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SNSが苦痛

noteを「少しでもいいから毎日更新しよう」と思っていた気持ちは真実ですが、2週間ぶりの更新です。

ブログ、note、インスタグラム、ツイッター、facebook 等々、私のような自営業者が更新を頑張らなければいけないものはいろいろありますが、前に挙げた中で私が好きなのはfacebookだけ。

他はあまり気が進みませんし、インスタグラムに関してはスマホからの更新になるので(PCから更新できるツールも使ってみましたが、良くなかった)、インスタグラムに写真をアップするまでの手間が苦痛。でも、写真をやっているならインスタは必須ですよね・・・インスタが早くオワコンになりますようにと心の底から願っています。(インスタ大好きな方ごめんなさい)

そんなSNS疲れしている私のタイムラインに流れてきたこのnoteの投稿。

上の投稿から引用。

「じゃあ、SNSやめたらいいじゃん?」
っていうのは、それは今度は、今の世界で個人で価値を持とうとするときには自殺行為に近い。SNSというのは、市場経済へのアクセスを個人単位で可能にするツールとして現在機能しています。これまでは企業に属したサラリーマンや、ある程度以上の社会的身分の高い人しか回し得なかった「価値の循環」に、個人として参加しうる場所がSNSなんです。その象徴であるインフルエンサーが「インフルエンス」を持てるのは、彼らが極めてよく「流通」するからであって、彼ら自身になんらかの実質的価値があるかどうかは実際には問題ではないです。だからSNSをやめるということは、流通の停止であり、それはフリーランスのような個人で戦うことを選んだ人間としては、価値を生み出す手段を絶たれることを意味します。

ほんと、そうそう、まさにその通り!
更新しないと仕事の集客に影響が出るので、たいして更新もしていないくせにSNS気疲れしちゃっている状態です。たいして更新もしてないくせに!

昔趣味で写真ブログをやっていた時には、更新も苦痛ではなかったし、こまめに写真をアップして文章も書いていました。

やっぱり「好き」でやるのと「仕事のために」は違う。「好き」なら書いた時点で満足するけれど、「仕事のために」と思うとそれに伴う結果を求めてしまうんですね。

インスタグラムも「これを使って集客」という思いがあるから苦痛なのであって、インスタでほかのユーザーと交流をもつことが目的なら楽しめるのかもしれません。(スマホからの更新が面倒であっても)

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他のSNSと違って、私はfacebookを集客や仕事のために使おうと思ってはいません。ほとんど一人で仕事をしているのでさみしく感じる時に、facebookの投稿に友達がコメントしてくれることでさみしさが紛れたり、嬉しくなったりします。そこがfacebookの好きなところ。

別所さんの投稿を読んで、どうしてfacebookだけが苦痛でないのか、改めて理由を認識しました。

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そしてnote。
尊敬しているワタナベアニさんの影響で、「自分の好きなことを発信しようと」始めましたが、「まずはポルトガルの旅日記を書いてから」と思いつつも気分が乗らない日が続いたりして、結局何日も空いてしまっていました。

あとね、別所さんとかフォロワーがたくさんいる方なら、書いたら読んでくれる人がたくさんいるけど、私が書いたものを読んでくれる人がいるのか?っていう気持ちがね、私からnoteを遠ざけていたんですね。

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誰かが見ているから書くのではない。誰も見ていなくても、書く。
ストリートミュージシャンが誰も聞いていないからと演奏をやめたら、格好悪い。

と、以前受けた文章講座のワークショップの講師の方が言っていました。

私のnoteを読んでくれる人はたくさんいないかもしれないけれど、書きたいときに・書きたいことを、書いていけたらいいなと思っています。

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今日は時間ができたので、1人で元町散歩しました。リフレッシュできたので明日からまた頑張ります。

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