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美は所属しない

今週は美しい時間を紡いでいる。

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先日、久しぶりに六本木のフレンチレストラン、cogitoにお邪魔させていただいた。

こちらのお店に初めて訪れたのは、たまたまで、「何か気になる空間がある」と、道を歩いていてポツンと見えた黒板に目が行った。そのまま引力に導かれるままだった。(そして大概、自分の人生において、素晴らしい出会いはそういう風に訪れているな、と今書いていて思う。)

始めていったとき、「ジブリだ!!!」と思ったのを覚えている。ちょっと入るのに勇気のいる雰囲気のある木の香り、けれど一歩入ると、あたたかな木漏れ日がキラキラと室内を揺らしていた。光は、木の建物を覆うように命を巡らせている、蔓植物がそうさせていた。(あとからブドウだと知る。)

「ようこそ、ご予約ですか?」と出迎えてくれたのは、瑞々しい笑顔のきれいな女性だった。「いいえ」と答えたけれど、「大丈夫ですよ」ととても軽やかに導いてくれたのを覚えている。

席につくと、何か奥のほうに黒い気配があるのに気付いた。とっても大きな黒い艶々したもの・・。ん?光った??と思ったら、犬だ!と気づいた。光っていたのは犬の瞳だった。私が気づいたことがわかると、急な勢いで近づいてきて、となりに座ってきた。笑。出迎えてくれた女性が「あら、お客様を驚かせちゃだめでしょ」と穏やかにそのワンちゃんに話しかけ、わたしに「犬は大丈夫ですか?」と聞かれ、「はい」と答えると、そこ子はしばらく私の横にい続けた。笑。(あとからこの子はイプセンという名だとわかる。ちなみにアルタというその子の子もいて、2匹いる。とってもかわいい。)

出てきたお料理は当たり前のように、美しく、丁寧で、とてもおいしかった。命の味がした。そう、命の味がした。

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それから、何かの時には、丁寧な時間を過ごそう、と思って頻度は少ないけれど定期的に訪れている。この場所に訪れると、自分の中のジブリ感覚、「純粋性」をとにかく思い出させてくれる。それは、大切なものや喜びは、ただそこにあるんだ、という懐かしいような感覚。

先日、コロナもあってあまりいけてなったけれど、久しぶりに伺った。相変わらず、一歩入るとそこは温かく透明な空間が広がっていて、ちょっと涙がでそうになった。

案内された席は、特等席。光がとてもきれいなところだった。本当に素敵。

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お食事も変わらず丁寧な命の味がした。夏の終わりをすこし惜しむような、軽やかさの中に、まろやかさ。素敵としか言いようがない。

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これまでも何度か訪れたけれど、あまりに感動しすぎて、あの美しく瑞々しい女性のオーナーに、

「とてもおいしいです。それから、本当に光が凄く素敵です。」

と感じるまま伝えた。そうすると、彼女は、

「そう、夏野菜とぱりぱりのお魚がぴったりでしょ!おいしいわよね。」「ね、本当に素敵よね・・・。なんでこんな風に光が揺れるのかしら・・・。本当に不思議。私も毎日みてるけど不思議なの。」

と。私は「ありがとうございます。良かったです。」とか、そういう言葉が返ってくるのを勝手に予測していて、はっとした。そこにある美味しさや美しさを、ともに同じように見つめ、喜び、’共感する’という在り方に、またもや感動してしまった。

その時、本当に不思議で、時間も空間も、そうした物理的制約が一瞬なくなったような気がした。

美は所属しない。ただそこにあるだけだ。

それが、ただすっと、入ってきた。

そっか、そうなんだ、と。ただ、そこにあるものを、喜び、愛で、共有して、おいしいね、きれいだね、っていうこと以上の時間が、この世にあるだろうか。

そう思った瞬間だった。


少し時間がたって、そんな風に思える時間や場所はどれだけあるだろうか、とふと思ったけれど、それは、「自分が選んでいくこと」だな、と思い、こうして綴っている。




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