ハガキ職人
ちょうど10年前や、あの子がこの施設を出ることになったんは。みんなそうよ、高校を卒業したら児童養護施設を出て自立せなあかんねん。原則18歳までってそういう風に決まってんねん。でも、それはウチらが想像する以上に悲惨な現実だったりするんやで。親のいない子らはな、やっぱなんか頼れるもんがないと生きていくのは難しいねん。中には強い子もおるけどな。でも、あの子は弱い子やったで。施設を出るときになウチに言ってん。「もう少しここに居させてくれ。でないと俺、ほんまに死ぬかもしれへん」って。あんときはほんまに崖から子供を突き落とすライオンのような気持ちで見送ったで。あの子最後までウチの方を見て歩いていきよった。ほんまに悲しい目をしてたわ。今でも覚えてるもん。ほんで出ていくときって、荷物まとめるわけやんか。あの子1つだけしか持っていかへんかった。たった1つ、何持っていったと思う?ラジカセや。薄汚れたきったないラジカセ。
あの子がこの施設に来たばかりの頃は人間不信やったんかな、誰とも喋らんかった。でもある日、どこで拾ったんか知らんけどな、土で汚れたラジカセを持って帰って、そんで、どっかのしょうもないラジオ番組流し始めてん。そしたら施設のみんながあれよあれよと寄ってきて、あの子はもうスーパースターや。テレビもゲームも禁止されてたから、ようわからん会話や音楽が流れてるだけでもあの子らはきっと面白かったんやろな。そんで、「どこでこんなもん見つけてきたんや!」とか「さすが俺の親友や!」って手のひら返したようにみんなあの子と仲良くなりおって、あの子とても嬉しそうやった。
でも施設長がな「なんやこの音は」ってすぐ異変に気づいて、そのラジカセをみんなから取り上げしもてん。ウチはな、このままだとあの子はまた一人になってまう、そんな気がしたんや。だから施設長に「あの子たちからラジカセ奪わんといてください。あの子たちの繋がりを奪わんといてください」って、ようお願いして、なんとか没収されずに済んでん。そのあとあの子、初めてウチに喋りかけてくれた。泣きながら「ありがとう」って。そんでウチもようわからんけど泣いてしまったわ。
それからあの子はよなよなラジオを聴くようなってん。生粋のラジオっ子や。あの子言っとったよ、「ラジオにメールを送ってな、読まれたらプレゼントもらえんねん。そんでな、ちゃんとプレゼントもらえるようにな、下に自分の名前とか住所書かなあかんねん。俺な、いつか携帯買ってな、メール送ってバンバン読まれんねん。俺ハガキ職人になんねん!」メールやらハガキやら何言うとるのかウチにはわからんかったけど、あの子がいきいきしている姿を見られてウチはもうそれだけで十分やった。
あの子はラジオに救われたんや。だからラジカセを持っていった、それだけの話や。そんで、あの子が施設を出てから1年過ぎたころな、ウチの施設に不思議なことが起こり始めてん。身に覚えのない郵便物が毎週のように届くようになってん。よう知らん芸人さんのステッカーやら冷凍食品の詰め合わせやらがぎょうさん送られてくんねん。それも全部ウチ宛てのものでな、ホンマに不思議やってん。でもな、すぐに謎は解けたわ。差出人を見たらな、有名な放送局の名前が書いてあってん。それ見てウチはピンときたで。この施設の住所とウチの名前を使ってあの子がラジオにメールを送っとるって。しかもバンバン読まれとんなって。なんでこんなことすんねん。自分のとこに送ってもらえや。
そんなこと思いながら、3年経った。プレゼントはずーっと送られてきたわ。なんなら前よりも明らかに量も種類も増えとる。ウチこう思ってん。あんた、全然死んでないやないか。しっかり生きてくれとるやないか。あんたが今も生きている証がずっとずっと届いてくんねん。嬉しいで。嬉しいけどな、ただ、プレゼントと一緒に送られてくる紙には「いつもありがとうございます」と書いてあるんやけどな、メール送ってるのウチちゃうねんって毎回心の中でツッコむんやけどな、その度にウチはこう思うねん。あんたは誰かに感謝されながら生きているんやろかって。
あんた今、どんな生き方をしてるんや?ウチにはまったく想像できひん。こんなことせんでも普通に会いに来てくれてええんやで?ウチはな、怖いねん。あんたの生きている証が、届かなくなるその日が来るの。
ある日ウチはあの子が聴いてるであろう番組にメールを送ってみたんや。その日のメールテーマは偶然にも「日頃の感謝」やった。
まあ結局このメールは読まれへんかったのやけど。
それもそうよな。誰に対して書いとるんかラジオのスタッフさんわからへんねんもんな。
10年経ったある日のこと、急に配達員が来なくなってん。パタンと郵便物は来なくなって、ウチは少し怖くなった。そしてその予感が当たってしまった。あの子が死んだという知らせが届いた。28歳。この世を去るには早すぎる年齢。デパートの清掃中に屋上から飛び降りて自殺した。まったく意味がわからへんかった。なんでや。なんで死んでまうねん。死ぬなや。何があんたをそうさせたんや。なあ、あんたはこの10年どんな風に生きていたんや?何もわからん。あの子のこと、何にもわかってあげられへんかった。施設を出ていったあの日から10年、得体の知れん世界の何かとずっと戦い続けてきたんか?そして、負けて、負けて死んだんか?
あの子の死を知ってから数日後、施設にあるものが送られてきた。送り主はあの子やった。配達日を指定してたそうや。そしてその日は、ちょうどあの子が出ていってから10年目の春やった。箱を開けると中にはあのラジカセが入ってた。なんでこんなことすんねん。意味わからんねん。お返ししますちゃうねん。あんたのもんやろ。でもな、あとで気づいてん。中にCDが入っててん。そんでなウチ、再生ボタン押してん。雑音が聞こえてきてん。風で揺れるカーテンの音や電車が遠くを走る音。春の訪れを喜んでいる鳥は楽しそうに鳴いていて小さな子供たちはまだ甲高い声で何かわめきながら下の道を走り抜ける。そうした日常の音が流れたあと、あの子の声がやっと聞こえてん。「ありがとう」。その一言や。それで終わりや。たった10秒にも満たないその音声はな、ウチにあの子の10年間を想像させてん。4畳半くらいのたたみのボロい部屋に住んでてな、トイレは共同で風呂はないねん。部屋には木製の机だけがあって、そこであの子は毎日毎日メールの内容を考えててん。どんなに暑い夏の日も窓全開で外の蝉の音にイライラしながら、扇風機は羽音が聞こえるくらい近くまで持ってきて受験生のように机に食らいついてアイデア必死に絞り出してん。どんなに寒い冬の日も冷たい風が窓に当たってガタガタ揺れる音を聞きながら部屋にいるのにダウン着て修行僧のようにじっとしながらも頭を回転させ続けてたんや。毎日毎日ずっとずっとずっと、それはそれは孤独な戦いやったと思うで。この世界に抗うように、そして自分が生きていた証を刻みつけるようにずっとそれだけをしてきたんやな。大丈夫や、あんたのことは忘れへん。きっとそれはラジオを聞いてるみんなも同じや。
そして箱の中にはな、あの子の遺書も入っててん。
いや、ウチやないんかい。
ウチがお願いして取り戻してんねん。
でもな、この遺書にはまだ続きがあってん。たった一言。その一言でな、ウチは少しだけ気が楽になってん。心の中にある灰色の雲に、上からすっと日が差して、その雲は完全に白やないけど、ちょっぴり白に近づいたみたいやった。
どや?
小さい頃からお金をもらうことが好きでした