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大学を卒業しました

 まだまだ卒業旅行記は書き終わっていないし、学位記をもらっても単位をとりきった感じはないし(3年の時は卒業できないと思った)、あれだけアルバイトに追われていたのに全く働いていないことにまだ慣れないし。桜は咲いていないし、雨は降っていたから卒業式としても物足りなさはあるし。
それでも、「ああ、なんか卒業したんだなあ。学生終わったんだなあ」という感慨がだんだんと湧いてきて、未来の私が読んで楽しむためにnoteを書いてみることにしました。

 エモいという言葉はよく言ったもので、卒業式の間は全く感じなかった寂しさとか、物足りなさとか。家に帰りながら教授たちの言葉や友達の笑顔とか会話を反芻している間にふつふつと紫色のエモいという感情がわいてきました。

 卒業式の前日にふと思ったのですが、私は今月、あまりにもたのしい生活を送っています。遊んで本を読んで知らんこと知って読みたかった小説やマンガを読む。何か読みたいな~、見たいな~と思った時に、鮮度の落ちないうちに手に取る。なんかよくわからんがちょっと目についたのでやってみる。とか、自分の欲望に対するフットワークの軽さがほどほどで、大学4年の3月になってようやく動けるようになって、そのバランスが自分の満足するようなものになってきたんです。
 これが、自分のやりたかった大学生活! あと48ヶ月やらせてくれ!!

 そして、いざ卒業という状況になってエモかったというのは、この、自分で充実したと心の底から思える時間の過ごし方に4年かけてたどり着いたというところでしょうか。
 この4年のどの経験を抜かしても、叶わなかったことだよなあと思うのです。それはコロナも失敗も、忙しかったことも色々含めてです。そして、そんな環境を作ってくれた友人や先生、アルバイトでお世話になったみなさんに本当に感謝しています。

別に勉強のこと嫌いじゃなかった!

 これは私が気付けて嬉しかったことです!

 学期GPA1.00をとったこともあるほど真面目な学生ではなかったし、中高生の時から勉強は苦手でした。大学生活を経て、与えられたものを与えられた範囲でやるのが性分に合わなかったんだなあだと思いました。勉強の捉え方はだいぶ人によります! 私はなんか知らんが気になるな……と興味出たときにするする頭に入ってくるタイプでした!

 知らないことを好きなだけ好きなように知りたいときに知ることを、大学4年の就活終了後からやってみたら、「こういうことなんだ!? いやホンマか!?」と知らないことがどんどん増えていきました。卒業旅行で現地の人が言っていることがわからなくて歯がゆさを覚え、イギリスに行って好きな作家の原文が読みたくなってようやく英語を勉強する気になったり、たまたまゼミの教授がおすすめしていた批評の本を読んでみて「私も批評やってみようかな!?」と他の批評のやり方に関する本とか、批評したい作品を読みあさってみたり。

 よく考えれば、私の中高生活は「どうしてそんなに好きなのか知りたい」と思わせてくれるような、自分の好きなものに対して愛情が深く、面白くて、しなやかでしたたかな友人たち・先生方に囲まれていました。
 古代史専攻の人だから古代史の時だけ楽しそうに無駄に細かく教えてくれる日本史の先生、トランプ大統領当選の時は授業内容を変更して「こんなことが起きたんだよ!」と興奮そのままにアメリカの大統領選の仕組みまで教えてくれた公民の先生。久々に会ったら4か国語くらいを喋れるようになっていた友人、タスマニアデビルが好きと言っていて獣医学部に進んだ友人……。
 だから、知らないことへの興味も養われたのかもしれません。それで、大学3年から4年にかけてやっと、知らないことに対して誠実というか、知らないことは知らないままでは嫌だと思うままに自分でちまちまと調べる癖がついたのかもしれません。そういう興味を満たすことが合っていたというか、好きだったということもあったのだと思います。
 まあ特に、卒論を書いた後とかは顕著で、知りたくなったら文献! 迷ったら文献! なんか暇だったら文献! 海外旅行で知らん土地行くから文献! と、文献の鬼になってました。今とかは小説のほうが読むようになって、マシになりました。

でもスタートはコロナ

 上記のような楽しい気付きは、大学1・2年の失敗があったからたどり着けたものだとは思います。最初はコロナで、オンライン授業。その反動かのように学外のサークル活動に没頭して、バイトもうまく仕事できないし、単位とか、自分の生活とかいろいろ回らなくなって一度は壊してしまった大学生活でした。心の余裕がなくて生まれた負債がたくさんあります。
 そのときに、自分は大人数の飲み会とか好きじゃないんだな、とか。夜更かしよりもふかふかの布団ですやすや寝るほうが好きなんだな、とか。予定に追われることよりもゆっくり本を読んだりする方が好きなんだな、とか。自分の好きなものと好きじゃないことをよくよく思い知って、流されて好きでもないことはやるもんじゃないなと思えるようになりました。

 そんなやらかしもコロナがあって、学校との結びつきが弱かったから生まれてしまったもののひとつではあります。全部をコロナのせいにはできませんが、失敗したことはコロナのせい、でもコロナがないと失敗に気付けなかったので、複雑な気持ちです。
 そういえば大学の先生に言わせると、オンライン授業で育った私たちの世代はコミュニケーション能力が他よりも少し劣っているそうです。まあ、言わんとしていることはわかります。大学入学前と比べて、人の目を見て話をするとかコミュニケーションに関してできなくなったことが増えました。

就活・卒論・暇 

 と、そんな一時は崩壊した大学生活でしたが、そのあと時間を埋めるように新しいアルバイトをはじめて(そのアルバイトで更生したと言っても過言ではない)、ちゃんと単位をとるように授業を受けるようになり(出席は最後まで苦手だった)、ちゃんと目の前のことをできるようになりました。
 文章の書き方をアルバイトで工夫して試行錯誤するとか、バイトで上手くシフトを回せるようにコミュニケーションを工夫するとか。実用的なことをやっていったのが3年生だったと思います。
 就活はその延長で、3年生で頑張ったことを伝えて、なんとか内定をもらえた感じです。もちろん就活もとんでもなく大変でしたが、2年でくじけなくてよかったと、心の底から思いました。あとは、なんでもコツコツ努力できなくてちょっとコンプレックスをもっていたのですが、就活は自分のやりたい道に突き進むことにしたからなのか盲目的にガツンと頑張れた経験だったと思っています。一回はできてよかった。もうやりたくないけど。

 そして4年は暇をある意味持て余し、そこでようやく、自分のやりたいこととやらなきゃいけないことのバランスをとろうとし始めた時間でした。夏は旅行に行きまくってみて体力の底を知り、秋学期は卒論に取り組んでみて自分が本からなにを汲み取っているかを知りました。卒論はとにかく楽しかったです!ゼミの教授にも卒論は褒められました!やったー!
 

 まあそんなかんじで、最終的に、いい塩梅を見つけてひたっています。観たい、読みたいと思った時に見ないと、他の関連するものをみたときに思い出せないし、連想もできないし。それができる時間と身軽さが今はあります。わーい!でもあと1週間でこの気持ちい湯船から出ないといけないかと思うとそれはそれでキツイ!!
 この失敗も頑張ったことも楽しかったことも全部あるから自分が納得できる日々を今過ごせていると思うと、卒業式の後にふつふつとエモさがわいてきたみたいでした。センチメンタルになってしまうけど、でも幸せです。

 そして、おとなの中にも、「社会人楽しいよ」と声をかけてくれる方と、「社会人はつらい」と言ってくれる方がいます。でも、私の好きなおとなのみなさんは楽しいよ派閥なので、私は夢と希望(?)をもって来週からの4月を迎えたいと思います。だから、今のいい塩梅は社会人になったらまた別の塩梅を見つけられるんだろう、と期待することにします。

 
 どういう社会人になりたいのかと言われるとまだ全然わかりませんが、「卒業、おめでとう」とキレよく最後の講義を締めくくった私の尊敬するゼミの教授みたいな、かっこいい人間になりたいです。方向性を決めるときはしなやかに、でも決めたならば愚直に。そうやって生きていきたいと思います。


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