自分史的なクリッピング史料

今乱読中の本の中に絵本にまつわるものが3冊ある。正直なところ、自分の幼少期にはABCブックという絵本が毎月?家に届けられていた気がする。調べるとやはり50年以上前に全26巻、古今東西の話が絵本として配布されていたと。オレンジ色の結構ハードな細長いカバーだった記憶が・・・。

でも絵や字面を追うということに興味もなかったので、ほとんど読んでいない。なぜなら当時はレゴに夢中だったからだ。そういえば、近くの公園で紙芝居もやっていた。アイスクリーム屋さん兼という形だったか、紙芝居が終わるとアイスを買わされた?(という表現が正しいのか分からないけど)という記憶が。絵本に関する記事も沢山クリッピングしているけど、今日は紙芝居について。

2022年3月20日 朝日 文化 世界へ広がるKAMISHIBAI

冒頭でフランスでは紙芝居を「魔法の箱」と呼ぶと始まる。紙を抜くたびに新しい絵が出て物語が進む様子は海外では驚きをもたらすらしい。今でも芸人が時折り紙芝居風なネタをやっていたりするので、まだわずかにその名残に触れることができるのだろうか。テクノロジーの進展と共に、パワーポイントのスライドショーなどを使えば、画面で紙芝居を展開できるし、その方が現実的なのだろうか。

紙芝居は1990年代以降、ベトナム、ラオスを皮切りに海外へと広められたとある。紙芝居文化の会というのが2001年に創立され、ヨーロッパやアジアで講座を開き、56の国・地域で約300人の会員がいると記されている。

同会の会長さんは、絵本は「心の中で個の感性を培って行くもの」とコメントされている一方、「紙芝居は数十人の観客を一同に引きつける力を持つ」とも。一緒に見ていた人たちの間で共感などが生成されるのだろう。

現在の紙芝居の歴史は1930年に誕生。今から100年も前になる息の長い文化。「黄金バット」などの人気作も誕生したとあるので、当時ならではのクリエーティブ。ただ絵を見るだけでは "静なるもの" だったのかもしれないが、紙芝居が "動なるもの" に変換してくれたことに子どもたちは夢中になったのかもしれない。1930年代には、東京だけで約2000人の街頭紙芝居業者がいたらしい。後にキリスト教の布教や幼稚園敎育のために印刷・出版されるようになり、戦時には戦意高揚のための国策紙芝居にも展開された。

そういう意味では、予期せぬ活用へと展開された歴史的な背景があるという事実を改めて知る。でもテレビの普及と共に押し出される形で衰退。67年には文部省の教材基準からも外され需要も激減とある。小学校でも紙芝居を先生が読んでくれた記憶があるような、ないような・・・。

今では、絵本は毎年1000点以上の新刊が出版されるが、紙芝居は60点前後。その販路は幼稚園や保育園への直販だというから、普段書店などで目にすることはない。一方でいまどきらしさは、高齢者施設などでの活用が広がっているという。また地域の伝承を伝えるものなども各地で作られたりしていて、息も絶えだえながらなんとか生き残っているという凄い芸能文化ではないだろうか。

白百合女子大学の浅岡先生のコメントも載せられているが、「動的静止性」の特性と称してその特徴を指摘されている。TVアニメより遅い流れは視覚からの情報理解をより豊かなものにすると同時に、想像力が膨らませる余裕ができることがグッド・ポイントだと。

紙芝居研究が進むこと、注目されることを期待するという締めの言葉があるけど、少なくとも、その歴史や未来へ向けての延長線を想像して見たいなぁとちょっとだけ思ったりして・・・。記事の左隣のコラムには、紙芝居芸人ZAZYのコメントが寄せられているけど、紙芝居もデジタル変換されることでテンポよくできるネタもあれば、変な間を創り出せるアナログの良さもあるとのコメントは何やら可能性を感じさせる。

紙芝居も読み聞かせや朗読みたいなものだからテンポによってはその作品における感情の出し方やトーンを変えられる。こうしたことなど含み考えると、デジタルへの変換が当然と考えずに、要は"バランス" って大事だなぁと思う。

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