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今年の漢字一文字を考えてみた

こんにちは。なんと、6月から更新していなかったnote。
2020年の振り返りを書こうと思いつつ、こんなぎりぎりに。なんとか今年中に間に合いました。

先日、入っているコミュニティで表題の話が出たので、私も真面目に考えてみました。サウナに出たり入ったりしながら小一時間、ホカホカしながら寝っ転がっているときに思い浮かんだのこの一文字。

 夢


一年前の私に、今年の年末この一文字を挙げるよと言ってもたぶん信じないでしょう。なぜこの一文字がふわりと浮かんできたのか、考えてみました。

***


夢のような一年だった。
会社と家との往復では見られない世界をたくさん見られて、面白い人にたくさん出会えて。

去年の今ごろ、こんなツイートをしていた。

“2019年は好きな人がとても増えた。すごく良い出会いと学びがたくさんありました。 
2020年も自分の「面」を増やして、予想できない人生を生きたい。”

果たして、この一年で自分の「面」は増えただろうか。予想できない一年後になっただろうか。
夢のよう〜などと言いつつも、こう見えて(どう見えて?)、この一年は常にめちゃくちゃ悩んでいた。

仕事は楽しいし、年々居心地がよくなっている。自分のやりたいように進められ、言いたいことが言え、困ることはほとんどない。尊敬できる仲間と、必死になったりならなかったり。でも、これは心から自分がやりたいと思っていることなのか、ちょっとわからなくなっていた。

いままで、「夢」というものに縁遠い生き方をしてきたと思う。
小学生のとき、将来の夢に「バレリーナ」と書いた。でも、受験勉強をするうち練習にも行けなくなってしまって、その夢はなかったことになった。
中学受験。文化祭で見た母校の先輩たちのきらきらした姿を見て、その中に入りたいと思って志望校を決めた。自分がそう思ったから、進路を決めたと思っていた。でも、夏ごろ母にこの話をしたら、ひとことこう言われた。

「だって、そう思うようにしたんだもの」

なるほど。そうか。

その後も、人に誘われて部活に入って、そのまま高校、大学と進んで。部活で試合に勝つために練習することは、目標のための道のりにすぎない。この進学先に行きたいと思って勉強することも同じ。

自分で夢を描き、自分で決めきったと言えることはいくつあるだろう。
気づけは「将来の夢」というものがないまま大人になっていた。心から興味がないことでも、手を動かせばたいていのことはできてしまうようになっていた。それで、自分で考えて決断したような気になっていた。

この一年、様々な出会いの中で自分を見つめ直す機会がたくさんあった。

今年出会った人にもらった数々の言葉たち。

これだと思う瞬間って、案外自分が一番気づくもの。少なくともこれはそうじゃないかと思ったら、無理にでも覚悟を決めること。決めたら能力を磨いていくだけ。
才能があると思ったから写真家になったわけじゃない。なりたいから、なった。
他人の評価で自分の将来を決めるのか?

きっと一年前の私なら、こういう言葉を前にしても自分と縁遠い世界のことと素通りしていただろう。でもこの一年で、「ふ〜ん、こういう人もいるんだ〜」じゃなく、「こういう生き方がしたい」と思うようになっていた。

5年くらい前に出会った他社の先輩を思い出す。仕事ができて、堂々としていて、スーツの男性ばかりの会議でも物怖じせず、いつも自由そうに笑っていた。真っ赤なコートを着て深夜の日本橋を颯爽と歩くその人は、「別に会社で真っ赤なコート着ても、いいのよ?」と、まだペーペーだった私に言った。
こういう風になりたいんだった、私は。

夢と目標は明確に違う。目標はある成果を導くために設定されるもので、すべては現在の延長線上。「どんな生き方をしたいか」ということは、目標に向かう過程では出てこない。一見「夢」に見えることも、たいていはレールの上の目的地を目指しているにすぎない。自分の今やっていることの延長から外れて何かを決断しようとしたとき、判断基準は自分だけだとなったとき、決断するのはものすごく難しいものだと身をもって知った。

今年一年、きっとたくさんの人を傷つけた。

日常の中で「これかな」というぼんやりとした光を見つけて、動いてみて。自分で決めると決意したのに、他の人の意見を求めたり。親身になってアドバイスしてくれた人の言葉に従わなかったり。一度伝えた決断を次の日に変えてしまったり。決めたつもりになって、謝って、がっかりさせて、自分が嫌になって。その繰り返し。
自分の心の声に素直になりたくてその通りに動こうとすると、まったく論理的に説明できない場合もある。そんなことは、今まで誰も教えてくれなかった。AだからB、BだからCと紙に書いて整理をしても、行き着いた結論にしっくりこなかった。

論理的な思考回路の中に夢は入っていない。時に支離滅裂で、時に目の前の人をがっかりさせてしまう。そんなことをしながらも、突き進む先にしか夢は現れない。将来のことを考えたり、自分の過去を振り返ったり。そんな波が押して返すような作業を繰り返しても、その中に答えはない。
きっと、夢への道のりというのは説明できるものではなく、ふっと自分の中に答えが浮かんでくるものなんだ。

ほんとうは、こうやって書いてしまうことで自分の思考を固めてしまうような気がして、何度も書くのをためらった。それでも書こうと思ったのは、この何にも代えがたい、今の自分にしか書けない言葉を残しておきたいと思ったからだ。

今年は色んなことがあった。
来年、私はどれだけ自分を信じられるだろう。
大変だったけれど、この回り道がなければこんなに清々しい気持ちで年末を迎えられなかったと思える道のり。これまで「将来の夢」がなかった私なのだから、少しぐらい夢を見てもいいんじゃないだろうか。

夢を夢のまま終わらせるか、夢を現実にするか。
それはこれからの自分次第だと思っている。

***

しほ




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