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花粉症に殺される前に見ておきたかった

そんな恐ろしいこと絶対に考えたくもなかったが、もしかするとついに、花粉軍が我がアレグラの防御を突破してしまったかもしれない。
2日ほど前から、微熱と、喉の痛みと、咳と、くしゃみと、鼻水で伏せている。いつも飲んでるアレグラに加えて葛根湯を飲んでいるが全然効かず、いよいよ病院に行かなくてはいけないかもしれない。私は、基本的には病院をマイプレイスと思えないというか、マイプレイスと思える病院と出会えていないので、アレグラもいちいち市販薬を買っている。病院で処方してもらった方が断然安いですよ、と以前賢い知人に教えてもらったときには、そ、そうだったのか!!と頭を殴られたような衝撃が走った。しかしそれでも、病院に行く労力と、病院のためにかける時間と、病院に滞在する精神的負担などを総合的に鑑みると、家から2分ほどの立地にあるドラッグストアでアレグラを買う手軽さを選ばずにはいられない。今年の花粉はやばいと聞いたのでこれに加えて顔に温泉成分をスプレーするIHADAをこまめに使っていた。しかし、いよいよその程度の装備では太刀打ちできなくなってきている気配を、否が応にも感じている。

しかし、万が一風邪だった場合に備えて、本来予定されていた花見の予定は泣く泣くキャンセルさせてもらった。なぜならその場には妊婦の友達と友達の娘さん(幼女)が参加予定で、彼女たちに移したら大変だからだ。昨日は友人宅でのご飯会に呼んでもらっていたが、こちらも赤ちゃんがいることを考慮し遠慮した。悲しみが続いている。家にいるしかなく、家にいても口をついて出るのはくしゃみばかり。頭がボーッとして、長時間集中して読書なんてこともできないから、ただだらだらとSNSを見続ける。つまらないゴシップにまたもや異常に詳しくなってしまった。ゴシップを追う以外のときは、薬のせいか、やたらと眠いので寝る。すると鮮明で異常な夢ばかり見る。あるときはロシア人と国際結婚して4人の母となった殺人犯の妹を世話するお節介おばさんとして活躍する夢、またあるときは風俗の面接に行く夢、さらにあるときは首都高の合流で追突事故起こす夢。あまりに鮮明なので、現実と二重生活を送っている気分になってくる。それも、どちらかというと夢の方がマシ。何しろ夢では何かしらドラマがあるが、現実にはくしゃみしかない。くしゃみに太刀打ちしようにも効いてるかわか、ないアレグラと葛根湯しかない。夢の中の私は、ロシア人と国際結婚した妹の兄の殺人犯と戦うために2メートル以上ある鉄パイプを持っていた。夢の方がはるかに盤石。現実の方がはるかに脆弱。すっかり色褪せている。私はもうだめかもしれない。もう二度と再起できないかもしれない。洗って乾燥されたまま畳まれていない洗濯物が山積みになっている寝室で泣いた。もうこんな私には仕事なんて来ないし、人々には忘れ去られるし、友人にも家族にも恋人にも厄介者扱いされ、飼犬にはおしっこをかけられるんだろう。花粉症か風邪かわからないものに殺されるのだ。

しかし、しかし、、周りの人に散々勧められて行きそびれていたアミューズミュージアムのボロ展が本日最終日だと聞いて、死んでもいいからこれだけは見ておきたいと、化粧もしない顔にマスクをつけて、コートのポケットにスマホと財布とティッシュだけ持って、浅草に赴いた。そしたら確かに素晴らしくて、お陰で私は我に返った。

ボロとは、江戸時代の青森県で長く使われていた布団や羽織のこと。それだけでは寒さに弱い麻布を、何重にも重ねて分厚くして身にまとう。擦り切れたら、またさらに麻布を継ぎ接ぎする。そうやって、何代にもわたって使い続ける。中にはお産の時に、羊水や血液を受け止めることに使われた布もあり、それもやはり、何代も使い続けるそうだ。

貧しさの中にも美しくあろうとした女たちによって継承されてきた美しい刺し子。これが用いられた着物や前掛けは今の時代にあってもモダンで、お金で買えるなら買いたい。

展示の中盤くらいに何気なく大きな鏡が置いてあって、ふいに思いがけず自分の姿を突きつけられる。圧倒的な存在感を放つボロたちと現代の服を着ているわたしが、並んでしまう。するともう、なにか今すぐにでも逃げ出したい気分になる。ちゃんと考えて、気に入って買ったはずの服なのに、恥ずかしくなるくらいつまらないものに見えてしまうのだ。長い歴史のあるものには、もう絶対に敵わない。インターネットの時代になって、ますますそれは揺るぎないものになっている。

「物には心がある」
これはこの素晴らしいボロたちを長年集めてこられた田中忠三郎さんの言葉だそうで。日本人には馴染みのある感覚といえばそうなのだが、しかしそんな中でも私は、特に似たようなことを言う、もう一人のことを思い浮かべずにはいられない。そう、こんまりである。
どんなに小さな端切れも捨てずにとっておいて、継ぎ接ぎに使ったり、ヒモにして編んだりしていたかつての青森の女性たち。彼女たちの生き方を見て「物に心がある」と思った田中忠三郎さん。対して、ときめかないものは一定の使命を果たしたとバッサバッサと捨てまくることを推奨するこんまり。2人が同じことを言っているのはどこか皮肉なことにも感じられるけれど、現代はたしかに、1つ1つの物の心に耳を傾けるには持ち物の数が多すぎる。身に余るものを一旦手放して、そのあとは、きちんと声の聞こえるものだけに向き合って暮らしていこう、というのがこんまりの考えなんだろう。それはたしかにそうだなと思うし、家族やペットを捨てられないのと同じように、物だって、簡単に捨てられないものを持つようにしたい。

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