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誰の目にもとまらなかったとしても、あなたはそれを続けられますか?

 noteの投稿でよくライターになって人の心を動かせるような、救えるような文章を書いていきたい! みたいなキラキラとした意気込みを見掛ける。

 実際は文章でそうそう心を動かされたり救われるようなことはないし、究極的な話をしてしまえば誰が書いたかなんてほとんど興味を持たれない。それどころか、書いた記事そのものを人々は残酷な程無関心にスルーしていく。

 noteみたいなブログ系の文章や小説・イラスト等の創作活動などクリエイティブなことはどのジャンルも供給過多だ。わざわざ求めなくても供給されるものが山程あるのだ。

 にも関わらず、私は何かしらを書くことをずっと続けている。小説に関してはネットで小説を公開し始めてから約12年となっていた去年の12月以降、心が完全に折れてしまって書けなくなってしまっているのだけれども、それでも今もこうしてnoteを書いていたりする。

 別に自分の作品が、noteが消えてしまったところで誰も何も思わないかもしれない。

 実際に一番好きな作品の作者の、その作品に対する度重なる砂かけ行為に嫌気が差してしまって、またそんな好きな作品を貶める行為をするからこそその作者が大嫌いだしディスっていたのだけれども、それが原因でとあるフォロワーさんにリムーブされたことに納得がいかなくて、そんな作者を擁護する人達も含めて嫌になってしまい、そのジャンルのたくさん書いてきた二次創作を全部非公開にして、たくさんブックマークしてきたイラスト等も全部削除してしまったのだけれども、それでも特に何の反響もない。

 現実は実に非情である。

 でもそれでもなんだかんだで筆を止めることがない。


 それだけじゃとても立派なことだとは言えないけれども。

 真に物事を成す人は、誰の目にもとまらなかったとしても、何の反応がなかったとしても続けられることにプラスして、じゃあ、どうすれば他人の目にとまるのか、評価してもらえるのか愚直に追求し続けられたり、とにかく数をこなすことができる人なんだろう。

 だから、どうすれば良いかを追求して実践したり、数をこなすということができていない私は、結局のところただ書き続けるだけの人なんだろうなと思う。

 でも、少しでもどうにかしていきたいなと漠然と考えている。そして、もしこれを読んでいるあなたが何かしらのクリエイターであるのならば、こう願う。


 誰の目にもとまらなかったとしてもあなたはそれを愚直に挫けずに試行錯誤しながらやり続けて欲しいと。

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