重田信

奄美大島出身。大阪府在住のライター。 タイと中国の日本人学校に教員として通算8年間勤務…

重田信

奄美大島出身。大阪府在住のライター。 タイと中国の日本人学校に教員として通算8年間勤務。 帰国後、フリーのライターへ。 補習校講師として、オンラインで国語を教えています。 noteでは旅行や教育、読書に関することを気ままに書いています。

マガジン

最近の記事

  • 固定された記事

ライター・重田信のプロフィール

(2023.12.14更新) 初めまして。ライターの重田信と申します。 お仕事のご依頼はm.shigeta3687@gmail.comまでお願いいたします。 ポートフォリオのダイジェスト版はこちらをご覧ください。 https://drive.google.com/file/d/1FHIO1_KFAdahG7jnHYBjGwsQYHmgrRZj/view?usp=sharing 主な経歴重田信(しげたまこと) 1987年奄美大島生まれ 大阪府豊中市在住 2022年6月から

    • 「当たり前」が新鮮な日本の学校で働く

      2024年1月、久しぶりに学校現場で働くことになりました。 私が最後に勤めていた深圳日本人学校では、2022年1月中旬から、新型コロナウィルスの市中感染によって対面授業が停止となり、オンライン授業への意向を余儀なくされました。 結局、終了式まで対面授業に戻ることはありませんでした。子どもたちと直接会ってお別れすることもなく、帰国することになりました。対面で授業をしていたのが2022年1月の始めの頃までだったので、丸2年ぶりとなります。 現在は大阪府に居住していますが、関

      • 同じ家族でもホームと呼べる場所は変わる(2023の旅の振り返り・深圳)

        12月に香港・マカオ・深圳を訪れた。「マカオマラソン出る」という大義名分を半ば無理矢理でっち上げ、もう一度深圳にいくきっかけを作った。2023年最後の旅を振り返り、自分のホームについて少し思いを巡らせてみる。 人生が大きく変わった場所 深圳には約5年間住んでいた。バンコクの日本人学校の任期が満了に近づき、いよいよ帰国も迫る3月に、深圳の日本人学校で働くことが決まった。着任当初は独身だったけど、1年目に今の妻と結婚し、2年目から一緒に暮らし始めた。3年目には第一子を授かり、コ

        • 若さゆえに多感で非力だった頃の自分を思い出す(2023の旅の振り返り・八王子)

          「上阪徹のブックライター塾 10周年記念パーティー」が9月2日に東京で開催され、幹事として運営をお手伝いしながら参加した。友人と会う予定も入れていたので東京に2泊した。 筆者は東京・八王子に8年間住んでいた。八王子からバンコクへ引っ越した後も、大学には何度か行ったことがあるのだが、住んでいたアパートの近くは一度も訪れていないことに気づく。ふと、アパートの付近を歩いてみたくなり、パーティーの翌日に八王子へ向かった。 高校卒業後、八王子にある大学に進学し、キャンパスから徒歩1

        • 固定された記事

        ライター・重田信のプロフィール

        • 「当たり前」が新鮮な日本の学校で働く

        • 同じ家族でもホームと呼べる場所は変わる(2023の旅の振り返り・深圳)

        • 若さゆえに多感で非力だった頃の自分を思い出す(2023の旅の振り返り・八王子)

        マガジン

        • 書評
          3本
        • 中国
          5本

        記事

          いくつになってもワクワクする船旅と18年ぶりの夕陽(2023の旅の振り返り・奄美大島)

          5歳までは沖永良部島に住んでいた。しかし、3歳までの記憶はほとんどない。幼稚園でいう年長になるタイミングで奄美大島に引っ越した。以後、父の仕事の都合や進学などで、島内を転々とする。最初は瀬戸内町に7年間住み、龍郷町に3年間、名瀬市(現奄美市)に3年間、といった具合だ。奄美大島にはトータルで13年間過ごしたことになる。今回の帰省では、先に与論島を訪れて船で奄美大島に向かった。 フェリーから想起する非日常フェリーに乗ったのはほぼ10年ぶり。バンコクに行く直前に、日帰りで沖永良部

          いくつになってもワクワクする船旅と18年ぶりの夕陽(2023の旅の振り返り・奄美大島)

          懐かしいバンコクとまだ見ぬチェンマイを目指して(2023の旅の振り返り・タイ)

          帰国して2年目の2023年は、旅行や移動が増えた。国内は東京と地元・奄美大島、海外はタイと中国を訪れた。 振り返ってみると、自分が生きてきた36年間に住んでいた地域を1年間でほぼ回ったことになる。せっかくなので時系列で旅を振り返ってみたい。まずはタイから。 世界の捉え方が変わった国タイは、東南アジアの中で初めて訪れた国で、教員の仕事をスタートした地でもある。海外子女教育振興財団が募集する、日本人学校専任教員の2期募集へ応募したのがきっかけだ。募集要件の1つに、どこの国でも

          懐かしいバンコクとまだ見ぬチェンマイを目指して(2023の旅の振り返り・タイ)

          娘との空白の1年を振り返る

          妻と娘に再会したのは中国・深圳の自宅のドアの前だった。娘には生後間もない頃の記憶なんて残っていないだろうし、大きな男に抱かれたらきっと泣くに違いない。そんな不安を抱えながら、1歳になった娘を恐る恐る抱っこした。 娘は2020年2月18日に大阪で生まれた。私は、当時職場のあった中国へ戻るべく、3月1日の朝に妻の実家をあとにした。その数日後、中国政府は海外との往来を遮断し、事実上の鎖国となる。 「ゴールデンウィークの頃には赤ちゃんと遊びに行きたい」と出産前に言っていた妻の言葉

          娘との空白の1年を振り返る

          バンコクを再訪して感じた別れ際の記憶の美化

          バンコクをバンコクたらしめているのは、縦横無尽に走るバイクの群れなのかもしれない。けたたましいバイクの音を聴いて、バンコクに戻ってきたことを実感した。 6年前の記憶をたどる 筆者は、2014年から2017年まで、バンコク日本人学校で働いていた。もちろん、その間住んでいたのもバンコクである。 2017年の時点で先に退職することが決まっていたものの、次の職場は決まっていなかった。ようやく帰国する3月になって、中国の深圳日本人学校で勤務することが決まった。 ただでさえ年度末

          バンコクを再訪して感じた別れ際の記憶の美化

          ミラーレス一眼カメラを2ヶ月使ってみて

          前回の投稿では、自分のカメラ歴を簡単に振り返ってみました。 そこで今回は、ミラーレス一眼カメラを2ヶ月ほど使ってみた気づきを書いてみたいと思います。 なぜミラーレス一眼を買ったのか 6年以上前から購読しているとあるメルマガで、幾度となく話題になっていて、ミラーレス一眼カメラ。 興味はあったものの、決して安くはない買い物ですし、直ちに必要な状況ではなかったため、買う機会を逃し続けていました。 しかし、ライターとして活動を始める中で、いくつかの転機が訪れました。 写真入

          ミラーレス一眼カメラを2ヶ月使ってみて

          ミラーレス一眼を買って、写真に関するガジェットを振り返ってみた

          最近、ミラーレス一眼カメラを購入しました。いわゆるカメラを購入したのは8年ぶりです。以前はデジカメを持っていましたが、数年前から写真撮影はほぼスマホで済ませていました。 ミラーレス一眼を使い始めて感じたことを書こうと思ったのですが、その前に、自分のカメラ歴を振り返ってみることにしました。 【2008年】 初めて買ったカメラはSony DSC-T77 初めて買ったデジタルカメラ。まだまだガラケーがメインで、やっとiPhoneが発売された頃。すでにガラケーにもカメラ機能は搭

          ミラーレス一眼を買って、写真に関するガジェットを振り返ってみた

          2022〜2023の掲載記事

          こんにちは。ライターの重田信です。 プロフィールに掲載していた執筆記事をこちらにまとめることにしました。 お仕事のご依頼はm.shigeta3687@gmail.comまでお願いします。 インタビュー記事Spaceship Earth様 SDGsに関する取材記事を書いています。 ※掲載後も必要に応じてコンテンツ所有者に編集されている場合があります。 ビジネス・モノ・本に関する記事ライフハッカー・ジャパン様 自身のこれまでの経験をもとに、時短や気づき、QOLの向上につ

          2022〜2023の掲載記事

          ネットが自由に使える日本に帰国してSNSを再開してみたら

          筆者は2017年から5年間、中国の深圳に滞在していました。帰国と同時にライターとして活動を始めるのですが、その過程でSNSの必要性を痛感し、再開しました。 ちょうどTwitterを使い始めて1年くらいたちますが、最近モヤモヤすることがあり、noteの場を借りて自分の考えを整理してみることにしました。原因を考察したところ、中国と日本のネットの使い方の変化が大きいと感じます。 日本の「当たり前」が使えない中国のネット事情報道でご存知の方も多いかもしれませんが、中国ではインター

          ネットが自由に使える日本に帰国してSNSを再開してみたら

          喜界島の青と緑とオレンジ

          喜界島は、鹿児島県奄美大島の東約20kmの距離に位置する有人島です。サンゴ礁が隆起してできた島で、現在も年間2mmずつ隆起しています。 筆者は、奄美大島の出身です。奄美群島の有人島は、奄美大島、加計呂麻島、請島、与路島、喜界島、徳之島、沖永良部島、与論島ですが、喜界島だけは1度も行ったことがありませんでした。 そこで、2022年の9月に家族で奄美大島に帰省した折、喜界島まで足を伸ばそうと思い立ち、奄美から飛行機で訪れました。 妻と2歳の娘、高齢の義理の母との旅行というこ

          喜界島の青と緑とオレンジ

          優先席から日本人について考えてみる

          先日、私用で家族3人で大阪から東京に行きました。帰りは飛行機で帰るため、羽田空港を目指して電車を2本乗り継ぎました。トータルで移動時間は40分ほど。 2歳の娘と妊娠している妻と一緒なので、優先席のある車両に乗車しました。平日の昼間でしたが、満員というほどではないけどそこそこ混んでいる様子。席は空いていませんでした。 しばらくすると、娘は眠り始め、車内で抱っこすることに。2歳になってベビーカーに乗らなくなったので、東京にも持ってきていませんでした。右手で娘を抱え、左手でつり

          優先席から日本人について考えてみる

          日本「語」学校と日本「人」学校

          どちらも1文字しか変わらない言葉です。私は、日本人学校の教員として、海外で8年間教壇に立ちました。日本へ帰国後、様々な場面で自己紹介をしたり、プロフィールを書いたりすることがありました。すると「日本語学校だよね?」「海外で日本語を教えていたんだよね?」という反応が返ってくることが多いのです。 自分が思っている以上に「日本人学校」のことが認知されていないのではないかということを感じました。そこで、ざっくばらんではありますが日本人学校の概要について書いてみようと思い立ちました。

          日本「語」学校と日本「人」学校

          スリランカで出会った人たち

          前回の投稿から2ヶ月ほど経ってしまった。2015年のスリランカの様子を書いたのだけど、「ぼったくられた時のことは次の投稿で」と書いてしまったので言行一致させなければと思い、今更ではあるがスリランカで出会った人たちについて書いておきたい。 ハイカラなトゥクトゥクの運転手「サマーン」サマーンにはダンブッラでバスから降りた時に出会った。 バスを降りるとトゥクトゥクの運転手がたむろしており、観光客だとわかるとすぐに近寄ってくる。何人か適当にあしらった後、サマーンがやって来た。

          スリランカで出会った人たち