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強み弱み、妬み嫉み

甲斐性なのだ。生まれてこの方。全細胞が、つい、お節介を焼くように仕組まれている。
路にバナナが落ちてるなら端の方に除けておくだろう。空から鳩が降ってくるなら最寄りの動物診療所に連れていくだろう。
バイトの代打は断れない。故に、大学授業を欠席する。そんな人間がここにいる。

天性の才能と謳おうか。もう治せはしない、先天的な病気だろう。
だから僕は、僕に備わったこの性質を”強み”と呼ぼう。性、さが、せい。甲斐性という人種に分類される。


では、弱みはどうだろう。つい、してしまうことで、今後役に立たないものを探す。
声を荒げてしまうことだろうか。音量を制御できない性質は厄介だ。

「怒るとすぐ声がデカくなるから分かる」と言われたことがある。
うん、確かに。思い返すと声がでかい。恥ずかしい。周りも同意していたのが、さらに恥ずかしい。気性の激しい人間から卒業したとばかり思い込んでいた。恥じる、恥じる。

音量の大きさは、演劇部由来の産物である。声が大きいと褒められる集団に所属していた。声が大きいことは、通常恥じ入ることではないはずだ。ご来店の挨拶は大きければ大きいほど良い(そんなことはない気がする)。
ふむ、内容がいけないのだな。
もちろん罵声を浴びせるなどはしていない。事務的な伝達を馬鹿デカい声で行っているのみ。
待て待て。冷静な事務連絡の方が伝わりやすいのでは。声を張り上げて行う必要はないのではないか。

僕は大きな勘違いを起こしていた。はっきりくっきり明瞭に、かつ急かして言う言葉は、恐喝かなにか。怖いな。路地裏に呼び出されている気分だ。
”声が大きい”という要素は、なるほどそれだけで威圧的だ。仲間だと認めてもらうにはそれなりの音量調節が要る。


気分が極端に落ち込むことは少ない。だからきっと、僕はおおかた気性の穏やかな人間だ。
客観視すると、そうでもないらしい。
このギャップを生んでいるのが、馬鹿になった音量調節。
自己解剖は面白い。

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