とあるハガキ職人の遺書


こいつの遺書が見つかりました。

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ラジオは唯一の支えやった。社会にうまく溶け込めへん俺の逃げ場。どんな夜もそこに逃げた。でも、少しずつ変わっていってん。俺もラジオも変わっていって、疎遠になった友達同士みたいに別々の方向に進んでいってん。 

メールを送れば送るほどラジオはおもんなくなっていった。いや、俺が楽しめなくなったんや。雨粒の数ほどメールが読まれたら自分に酔うのもしょうがないやん。そんで傲慢になってしまったんや。読まれるかどうかしか気にせんようになってしまった。 

でもな、さっきもゆうた通り、変わったのは俺だけちゃうで。ラジオもこの10年でずいぶん変わった。広く明るいものになったで。メジャーなコンテンツになっていった。過激だった深夜ラジオは時代の変化に内容を合わせて少しずつ丸くなっていったんや。 

ラジオがギリギリのラインを踏み外さなくなり、もうここに俺の居場所はないと思った。確かにリスナーには俺と同じように心に闇を抱えた人は多い。でも、俺から言わせてもらえばそいつらの闇は浅いねん。今のラジオが掬い上げられるんはそいつらの層までや。その下の俺らは見放されてん。ラジオがメジャーになるために切り捨てられた犠牲者や。そんで全体的に明るくなってラジオは秘密基地ではなくなってしもうてん。ホームパーティーの類いかなんかや。泥にまみれた人間はそんなものに参加できるわけない。切り捨てられた奴らはまた別の逃げ場を探して地下へ地下へと潜っていくんや。俺はその流れに意地でも逆らい必死にラジオに食らいついた。養護施設から出たあの日から俺はずっと首吊りをしている感覚やった。そして10年間、首に力を入れ続け、必死に耐えているようやった。恩返しの期間が終わり、首に力を入れるのを止めた。そんでそのまま死んでいったんや。 

みんな誤解すんなや。俺は自分の人生を悲観的にとらえたことは一度もないねん。こういう結果になってしまったけども、精一杯生ききったって胸を張ってゆうたるわ。ホンマは1年で終わるはずの命やった。それが10年も持ったんやで?めちゃめちゃ幸せなことやないか!延命治療なら大成功や!やれるとこまでやったんや。だから悲観はしてないねん。すがすがしい気持ちで逝ったで。 

そんとき俺はある種の満ち足りた顔をしていたはずや。長い受験勉強を終えて達成感に満ち溢れた学生のような気持ちやった。まあ、受験したことないから知らんけど。

小さい頃からお金をもらうことが好きでした