脳の中の盗塁王

野球の才能だけは絶対にない自信がある。どういうわけか、バットを握れない子供だった。振ると必ず全身の力が抜けて、バットを手放して投げていた。周りの人を怖がらせて、そのときだけ俺は触れてはいけないお札みたいな扱いを受けていた。ある時、富裕層だけが住める一帯で、そこに住む裕福な友達とその友達を裕福めさせていた父親と野球をした。もちろん、裕福公園で。その時、いつものようにバットをすっぽ抜かしたら、その父親が殺人者みたいな目で俺を怒ってきた。子供の顔にぶつかって失明でもしたらどうすんだと。完全に悪いのは自分だけど、俺は形式上の平謝りだけを繰り返し、誠実に向き合おうとしなかった。金持ちが、自分の周りだけを大事にしやがって。どうせ俺のこと見下してんだろ。別にわざとやったわけじゃねぇのにさ。そのとき俺は団地住まいで金持ちに偏見を持っていた。将来の夢は大金持ちになって、金持ちの土地をすべて買収することだった。そして回収した土地を貧困層に安く売り東京の地価を下げることまで考えていた。バットの件でトラブルを起こしてお叱りを受けるのは2度と御免だ。俺はその日から野球をやらなくなった。みんなと遊んでいるとき、野球が始まりそうな雰囲気を察知して家に帰る少年になった。おにごっこやドロケイをすごく推奨する人間になった。今でも野球は一切見ない。細かいルールもよくわからない。誰が盗塁王かなど知るわけもない。だけど、たまに思い出す。公園で一番大きな木をサードベースにしていたあの頃を。頭上からセミの声が降り注ぐ中、木の根と足の接続を断ち盗塁を狙う少年の姿。足の速い子だった気がする。リレーの選手にずっと選ばれていたような気がする。脳内映画館のスクリーンにぼんやり映し出されている盗塁王。前傾姿勢から発せられる「リーリーリー」という煽り声。その声の主が誰だかは思い出せない。野球の才能があっても多分思い出せない。


小さい頃からお金をもらうことが好きでした