのである。

フェリーターミナルを出発してすぐ。以前ここには工事中で何もなかった

以前住んでいたマンションの近くのホテルに滞在したので、かつての生活圏の変化も感じやすかった。街がガラリと変わったわけではないのだけど、新しいインターナショナルスクールが開講していたり、luckin coffeeの店舗が至る所に増えていたりするなど、多くの発見があった。

日本では、中国の不動産業界の低迷やディベロッパーの破産のニュースが取り上げられていたけれど、深圳では新しいマンションや商業施設がどんどん増え、絶賛建設中のビルがいくつもあった。中国全体で見れば不景気なのは間違いないのだろうが、日本と比較してもまだまだ勢いを感じる。

建設中の高層ビルを見上げる

街も変わったが、家族の状況も変化した。以前は3人で過ごしていたが、今回は4人で深圳を訪れた。記憶には残らないだろうけど、0歳の次女にも深圳の空気を吸わせることができた。

上の娘は一丁前に走り回れるようになったけど、電バイが多すぎて、必ず手を繋がないと道を歩けない。香港・マカオとの一番の違いは歩道を走る電バイの数だと思う。

道が広ければ停めるスペースも確保できるのだが

以前住んでいた2年前と比べると、多くの変化に気づくものの、初めて訪れた国で感じるような期待感やワクワク感はほとんどない。勝手がわかっている「ホーム」の感覚のほうがしっくりくる。

筆者にとっていくつかの街は「ホーム」と言える。地元の奄美大島はもちろんそうだし、一番長く住んだ八王子、初めて海外に住んだバンコク、家族と一緒に過ごした深圳だ。

だけど、家族にとっての「ホーム」が筆者と一致するとは必ずしも限らない。妻の地元は大阪だし、時間が経てば経つほど、娘の深圳の記憶は薄れていくに違いない。いずれ娘にとっては、大阪が最初の「ホーム」になるはずだ。

筆者が大学生の頃、ホームと呼べる場所は奄美大島しかなかった。だけど新たな場所へ移動することで、以前長く住んでいた場所がホームになる。いつでも戻れる場所・安心できる街が日本だけでなく世界にもいくつかあることは、これから生きていく中で心の拠り所になるかもしれない。

南国らしい街路樹と工事中の看板が深圳らしい
新しいビルは今日も増え続けていく


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