捨てて後悔しているもの

申し訳ないんだけど、小さい頃の俺頭が良かったのよ。うん。いや、本当に賢かったから。もちろん、勉強ができるという意味ではなく。頭の良いみなさんならそれくらいのことわかるでしょ。全ての事象に対して何かを感じ取り、それを瞬時に言葉にできたわけ。感受性が豊かだったわけ。

まあ、その分、苦しいこともたくさんあったよ。具体的に何がとは言わないけれど。うそうそ。辛すぎて全部記憶から消したわ。

俺には兄弟がいないし、母親は1人で子育てしながら働いて大変そうだったから、誰にも相談できなくて家で毎日ひとり泣いている雑魚子供だったわ。毎日友達と遊んでむなしさを埋めるのに必死こいてたわ。

なんで俺の人生はまだ始まったばかりなのに、ずっと夜の雪山をひとりで歩いているみたいな居心地なんだろうと思っていた。

俺の上司は感受性。こき使われて精神ボロボロ。あの時の俺は確かにブラック企業に勤めていたね。今は就職してないけど。

結局、これら全ては貧困のせいだと思ったね。金さえあれば母親は楽できるし、そしたら母親から仕事のストレスぶつけられないし、俺も周りとの格差にいちいち心沈まないで済んだはずだと。

だから絶対に金持ちになろうと決めた。あの時の俺には、医者かエリートサラリーマン、この2択しかありえなかった。

感受性が豊かだと人の気持ちを簡単に察せられるし、その延長で、会話中に相手が次に話すこともわかる。脳に余裕がある状態だから話を聞きながらその返答を考えることもできて相手が驚くような視点で話を展開させることができる。いつも人を人一倍感じているから演技もうまくなるし、たくさん感知したものを脳が勝手に覚えていき、記憶力も良くなる。だからといって全部をそのまま覚えていたら大変だから重要なポイントとそうでないポイントを細かく自分の脳の正しい位置に振り分けられて適切なタイミングで引き出すことができる。過去の自分を振り返ってみると、多分そんな感じだったと思う。今はその全てができなくなっており、非常に不愉快です。元々賢かったから、頭が悪いことを普通に頭が悪い人よりも自覚していて辛い。

話を戻すけど、当時、要領はもちろん良くて、勉強にもさほど苦労しない。ただ、要領の良さだけでは越えられないものがあって、俺は完璧主義者だったから、そのことがものすごく許せなくて、悔しくて、死ぬほど勉強した。苦手科目の数学を得意にすることが俺がのしあがる上での一番最初の課題だった。

中1の頃、とにかく数学をやりまくった。わからない問題があると、腹が立って泣いたり発狂していたりしていた。中2の冬くらいから友達と遊ばなくなった。日々の悲しみを埋める術はなくなり、勉強で自分の上限を突破しなければならないというプレッシャーだけが残り続けた。頭がぶち壊れそうな生活が始まり、俺の中から何かが溶けてなくなっていくのを感じた。

ある時、自分の要領を越えた域に達した感触があった。でもその時にはもう、俺は一番得意だった国語が一番苦手な科目になっていた。面白いことに、人の気持ちに共感できないまったく別の人間になっていたんだよ。人を思いやる、考えることを放棄したのだと思う。自分の心を守るために感受性を捨てたのだと思う。

俺多分自力で脳の形変えたんじゃないかなって思ってる。数学のために右脳と左脳の大きさを無理矢理入れ換えたんじゃないかなと思ってる。感受性の豊かさのおかげで身につけていたものが少しずつ失われていった。どんどん鉄みたいになっていった。

高2のとき、鉄の俺はアメリカでのホームステイが終わってタクシーで空港に向かっていた。ふと涙が流れてきて隣にいた友達に「お前が泣くとは思ってなかった」って言われた。鉄の俺にもたまには人間が宿っていたが、基本的には人間として大事なものが欠如していき、社会からどんどんかけ離れていき、そんな自分を俯瞰で見て、かつて目指していた医者やエリートサラリーマンになれないことを悟った。元も子もなすぎて笑える。エリートコース脱線の瞬間、人生の全てをあきらめた。もう全部が本当にどうでもよくなった。

高校3年の春に勉強をやめた。記憶力が急激に悪くなり、頭の回転も遅くなっていく。大学は勉強しなくても今までの蓄積で行けるところに行った。入学したとて、高卒の人となんら変わりないという意味を込めて高1の頃から「高卒大学」と呼んでバカにしていた大学だった。

大学にはつまらない人ばかりが集まっていて友達を作らなかった。会話をしないとますます頭は悪くなる。高校の時、部活やってなかったのに大学入ってからガチガチの部活に入部した。俺頭悪くなったからスポーツ始めたのかな?ありふれたドロップアウト人生、俺と立ち位置変わってみますか?

ただ、最近、人と会うようになって、かつての自分みたいに感受性に苦しめられながらもきちんと生きている人が少なからずいるのだと知った。感受性が豊かな時点で、貧しかろうが、金持ちであろうが、環境に関係なく苦しむことになるのだと知った。そもそも人間なんてみんな何かしらマイナスを背負って生きているんだよね。

その時、俺は負けたんだなと思った。自分に勝てなかったんだなって。苦しまない選択肢、楽な方向に逃げたんだな。そんでその対価を支払ったんだろうな。感受性と苦しみからの解脱との等価交換。ハガレンだったら、不正解だ!ってフラスコの中の小人に言われてるわ。

強いなあ。みんな強いなあ。みんな強くて羨ましい。

でも俺はまだ生きているよ。俺よりも弱いやつは死んでいったからね。まだ俺は生きている。終わってないんだよ。ここから巻き返して、全てかっさらったらサア、死ぬほどかっこいいだろうなあ。

こんなことみんな高校生の時に全部考えているんだろうか。俺の気持ちはまだ17歳だよ。

俺もこんなのよく載せられるなと思ってる。こういうのを曝しているとき、俺にはちゃんと自爆しているという感覚はある。

人がやろうとしないことほどやりたくなってしまうんだよね。

小さい頃からお金をもらうことが好きでした