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1969年生まれ/私の反省記①「ハトヤのおばちゃん」

3歳から10歳まで新宿区下落合に住んでいた。
落合第四小学校に通っていた小学1年生の私の反省記。

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小学校のそばに「ハトヤ」という名前の小さな文房具屋さんがあった。10畳ぐらいの広さで、小学校で使うノートや、ちょっとだけワクワクするキティちゃん風のペンや、ピンクレディのカード、練り消しゴム、飴玉など、子ども心をくすぐる商品が所狭しと並んでいた。心踊るラインナップだった。
1人で遊びに行くもよし、友達とワイワイ走り込むのもよし、小学生たちの居場所だった。

ハトヤにはハトヤのおばちゃんがいつもいた。
背の小さいおばちゃんだった。おばちゃんか、おばあちゃんなのかがまだ理解しにくい私には、みんながハトヤのおばちゃんっていうけれど、「ハトヤのおばあちゃんだよなぁ」って感じていた。
手がしわしわだったから。

店の奥、レジのそばにちょこっと座って、子どもたちを眺めてた感じを思い出す。時々奥から出てきては、店の商品のホコリをパタパタとはたいたり、通学路である店の表へ出て、子どもたちと会話をしていた。
今でいう見守り活動だと思う。
そんな暖かいサードプレイス。

実はハトヤのおばちゃんのところで一度だけ反省したことがある。
万引きじゃない。そんなチンケなことをしたんじゃない。おばちゃんがすごく優しかったから、なんだか悲しくなって苦しくなって、自分自身を猛烈に反省した。その時のことを。書く。

近くにある乙女山公園が、私と友達の学校の行き帰りのルートだった。
緑豊かな公園には小さな川や池がある。子どもにとってはこんなに最高な通学路はない。

ある日、学校からの帰宅途中、その乙女山公園の池の前で友達と悪いことを考えた。

「アリンコを葉っぱに乗せて、池に浮かべてみない?」

「いいね」

近くのアリを捕まえて、椿の葉っぱに無理やり乗せて、ランドセルを背負ったまま池の水面に体を屈めた瞬間に、池に落ちた。

のは、私。

驚いて水中でしばらく暴れる私は、程なくして足が底につくことに気づいた。ランドセルが浮き輪がわりになっていたのも好都合だった。

ホッとしたのも束の間
もっと怖いことが起こったのだ。
水中で暴れている私の足を、
池の鯉がつっついている。

あの感覚は今も忘れられない。
あれは、本当に。なんていうか。ザワザワする。
脊髄が私の内臓全てに響き渡る感覚です。
トルコ行進曲(モーツァルト)を永遠に♾️ループ再生されている感覚といえばわかってもらえるかな。

とにかく自分がエサになったのだ。
私の神経は、群がる10匹以上の大きな錦鯉の口とひげの感覚で、麻痺してしまい、そのまま水中でオシッコを漏らした。

しばらくして、近くにいたお兄さんに助けてもらい、全身ずぶ濡れの私は大泣きをしながら友達と家に向かった。涙が止まらなくて、ショックだった。

その時、ハトヤの前を通ったのだ。
ハトヤのおばちゃんは、私が知っていたおばあちゃんではなくて
まるでお母さんだった。

「大丈夫かえ?大丈夫かえ?家はどこかね?寒いやろ、悲しかったな、大丈夫やよ、大丈夫やよ」

涙がまた止まらなくなった。
おばちゃんの優しさが私の涙を後押ししていた。
おばちゃんの心が優しすぎて、私はアリンコを葉っぱに乗せて池に浮かべようとした事を

猛烈に反省したのだった。


1975年 新宿区下落合のはなし

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