noteのあまりもの

下書きにあったものをまとめただけです。

2022

  • 酒の飲み過ぎで終電逃して10キロ近く先の自宅まで歩いてる途中、急にラーメンが食べたくなり、営業している店を調べたら、いきつけの場所が4時までやってたから、そこに向かってゲロ吐きそうになりながらも2、3キロ走った。あと店まで2キロくらいってところでスマホを見たらすでに閉店時刻6分過ぎてた。なぜかわからな

  • いけどまだ店が俺を待ちながら営業している気がして一応店まで歩いてみたけどちゃんと営業終了していて、立て掛けてあった看板の「準備中」の文字を見た瞬間、頭の中で大きな爆発音が鳴り響いて、しばらく立ち止まっていた。

  • 俺は人との距離が遠い。バイト先の5歳年下の子に敬語を使っているし、高校では3年間クラス替えがない特別なクラスで同性の同級生から3年間も君づけで呼ばれていた。生まれた直後も母親から離れた位置に置かれていたらしい。

  • 最近始めた夜勤バイトで23時から働き始めたら客が1人もいなかったので「これ、もう閉店してる可能性ありますね…」って言ったら5歳下の子に完全に無視された。

  • 単純な分析ではジャンル分けできない難解な性質を持っている俺は誰からも理解されずにいた。長年一緒にいる母親だけが俺の唯一の理解者であり、親友である。これからはみんなのことを母親だと思って接することにする。俺の唯一の親友は母親だけであり周囲の人間を母親だと思い込むことで人間関係の憂鬱は全て解決した。しかし、普通に考えれば、周囲の人間は母親のはずがないので一瞬で自己暗示から目覚めて鬱になった。

  • 親に笑うのうまくなったと言われてそりゃ鏡見て笑う練習してるからなと思った。


2023

知らなくてよかった。色んなことを知らなくてよかった。子供は素直で単純で、自分の欲求に忠実で、無知で、無垢で、純粋な生き物で。俺は人よりもずっと子供で、自己中で、わがままで、他人のことわかってやれなくて、でも、そのおかげで、自分のことだけに集中できる期間が人よりも長かった。俺はそれを知っている。得られなかったものが多い代わりに、たった1つ得られたものを自ら捨てるバカなまねはしない。


京都のことがほっとけない

最近は京都のことばかり考えている。比喩とかではなく本当の話だ。いつから京都のことが気になっていたのかというと大学受験のときからだ。第一志望は京都大学だった。頭のおかしいやつらが集まる。そんな噂を聞きつけた僕は早速駿台模試を受けてC判定で行けるか行けないかギリギリでさあ踏ん張りどこだぞって時に勉強をやる意味が見いだせなくなって一切シャーペンを握らなくなった。要は逃げたってことだが。もしかすると行けたかもしれない京都、そこに理想郷に近いなにか憧れのようなものを感じている。それから僕は初めて好きな女優ができた。本上まなみという京都出身の人だ。年齢はもう40くらいで完全に僕くらいの年のやつの世代ではない。ダウンタウンなうという番組で彼女のことは知った。ダウンタウンと坂上忍がゲストと一緒に酒を飲む番組、本上まなみがゲスト出演している回でハリウッドザコシショウがサプライズ登場してネタを披露した。そのネタを見て彼女は泣いていた。だから面白いと思って好きになった。

2023.8.15 実は、才能がある人は世の中にいっぱいいる

危機感にさらされてない人間はいくら才能があると言えど自分の能力にうぬぼれて今ある能力の範囲内でしか動き回らない。あるいは自分の才を過大評価しすぎて大きな視点で見たときに停滞していると捉えられてもおかしくないくらいのろのろと人生を送っている。才ある人間は前に確実に進んでいる。だけど、地面に付着している微生物1匹1匹を記録しながら地球を一周する精密機械を見ているくらい気が遠くなる。他人の人生にごちゃごちゃ言う筋合いなんてどんな人間にもない。それでも、俺はこう思う。なんというか、お前らは本当にもったいないことをしている。総合的に見れば、才能がないということになっている。でもすべての人を否定しているわけではない。才能がある人でもそうでない人でも自分のペースというものがあり、絶望だらけの人生を気楽に生きるためにあえて速度を落としている人だっている。それならそれでいいんだけど、速度を落としてます感を自ら出してたらダサくないか。加えて、批判されるのを恐れてなにも主張しないというのも消極という名の逃げに思える。自分でもダサいのわかってますよというのをわかってる風にダサいことするのも自分のダサさを受け入れられない偽物のやり方思えてくるし、もうどんな見せ方をしても批判対象になってしまう。クレームをいれてくるやつは店員がどんな対応をしようがクレームを入れてくる。クレームを入れたいから入れるのだと思う。俺はただのクレーマーなのかもしれない。クレームを入れるのは自らの怠惰な日常だけに留めておきたい。


不器用

愛嬌なくみじめに泥臭く生きている、この不器用さと共に歩んだ。まだ理性のあるゾンビのように颯爽と街を駆け抜けることを夢見ている。誰もが壊すのを諦める壁をバカが叩き続ける。ラッキーパンチに人生を賭けられる、素晴らしき愚者に俺はなりたい。社会で楽に生きることを選ばない。平均化の波に飲みこまれない。まだ海岸沿いで突っ立てる俺。みんなは船に乗って航海の旅に出た。どんどん遠くに行き、世界の広さを知る。でも、砂浜にはワープゾーンが隠されているのだ。そこから通常のルートではたどり着けない未開の地に飛んでいくんだ。見つからなくても絶望しない。死ぬときに、一瞬だけ絶望の尻尾が見えるだけだ。本当の絶望はこの世とあの世の境目にだけある。新幹線が通りすぎる景色の中の一粒の石。一瞬目に映るけれど、それが石だったかどうかは判然としない。でもあれがきっと石だったんだろう。あれが絶望の尻尾だったんだろう。絶望なんて本当はちっちゃいトゲみたいなものなんだ。得たいの知れないものに人は防衛本能を働かせる。トゲを鋭くしているのは自分自身だ。絶望という抽象的で曖昧なものに想像力を使うのはもったいない。正体がわかれば、怖いことなんてまったくない。諦めて絶望を受け入れるよりも、理解して絶望を受け入れろ。同じ会社に勤めていたって、仕方なくそこを選んだ人もいれば、望み通りに就職できた人もいるはずだ。過程が違ければ、違うものになるはずなので。

2023.10.5 なんてことない日常のメモ

2023年の10月上旬に、僕の本名でやってるアカウントに知らない人からDMが送られてきて、そこには僕と母親の、名前と生年月日が書かれていました。そして彼は母親のことをお姉さんだと言ってきました。その時初めて母に弟がいることを知りました。つまり彼は僕の叔父ということになります。彼が母親と姉弟だとわかったのは2年ほど前のことだそうで、彼と母親の共通の父が82歳で死去したため、相続手続のため父の昔の戸籍を取り寄せて初めて気がついたみたいです。昼ドラでありそうな話ですよね。DMで送られてきた写真に映る若い頃の彼の父は、外見だけでなく、人間として妙に違和感のある雰囲気まで僕にそっくりでした。あの写真と同じように僕をモノクロで撮ったのならば、僕らの見分けはつかなかったことでしょう。話を聞いていくうちに彼の父が九州生まれであることがわかりました。そして僕は母と二人で暮らしていたときのことを思い出しました。ある時、僕はテーブルの上に母の住民票があるのを見かけました。なんとなく凝視すると、前の本籍地が載っており、そこには九州の地名が書かれていました。僕は母から一度も九州に住んでいたという話は聞いていなかったので、その住民票のことはずっと心に引っ掛かっていました。それから数ヵ月たち、家にある手紙が届きました。情報盗っ人魂をひっさげて中身を確認したところ、遺産がどうのこうのみたいな常識力未発達児の僕では理解できないことが書かれていました。今思えばこれらの出来事は叔父がいることの伏線だったのです。彼は関西に住んでいるのですが、仕事の都合で11月中旬に東京方面に来るみたいでした。その時、よかったら会わないかと言われたので、僕は母親にこのことを伝えずに彼と渋谷で会うことにしました。


続く。


俺は逆上がりが得意だったのだ

小学校の昼休み、自分の両隣にある教室机に手をかけた俺は、体を宙に浮かし、腰を鈍角に曲げ、足の先までピンと伸ばした。俺は逆上がりが得意だったのだ。棒がなくても空中で回ることができると思っていた。本当に思っていたのだ。メトロノームの振動をだんだん大きくするみたいに体を揺らし、その振れ幅が限界まで到達したとき、反動に身を任せて平然と足を上に振り上げた。教室の天井が見えた。一瞬ではなく、ずっと見えていた。俺は頭を打ち付けると思った。しかし、次に目の前にあったのは青い空とタワーマンションだった。俺は空中ブランコにぶら下がった逆さまのサーカス団員みたいな体勢で、その建物の前を落下し、いくつもの雲を通り抜けていった。何千何億ものベランダを目の当たりにし、この自由落下が終わる気配は一向に感じられなかった。空の色は変わることなく、時間の概念はないように思われた。体に力は入らず、視界を通りすぎていく数多のベランダを延々と見させ続けられたが、目を凝らすと白いカーテンの奥に幼い頃の自分の姿があることに気づいた。その時、このタワーマンションが映画のフィルムと同じ意味合いをもち、ベランダ1つ1つがコマだということに気づいた。これは、走馬灯だったのだ。まもなく、タワーマンションの底が近づいてきた。白いカーテンの奥にはうっすらとあの教室の光景が浮かび上がっていた。その中で、ぐわんぐわんと大きく体を揺らす影がある。「やめろ!」。その叫びは届かず、影は宙に浮いた。俺はめちゃくちゃエロいことを考えた。俺の珍棒はみるみるうちに伸びていき、ベランダの窓を突き破った。影が俺の珍棒を握った感触が確かに伝わる。目が覚めた時、俺は拍手喝采を浴びていた。教室のみんなが誉めてくれていた。俺は逆上がりが得意だったのだ。


小さい頃からお金をもらうことが好きでした