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「スタグフレーションっ」て何?

“経済”を少しずつ知るマガジン


スタグフレーションって何?

スタグフレーション(stagflation)とは「stagnation(停滞)」と「inflation(インフレーション)」の合成語で、経済活動の停滞と物価の持続的な上昇が同時に起こる状態。つまり、不景気なのに物価が上昇すること。

スタグフレーション(stagflation)という言葉は、英国下院議員イアン・マクロード(Iain Macleod)が、1965年、議会での演説の中で使ったのが始まりでした。


雇用や賃金が減少する中で、物価が上昇してしまい、収入が減るうえ貨幣や預貯金の実質価値まで下がるため生活がさらに苦しくなっていきます。


スタグフレーションの要因

通常はインフレーション(物価上昇)と景気拡大とは同時進行で起こります。フィリップス曲線にみられる実証研究によりその有意性は評価されています。フィリップス曲線とは、フィリップス曲線(英: Phillips curve)とは、経済学において物価上昇と失業の関係を示したもので、アルバン・ウィリアム・フィリップス(Alban William Housego Phillips)が1958年の論文の中で発表しました。

スタグフレーションが発生するのは、供給ショック、物価賃金スパイラル、景気後退と通過価値下落の重合、税制上の問題などが要因によって、フィリップス曲線が右上にシフトするために起こると考えられています。

供給ショック

何らかの外的要因によって生産コストが増加し、それが販売価格に転嫁されるコストプッシュインフレーションの場合に起こりうるものデマンド・プル・インフレーションのように総需要の高まりによって、価格を上昇していく場合とは異なります。需要が変わらない中で価格が上昇するため取引量も減少することになり、インフレと不景気の複合=スタグフレーションになります。戦争や災害による生産設備の損傷や悪天候などといった供給能力の減少によって総需要に見合うだけの生産が出来ない場合にも、価格の上昇と取引量の減少が起きえます。

供給側の制約を十分に考慮せず、拡張的なマクロ経済政策(?)を続ければやがてインフレとなり、それを引き締めようとすれば、今度はスタグフレーションになるそうです(このあたり、わからない!)。

このような原因によるスタグフレーションの具体例として、1973–1974年の第1次オイルショック、1979年の第2次オイルショックがあります。これにより多くの先進国がスタグフレーションに陥りました。1980年代に入り、石油価格がほぼ半値まで低下したおかげでスタグフレーションから脱却できました。

物価賃金スパイラル

労働運動などを要件に恒常的・定例的な賃上げが不況下で行われること。あるいは賃金・価格統制が解除されることで賃金・物価がキャッチアップインフレを起こす場合。

景気後退と通貨価値下落の重合

通貨価値が下落するも、不況から脱せない場合。

税制上の要因

累進課税下でのコストプッシュ・インフレは増税に機能する、また企業の減価償却費の実質価値を減価させる。この要因から消費・投資行動に抑制的バイアスが働く。

実例

1970年代

1970年代、アメリカ・日本でインフレ率が二桁台に上昇し、失業率・インフレ率も高まるという状況が生じました。この時期のスタグフレーションは、石油危機によるコスト・プッシュインフレとして論じられることが多い。


イギリス

1960年代末〜1970年代におけるイギリスは、インフレと失業が深刻でした。マーガレット・サッチャー首相は、ケインズ経済学を放棄し、市場経済を重視する新古典派経済学の政策である“規制緩和・民営化・競争促進・福祉削減”を実行しました。これを「サッチャリズム」と呼びます。サッチャーのこの改革は、イギリス経済を建て直すことができました。しかしその一方で失業者を増大させ、地方経済を不振に追いやることにもなり、サッチャーは「血も涙もない人間」として批判されました。労働党のブレア政権が成立すると、サッチャーによって廃止された地方公共団体や公企業が復活し、また教育政策においても、サッチャー政権が導入した競争型の中等学校が事実上廃止され、公立学校の地位向上が図られるなど、サッチャリズムの弊害除去がイギリスの重要な政策にりました。(第三の道)。


アメリカ合衆国

アメリカ合衆国では、1979年の第2次オイルショックにより、スタグフレーションが深刻化しました。1980年代には、ロナルド・レーガン大統領による減税・規制緩和を柱とした経済政策「レーガノミクス」や当時の連邦準備制度理事会議長であるポール・ボルカーによる強力な金融引き締め政策によってインフレは終息しました。ボルカーの「ディスインフレ」政策は、1980年代のインフレを劇的に抑えた一方で、10%に迫る失業率を生み出しました。ベン・バーナンキは、1970年代のアメリカのインフレの原因について「民間の経済主体の高いインフレ期待が、高いインフレーションもたらした」と指摘しています。

日本

昭和恐慌
田中秀臣の主張では1927年、田中義一内閣がモラトリアム令を配布し、各民間銀行に日本銀行が巨額の救済融資を行い、取り付け騒ぎを鎮めたが、再三の日銀特融による日本銀行券の増発によって、不況の中のインフレの発生(スタグフレーション)に陥ったとしています。一方、中野剛志によれば、当時の大蔵大臣である高橋是清はケインズを先取りしたケインズ主義的政策を断行しました。1936年までに国民所得は60%増加し、完全雇用も達成したとも主張しています。

オイルショック
1970年代前半の石油価格高騰では、工業生産の停滞が起きたため、石油の需要にはブレーキがかかりましたが、生産縮小から労働需要にもブレーキがかかり失業増大を招きました。一方、1970年代末、多くの先進諸国が第2次オイルショックでスタグフレーションに陥る中、日本の影響は軽微に留まり1980年代後半からの好景気へ入っていきます。これは、産業の合理化や、第1次オイルショックでの過剰な調整により生産・雇用の余力があったことが原因と見られます。なお、1980年代はその初頭にふたたび石油価格が上昇してスタグフレーションを招いたが、その後は逆に石油価格がほぼ半値まで下落し「物価安定と好景気」が先進国を活気付けていきました。

サブプライムローン問題

2008年、サブプライムローン問題に端を発したアメリカ合衆国の不景気から資金が原油や穀物市場に流れて価格が高騰、その結果各種コスト高から物価が上昇させました。日本銀行の白川方明総裁は、同年5月27日に開かれた参議院の財政金融委員会で、日本がスタグフレーションに陥るおそれがあるとしましたが、7月17日の会見ではスタグフレーションの発生を否定する認識を示しました。その後、世界景気の急速な後退などを背景に原油・穀物価格は2008年後半から急速に下落、翌年にかけては内外の需要の落ち込みと輸出の急減で個人消費や消費者物価の下落が顕著となり、結局はデフレーションまでにとどまりました。

2015年

経済学者のポール・クルーグマンは「日本では今(2015年)、急速な円安のマイナス面が表面化し、物価が上昇している。それに対して賃金の上昇が追いついていないために、スタグフレーションに陥りつつある」と指摘しています。

まとめ

ざっくりいって、“不景気なのに物価が上がる”というかなりタフな状況が「スタグフレーション」であり、その要因は、デマンド・プル・インフレーションという需要が増えたために起こる物価上昇ではなく、需要以外の要因が引き起こすコストプッシュインフレーションによって経済が圧迫される状態と言えます。

参考



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