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結局自分を愛することが、世界平和に繋がるということ。

大統領選で色々と不穏なニューヨークからお届けしています。

最近だいぶ精神力と体力を取り戻していて、また、今年はシングルリリースに当たって多くのWebメディアなどが記事で取り上げてくださったり、インタビューを受けることもあって、改めて客観的に渡米前からここまでのことを客観的に思い出したり振り返ったりできるようになってきました。

突然のアメリカ移住へ至った伏線を振り返る


渡米を決めた理由は、1つではなく、長年の流れの中で積み重なった要因のミルフィーユが2015年末に完成して、「アメリカに行くしかない!」という1つの結論に達したのですが。

そんなに唐突に大きな人生の決断に至った大きな要因が

新しい学びや変化がほとんど感じなくなってしまったこと。
この先の人生と、自分の天井が見えてしまったこと。

当時、「いつかシンガーソングライターとして再起して認めてもらえるために」、シンガーソングライターの活動を休止して、作家として5年大爆進し続けた私。
まさに猪突猛進。歩く太陽・もしくは核爆弾。
すごいエネルギーで、アホみたいに曲を書いて、たくさんの素晴らしいアーティストさんに歌っていただいたり、 アニメやゲーム主題歌もたくさん書き、雑誌やTVに出たりもするようになっていた。


「安定」にゾッとしてしまった。



実は私の人生はずっとずっとかなり激しくて、10代後半からずっと、毎年何か大きな転機が起こり、その流れにババっと乗って、ガシガシ行動を起こしては夢を叶えていく。
決して嬉しいことばかりではなく、時には宗教的な事務所でDVに遭い、最後には拉致監禁されたり、プラス極貧、栄養失調で死にかけたり、結婚したものの3年後に突然離婚されて今度は拒食症で死にかけたり。その後過労による病気で倒れたり。

なかなか壮絶な珍道中、本当に学ぶことがいつもたくさんあって、全力で学び取って成長してきた。
どんな辛いことがあっても、神様が「もっとパワーアップできるよ!」と言っているようにいつも感じて、そこに絶対の信頼があった。

そうしてほぼ毎年のように大きな転機を何かしら繰り返しながら、伸びていった人生だったのだが、2014年くらいからそういう大きなうねりを感じにくくなり、自分と自分の周囲のエネルギーが安定し出した。

何も考えなくても仕事が回っている。お金のことを心配することもすっかりなくなっていた。
作家なんてはっきり基本タイムスロットがある仕事じゃないので、好きな時間に寝て起きて、好きにカフェに行って仕事して。
仕事は大好きすぎて楽しくて我を忘れて没頭していたが、不規則ながら自分なりの「ルーティン」が出来上がったのだった。

つまり、考えなくても人生が回るようになっていたのだ。

そうなると、考えなくても生活に支障がない分、1年の記憶が薄くなり、時間がとても短く感じる。

小学生の頃を思い出してほしい。
1年がとても濃密で長かった。
何年生の夏休みに家族であそこの山に行った、とか、この年は誰々くんに片思いしてたとか、明確に思い出せることがたくさんあるし、毎年身長とともに人間としても成長し、別人のように成長していくものだった。

周りの大人に、年をとると時間が過ぎるのがあっという間だよ〜とよく聞かされたからこそ、自分もそうなっちゃうのかな?嫌だな。と思っていたけど
私の場合は割と、小学生並とは行かないまでも、近い感覚で毎年大幅アップデートを繰り返し、変わり続けることができた。

それを、急に感じなくなったんです。

このまま行けば作家としてある程度安泰の人生を送るだろう。
だいたい似たような日々を繰り返して、たくさんの曲を書いていくだろう。
23歳頃から更新し続けた大量のノート。そこになんどもなんども書いた夢リストの多くがだいたい叶っていて、
叶っていないのは、シンガーソングライターとしての成功に関するものくらいだった。
ノートに新しく書くことがなくなっていた。

自分の伸び代の限界が見えていた。
人生のその後と、天井が、見える。

そのことにゾッとした。


無理だ。こんな生き方はできない。
心が死んでしまう。
なんとかして変えなければいけない。


理由は他にもたくさんあったのだけれど、この先が見えてしまった感覚は、全ての「何かを変えなければいけない理由」を一つに繋げ、私の足元と背中をぐいっと力強く押した。

日本語禁止令


この選択が結果的に、人生最大の転機となった。
ニューヨークなんか行ったこともなければ、地図上でどこにあるのかも知らない状態、もちろん友達も一人もいないという、全てがゼロの状態で渡米し、冒険と開拓し、ビザを取得してついに移住した。

そこまでは、まじで希望と野望に溢れ、「よっしゃ戦うぞー!!」という炎がボーボーに燃え盛っていた。

ついに正式移住が叶ってから、私はかなり自分にスパルタな課題を科した。


とにかく英語をネイティブレベルにしたい。そのためには、定期で通う学校や職場のない私は、まじでゼロから自分で切り開くしかない。

ビザ取得するまでの数回のニューヨーク滞在では、知人の紹介やそこからの輪が広がって、実にたくさんの在米日本人の先輩方に助けていただいた。

が、アメリカではなんだかんだ、日本人以外の人たちはパッと友達になれた!と思ったら一回会っただけで2度と会うことがなかったり、ライブ行くよ!!って行ってても一回も来なかったり。とにかく想像を絶するルーズさ。

なので、毎回行くごとに多くの友達ができたように感じるのだが、次に行った時に再会できるのが日本人ばかりなんですよ!!
約束が約束として毎回きちんと機能するのが日本人ばかりだったの。

だから、気づいたら移住前、3回目の渡米時には、ふと気づいたらニューヨークにいるのにほとんど日本語しか話してなかった。。
東京にいるのと全く変わらんじゃないか!!

ということにめちゃめちゃショックを受けまして。

移住後は、日本人とは極力会わない、日本語使わない、日本のSNSも極力見ない。
という個人ルールを設けて、心機一転。
マジでほぼゼロのスタートを切った。

駅での偶然の出会いや、演技クラスでできた友達、ライブハウスでの出会い。
そんなところから、守られない約束や、日本では考えられない多くの困難トラブルを乗り越え、すこーしずつ、友達を作っていった。

日本語断ちのハードルを、今思えば厳しくしすぎていたかもしれない。
親友や、家族にすら連絡することなく、愚痴を話せる相手もほとんどいない状態で、(ルームメイト2人が日本人で、生活の最低ラインの安全保障としてとても安心だった。)色々手痛い失敗にたくさん泣きながら、必死で自分を奮い立たせて学んでいった。
(それらの戦いの軌跡は、移住後のEPやシングル曲へとなったのである。)

あの、小学校時代のように・・・どころか、英語レベルからいうと、2歳3歳から人間をやり直している感覚だった。

しんどくも、楽しく、新鮮で
興味深い発見や学びがたくさんある。

何ヶ月かごとに、「あ、今5歳くらい。」「んー、ついに10歳くらいに感じるぞ!?」なんて、成長の手応えを感じるのも嬉しい瞬間だった。
(今はありがたいことに年齢相応の知能指数に感じるようになりました。涙!)


ハードモードすぎて魂が折れる


成長は嬉しい!
とはいえ、その道すがは思った以上にハードモードすぎた。
手痛い!!
いちいちの失敗が本当に手痛くて厳しくて、心身が削られる。

単純に、異国で頼れる家族や親友、ファンのひとたちもいない状態で、拙い5歳児レベルの異国語でしか戦えない土台だから、チャージができないのもあるだろう。
個人的に、家族はもともと長年あまり連絡を取り合う感じでもなかったけど、仕事人間の私にとって、一番辛いのはファンが全然いないことだったな。
どんなに辛い時でも、ファンの人たちの笑顔を見たら全部吹っ飛んだもん。。

まあそんな状態で奮い立たせてなんとか活動を形にすべく全力で頑張ったのだが、きつい試練が次々と巻き起こり、「歩く核爆弾」でおなじみだった私も、去年の今頃〜年末に、ついにエネルギー残量がゼロになってしまった。

信じられなかった。
人生で、どれだけ過酷な出来事が起きて、肉体的に死にそうでも、夢とか、野望とか、魂的に燃え盛る炎は、一度も消えたことがなかった。

それがあったから、何度か死にたいとか死にそう、という時があっても「いや、私はまだやらねばならないことがある!」と奮起できたのだけど、
その「魂の炎」みたいなものが、人生で初めて消えてしまったのです。

衝撃的でした。
夢がなんだったか、自分がいつもみんなに語ってきた人生哲学や、神様についてのこと、どう人生を開拓してきたか、何も思い出すことができなかった。
肉体的には割と元気でした。逆に。
肉体的に元気なのに、魂が死んでるの。
笑ったり話したりはできるんだけどね、鏡の中の自分が、自分じゃなくて、かつてしほりであった何かの抜け殻、みたいな感じで生気がない。人形みたい。

今まで当たり前に神様と繋がってパッと作曲、7歳からずっとやってきたのに、その神様と繋がるストローも、消えちゃったんです。

ああ、人生詰んだかも。
もう、音楽家としてはやっていけず、このまま何も成し遂げられない人生を送るかもしれない・・・。そんな数ヶ月を過ごしていました。

そんな自分を味わったことがなかったし、
「頑張れない」ということが理解できないほど、パワフルが爆発しまくる人生だったから、どんなに頑張ろうと思っても、頑張り方すら思い出せない自分が本当にショックで、プライドも折れまくった。


何もない、何もできない自分を愛するということ



人間的に色々欠けてる、ダメなところがあるけど、音楽すげえししほりだからしょうがないか。みたいに可愛がってもらえる人生だったけど、人間的に欠けてて、音楽も作れない私なんて、全く価値を感じることができなかった。


私って誰だっけ?
どうやって生きてたんだっけ?
しほりってどんな人間だったっけ?


暗闇の中、手探りで、自分を探した。
自分に問いかけた。
私の中の私は完全に心を閉ざしていて、まるで応答がなかった。
泣く、ところまでもたどり着かないほどに、奥深くで膝を抱えて顕在意識の私を拒否していた。

でも、もし、もう音楽がダメだとしてもでも、とにかく私は私という人生を生きる。私の魂を救えるのは、私しかいないじゃないか。
問いかけ続けた。向き合い続けた。

「しほりちゃん、何が嫌だったの?これが怖かったね。辛かったね。ごめんね。」ってひたすら自分の心に声をかけて抱きしめるの。

少しずつ、反応してくれるようになった。
少しずつ、感情が出てきて、泣いたりもできるようになった。
次第に、怒れるようになった。自分でね、一人でね、

そうすると、わーって子供のようにわんわん泣くようになった。
そんな、自分を癒して、探す中で私は気づいた。

いかに自分の、自分に対する愛情が、条件付きだったかということを。

私はいつも、コンプレックスはたくさんありつつ、最終的には自分のことがとても好きだったけど

最終的に自分のことが好きだったのであり、基本的に好きというわけではなかったのだ。
めっちゃいい曲を書けた自分、いつも瞬殺で仕事をこなしていける自分、そして絶え間ない努力の果てに夢をかなえたり成果を出した自分、どんなに苦境でも、辛くても、心が折れそうでも絶対に負けずに戦って乗り越えた自分。
そんな、超熱血戦士な自分が好きだった。

さてさてアメリカに来て、言葉は不自由だわ、人脈も十分になくて、自分の才能を活かせる機会がなかなかないわ
曲も書けない、戦えない、成果も出ない、頑張ることすらできない・・・・。
そんな何もない自分が、完全に無価値だった。

ダメダメな自分を愛する


これが、これが、これが、きっと私に一番欠けていたことだったんだって目の当たりにしたんです。
他でもない他でもない自分への無条件の愛が欠けていたの。

かなりの衝撃でした。ずっと、愛のメッセージを世界に伝えたくて、その目標にひた走ってきた私が、自分への愛がなくて、だからきっと、こんなにも自分を鞭打って鞭打って、奮い立たせて無理やり走らせ続けてしまったんだな。
それが、間違っているということは、離婚後、メニエール病で倒れて体の融通が利かなくなって以来、サインとしては痛切に理解していたし、この生き方は間違っていて、どこかで軌道修正しなければいけない、と思ってはいたのだが
逆流に逆らって上り続ける慣性の法則が根付いていた私に方向転換をするのはとても難しく、アメリカにきたことで、「いやマジでもう変わる時だから!」って、強制的なリセットを突きつけられた感じでした。

この衝撃の事実に気づいた時点では、上記の自分で誇れた自分のいいところというのが、一つもなくなっていたので

とにかく、何もできない自分を受け入れ、許すことから始めた。

全然やる気が出ない自分でもいいよ。
全然頑張れない自分でも愛してるよ。
何にも書けなくても、夢も野望も思い描けなくても大好きだよ。



そんな風に、日々無力で非生産的な自分に、何にもなくてもOK、大好き、愛してる、と声をかけ続け
自分が何が好きで何が嫌いか、ゼロから探して、「カフェ行きたい」でもなんでも、小さな願いを叶えてあげることから再スタートした。

その時点では、体感としてはマジでこの先音楽家に戻れる自信がないくらい打ちのめされていて、この後全然音楽と関係ない人生になるかもしれない可能性も覚悟しながら、「それでもOK」というスタンスで地道に自分を愛する練習をしていった。


そんな地道なセルフリトリート中、10/23にリリースしたばかりの最新シングル「I cover you」の断片が降ってきたのだった。

https://music.apple.com/jp/album/i-cover-you-single/1535323124?l=en

全部英語なので、訳を記載します。




「I cover you」


My little girl
絶望に打ちひしがれ伏せている
ずっとずっと、扉を叩き疲れて

君が何も言わない時
それは大丈夫だから、ではなく
ただ私が気づかなかっただけだったんだね

ごめんね、ごめんね
気づかなくて
どれだけ君を傷つけていたか
そしてどれだけ私に気づいて欲しかったか
泣いていいよ、泣いてもいいんだよ 大きな声で
約束する
今夜、君と一緒だよ

君を守るよ
君を守るよ
私の中の、小さな少女

恐ろしい考えや雑念がやってきて
心の窓を覗き込んできたら
私が君を隠すカーテンになろう
明日になるまで

ごめんね、ごめんね
気づかなくて
どれだけ君を傷つけていたか
そしてどれだけ私に気づいて欲しかったか
泣いていいよ、泣いてもいいんだよ 大きな声で
約束する
今夜、君と一緒だよ

君を守るよ
君を守るよ
私の中の、小さな少女


自愛から始まる、本当の優しさ



そんな、何もかもがゼロに崩れ去ったところから、一個ずつかけらを集めて自分を再発見する作業をゆっくりゆーっくり続けて、今年8、9月にリリースした曲も降ってきたり。(涙)

「Perfect Imperfection」

https://www.youtube.com/watch?v=MLfulHh6lr4&feature=youtu.be

今年のシングルたちはこんな風に文字通り、私が自分を完全に見失って、何もない自分でも無条件に愛することを学んでいく
その過程が、ほぼリアルタイムでめちゃくちゃリアルに表現されたものとなりました。

そしてそのリリースのタイミングで偶然にもコロナパンデミックが起こり、世界中の人たちが「当たり前だった」日常を失い、先の見えない不安に苛まれるという事態が起き、このリアルすぎる、自愛探求のメッセージが今年このタイミングで出た不思議なご縁すら感じました。


よく言われる事だけど、自分が溺れそうなのに溺れている人を助けられるわけないし、人に優しくというけど、自分が自分に優しくできないのに本当の意味で他人に優しくできるわけがない。

もし無理して他人に優しくしてばかりいるけれど、その結果自分の痛みを無視したり押さえつけているとしたら、それって本当に優しいと言えるのだろうか。

日中「お客様は神様」の精神で神接客に疲れ切って、通勤電車の中や家庭で周囲に優しい気持ちになれない人たち・・・そんな日本人の姿も思い浮かぶ。
それってある意味答えだと思う。

自分にちゃんと優しくしていれば、勝手に溢れ出た余分な優しさが、「優しくしよう」なんて意識しなくたって周囲に伝播してしまう。
旦那さんの心が余裕あって十分に優しかったら子育て疲れのママも、元気出るだろうし、ママが幸せいっぱいだったら子供はもちろん幸せに決まってるし、子供たちが幸せいっぱいな姿は、多くの人に幸せを与える。

結局、誰か一人がしっかり心から幸せになる事。
そして人を変えることができない以上、本当の意味で自分を幸せにしてあげられるのは自分しかいない。

結局、自分が自分を幸せにすること。そこからしか始まらない。

そんな個人が何十億も集まって構成されたこの世界で
あなたが自分を幸せにすることは、つまり世界平和の貴重な一端であるということを、一人一人が知っていけたらいいなぁ、と思いながら、「自愛シリーズ」シングル3作を、お届けしている2020年です。


超絶長くなってしまいましたが、ここまで読んでくださった方がいらしたら、ありがとうございます。
もしよかったら、そんな丸2年のコンクリートジャングル・ NYで奮闘
して燃え尽きた結果生まれた、3つの自愛【Self-Compassion】シリーズのシングルも聴いてみてくださいね!

しほり。

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