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自分自身が他人に対してどういう存在でありたいか?

普段の立ち居振る舞いからたとえばSNSの発信まで、僕たちはさまざまな場面で他人に「見られて」います。

見られるというのは一義的なようですが、実際には文字通り見た目から言葉遣いから文章からにおいから…と、五感のすべてで判断されています。ですから、自分が思った以上に「見られ方」は気にしたほうがいいと思っています。

どれだけ仕事ができても不潔だなあ、とか、いつもタバコ臭いなあ、とか。

良いことを言っているはずなのに常に他人をコントロールするような言動だから近寄りたくない、とか。

自分の仕事のはずなのに、いつもどこか他人事的な挙動を見せる人だなあ、とか。自分の仕事に熱くなれない人と仕事をしたくはないですよね。

偉そうなことは言えませんが、一挙手一投足、1秒1秒の振る舞いが他人への自分のイメージを形作っていると思うと、かなり神経を使います。でも、それくらいやってもまだまだ足りないくらいです。

誰もがSNSを使っているような時代ですから、第一印象どころか会ったことのない人に与える“第0印象”も大切になる。そう考えると窮屈ですよね(汗)。

全部が全部、完璧超人にはなれません。

しかし自分自身が他人に対してどういう存在でありたいか? は神経を使って考えたほうがいいと思います。専門的には「セルフイメージ」と呼ばれるものです。

たとえばAppleなんかは分かりやすい例です。

故スティーブ・ジョブズが自社のことを「(テクノロジーの会社ではなく)テクノロジーとリベラルアーツの交差点にある」と表現しました。

機能に優れた製品は世の中にいくらでもあるけれど、Apple製品にはApple製品にしかない、ユーザーに美意識を感じさせ、所有する喜びを感じさせるような体感覚があります。

CMも(今はちょっと違うけど)機能の充実性を謳うより有名な「Think Different」のように、感情に訴えかけるものが多いですよね。会社から、製品の1つひとつから、そして五感で感じるすべてからAppleのセルフイメージは徹底統一されています。

逆に言うと見られ方・印象なんて「あそこまでやってやっと」です。気が遠くなるような作業なのに、スキャンダルでもあろうものならイメージは一瞬で地に落ちます。

まあ、だからここまで何度か「神経を使う」と書いてきたわけですが。

「こうしたらいい」という結論は書きません。なぜなら、僕自身も偉そうにいえるほどのものではないから(苦笑)。ただ「こうありたい」という理想的な人物像はいくつかあります。

そう。紙に書き殴って「自分はこうだ」としてそれを追いかけていくのは難儀ですから、五感で感じられるくらいの実在の人物像がいいと思います。そして自分とその人との“差分”を意識し、埋めるように行動していく。

僕自身、天と地ほどの差でしょうけれどそうやって意識しています。本気でセルフイメージを整えようと思えば見た目から考え方まですべてが変わってくるのでオススメです。

見られ方、意識しましょ? というところで本日は締めたいと思います。


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