エネルギーのコントロールが難しい。

最近は、感情のコントロールというより、エネルギーのコントロールが難しいし、重要だなと感じている。何かに夢中になるにしても、明確にオンオフを切り替えられるスイッチがどこかにあるというわけでもなく、だいたいいつの間にか気づいたら夢中になっている。夢中になるというのは、エネルギーの出力を超高めているときなので、夢中になり終えたら結構疲れている。

本を書いている間は、もっと集中してやれる!なんて怠惰なんだ自分!と思っていたものの、今振り返るとかなり夢中になっていたし、エネルギーを多く注いでいたと思う。そして本が出ると今度は宣伝をせねばならず、ありがたいことにたくさん取材をしてもらった。周りには、書く仕事より喋る仕事が圧倒的に楽だという人もいるけれど、私はこれがどうも慣れなくて、記事にしやすいかとか、見出しにして引きのある発言ができたか、PV取れたかなどといちいち気になってしまって、はぁ、まったく全然ダメだったな、などとおわったあとどっぷりと落ち込んだりもして、こういう一喜一憂にもまた気づかないうちに多大なエネルギーを消費している。本を書くという一番大変だった作業自体は終わっているので、時間には余裕ができて、ご飯を毎日当たり前に作ったり、部屋を掃除したりと、生活はちゃんとするようになったものの、誰かに何かを強く主張したい、あるいは、人を楽しませたい、そのために、書く、というエネルギーが完全に枯渇して、走りたいのにアキレス腱が切れたみたいな感じが結構長く続いていた。

この間気づいた面白いことは、エネルギーというのは八百万の神様のようなもので、精神にも、肉体にも、思考にも、欲求にも、体の各機能に、それぞれ別々に宿るということだ。疲れたな、と思うときに、10月のように一斉に神様がいなくなるのなら休むより他ないといっそ諦めがつくけれど、症状に応じてあちらこちら、点々と、足並みを揃えずに神様がすり減る。肉体的なエネルギーは余っているのに、論理的思考を組み立てるエネルギーが枯渇している、というようなことが起きる。だからもどかしいし、情けないし、連鎖反応で今度は精神のエネルギーがすり減る、というようなことが起きる。ジョギングをしたり、筋トレをしたりすると、その辺の足並みが揃うのかもしれないけれど、ただそれは不調をきたさないための土台作りに効くのであって、一旦不調をきたしてしまったら時間をかけるしかないような気もする。思考錯誤して調整している間、個人的にこれは結構いいなと思ったのは香り。特にAVEDAの、第6のチャクラを開くという怪しいコロンがなかなかグッド。音楽や香りなど、五感に訴えかけるものは、各所のエネルギーの統率をとる信号みたいな作用があるのかも、と思うけどこれ以上潜るとめくるめくスピリチュアルの世界にはまりそうだからもうやめよう。





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紫原明子

201609

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