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あなたは完璧な存在として生まれてきた⑴

シンガーソングライターとしての活動も随分長くなってしまいましたが、その中で長年「ありのままの自分らしく生きたい」「そのままの君が好き」というメッセージに固執し続けてきました。

全く違う曲調で、時に死ぬほど切実に、時に喜びと確信を持って力強く。

それは多分私自身が、ありのままでいることをあまり許されない環境の中で激しく葛藤し、抗い続けてきたからなのかもしれないと最近思った。

「色々と欠けている子」


今の私を見ているとさっぱりイメージが結びつかないだろうなと思うけれど
色々と欠けている、と見える状態で生まれてきた。

まずは、左耳が奇形だった。
聞こえは大丈夫なのかと不安に襲われる両親に医者は
「聞こえにも影響があるかもしれない」と告げた。

当の私にとってはこの聞こえが生まれつきなので、別に特に不思議に思うこともなかったけれど、多分9歳の頃に
「ああ、私の左耳って聞こえないんだ。形がみんなと違うんだ。」
と気づいた。記憶の中では。

そしておそらく片耳が聞こえないことと、強いアスペルガーの傾向があって、他人に一切興味を持たず、いつも一人で自分の世界に没頭して何かを無心に作り続けていた。
その集中力は異常なもので、例えばほうっておいたら何時間でも、何日間も1つのことに没頭し続ける。
母が買い物に行きたい時、TVの前に私を座らせて「みんなのうた」をつけて買い物に出て帰ると、全く同じ姿勢で画面を見続けていたり、折り鶴を覚えたら、何袋もパンパンになるほど毎日鶴を折り続けたり・・・身近な大人の多くは私のことを理解して支えてくれていたんじゃないかと思っているのですが、人によっては「いつも声かけても無視して・・・感じの悪い子ね」と悪く言う方がいたり、学校でいじめにあったりもしました。

今より随分昔の、田舎でのことなので、耳の形が何かおかしいと気づいただけで白い目で見られたりして、母はとても辛く思っていたようです。

10歳、11歳の頃、耳の形成手術を受けました。
1度目の手術で母の肋骨の先をカットし、私の耳の後ろに埋め込み、翌年埋め込んだ軟骨を馴染ませた周囲の肉ごと掘り起こして元の耳に縫合するという、なかなかの大手術でした。

「せめて見た目が普通になったら」という両親の願いがあってのことなので、気持ちはありがたく受け取りたいところですが、この手術はのちに結構後悔しました。
肉を掘り起こして作った部分には太ももの内側から皮膚を取ってかぶせる、と医者から聞いてましたが、全身麻酔から目が覚めると、なんと太もものど真ん中から四角く皮膚が切り取られていたのです。

ちょうど思春期だった私は本当に傷つきました。
水泳や体育着など脚を出さないといけない機会が苦痛でした。

そして、もう一つは付け足した耳を掘り起こした時に頭皮ごと掘り起こされたために、耳から永久に髪の毛が生え続けるのです・・・。
正直かなり見た目が汚いので、人と同じになるどころか見た目としては髪の毛が生えてくる耳と、四角いケロイドの傷跡が残る脚という、あまりいいことがない結果になってしまいました。

その手術と同時期に、小人症であると診断され、このままだとかなり小さいまま成長が止まってしまうと言うことで、成長ホルモンの注射を打つ治療を始めることになりました。

これにはかなり本気で「絶対に受けたくない!」と抵抗しましたが、1mmも許されることがなく、強制的にホルモン治療がスタート。
こちらは主治医が「こんなに伸びた例は初めてです!奇跡としか言えない!」と大興奮して喜んだほどの大成功で、16歳ごろで成長は止まったものの、まさかの153cmまで伸びました。

障害がもたらした葛藤と哀しみ

結果よかったんだからいいじゃないか、親には感謝しなきゃダメだよ、などといわれる意味はもちろんわかるし、私自身心から親の愛情には感謝してきましたが、それらの経験を通じて

「なんで見た目がみんなと同じじゃないといけないの?」
「なんで生まれたままの私では許されないの?」

というどうしようもなく深い哀しみが根付いたようです。
今思えば、特に日本は単一文化で、驚くほどに1つの価値観を「常識」として共有していて、その規定から少し外れたら「ダメな子」「間違っている」と責められますよね。

そんなわけで逐一、型にハマることができない「出る杭」として叩かれまくりながらも、やはり自分を曲げずにやがて音楽家になったわけですが、そうした「ありのままの個性」を否定され、叩かれた経験が、どうしようもなく切なるメッセージとして音楽に昇華されていくこととなりました。

「みんな完璧に生まれてきた!」
「あなたはもうそのままで素晴らしい!」


時々、それを「努力しなくてもいい」と曲解する人もいますが、そう言う屁理屈は置いておいて、「人と違うことを悪とする」ことのナンセンスさをアホかと言うほど痛感した私は、「本当は自分らしく生きたいのに・・・」と苦しんでいる人たちに「それでいいんだよ!!」と人生をかけて伝えていきたいと、強く強く願ってきました。

今、多くの人が同じ感覚に苦しんでいる

そういった「ありのままの君が好き」ソングたちに、号泣する人を多く見かけるようになったのは2007年くらいだったでしょうか。

20代前半〜半ばの、新社会人として奮闘している男子や、赤ちゃんや小さい子の育児で一生懸命なママ・・・きっと自分なりに信じてるものがあって意気込んで頑張っているけど、思うように行かない現実や周りからの言葉で自信を失ってしまっている・・・そんな人たちが強く共感していたように見えます。

ああ、こんなにもたくさんの人が、自分らしさと同調圧力との軋轢に苦しんでいるんだ・・・こんなにも「みんなと同じ」が美しいとされる日本だけど、実はそれがしんどい人も思ったよりたくさんいるのかもしれない。
と気づき始めました。

色々としんどい子供時代だったけど、もしかしたらこのメッセージを伝えるためにわざわざこの人生がコーディネートされたんだなぁ。とも思うようになりました。

だとしたら、「色々と欠けている」と散々周りからチクチクいじめられたりしていたけど、今となってはこの足りなさを含めて、

めちゃくちゃ完璧な形で生まれてきたんだなって思うわけです。

今すぐにわからなくても、誰かがどれだけあなたを理解しなくても
あなたは完璧なんです。
あなたも知らないだけで、それはもう、そのままで最高に美しいんです。


そんなわけで、7/31、アメリカへ移住して3作目のシングル
「Perfect Imperfection」
Bandcampにてチャリティ販売開始です!
https://shihori.bandcamp.com/album/perfect-imperfection-wonderful-world

8/7にApple Music や Spotifyなど世界中のプラットフォームでデジタル配信開始になりますが
親友のレザークラフト&イラストアーティスト、eriちゃん(eri's Art love & peace Factory)との愛の祈りが可愛らしく溢れるコラボ曲「Wonderful World」はBandcamp限定販売になっております。

料金は、約210円(1.99ドル)からいくらでもお好きな金額を設定可能で、Bandcampでの売り上げは、性暴力、DV、児童虐待被害者をサポートする支援団体へ寄付させていただきます。

アメリカでの奮闘編もまた書きたいと思います。

それではまた!

しほり

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