自分史的なクリッピング史料

今日は薄日も出て比較的爽やかな日だ。今朝、愛犬と散歩していると、いよいよ本格的な猛暑に備えて、朝から愛犬の散歩に出ている人も多い。今日も相変わらずのかまってちゃんぶりを発揮し、遭遇した2匹の成犬に思いっ切り吠えられていたけど、そんなのも気にせず、直ぐにかまってちゃんモードに没入できるところが凄い。とにかく人も犬も大好き。ある意味ではホッとするところもある。近所の保護犬を飼っている方は未だに外に散歩にいけないでいる。余程の事があったのだろうか。犬でさえ記憶の中や心の中に深く傷を負っているのだろうか。

2022年5月8日 朝日 窓 時計屋としての意味

ちょうど2年前の記事を再読。冒頭ではセイコーウォッチの執行役員の方・萩原さんのコメントで始まる。「うちの時計だ」と。この方は夕食後に手にした新聞でその腕時計の存在を知ったとある。

記事の見出しは「元裁判長と 約束の腕時計」。50年前にあさま山荘事件を起こした連合赤軍メンバーで、無期懲役の判決を受け服役中の吉野雅邦受刑者に刑を言い渡した故・石丸俊彦元裁判長が贈ったものだと書かれてあったことに目が惹きつけられる。

石丸さんの退官後、吉野受刑者との間で手紙のやりとりが始まった。2007年に石丸さんは死去。「娑婆に出るときにはこの時計を身につけてほしい」との遺書とともに、石丸さんの奥さんから腕時計が吉野受刑者のお母さんに届けられた。この物語を安易に想像はできない。でも裁判長と受刑者の間での心の交流というものが成立するものなのだろうか、と少々疑問にも思う。

その腕時計は1980年代に製造されたセイコードルチェのクオーツ。誠実に仕事をしている持ち主の姿が想像できたと記されている。吉野受刑者が仮釈放されたときに、時計が動いていなかったら、石丸さんの思いがきちんと伝わらないのではないかと、萩原さんは思った。そこで製造元である同社でオーバーホールを申し出た。

この間に萩原さんのエピソードが差し込まれる。決して時計が好きだったわけではなく、入社後にデパートへの卸営業や商品企画を担当したものの、心血を注いで開発した商品もその後の営業に関われず閉塞感を抱いたとある。サラリーマンならよくある話だし、誰もが似たような経験をする。そこで萩原さんは自ら申し出て、スイスの子会社に異動した。

すると、スイスの職人たちと接したとき、彼らの時計づくりへの誇りや使い続けられる時計づくりにその矜持を持っていたことに感心する。自分は産業としての見方しかして来なかった。それからもっと本質的に「時計とは何か」を考え続ける。これも時計という商品ならではの話でもある。

時は誰にでも平等に与えられるが、個々の人たちの生きる時間は有限で決して平等ではない。でも時は人にとって最大の財産だと記されている。
そう、その通り。時は有限だ。だからその振り分け方を真剣に考える必要がある。萩原さんは、時を刻む時計は人それぞれに意味があり、その人の「人生の証」ともいうべきものだと感じていると。

萩原さんは預かった時計を、分解、洗浄して組み立て直し、弁護士の元に返したと結ばれている。時間を止めてしまっていた時計は再び動きだして、受刑者の針も進めてくれるのだろうか。何だか裁いた人と裁かれた人のこういう物語は心を打つものだ・・・と考えながら。新聞ならではサイズ感、ボリュームで読む記事。詳細までは追えないけど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?