見出し画像

アサクヌマル

映画化!
という情報をYouTubeで見つけて、ずっと積んでいた『ザリガニの鳴くところ』を今週、時間を見つけては読んでいた。

前回読んでからかなり空いてしまったので折角なので始めから、とくとくと読み始めたのである。秋の静けさは、沼地を想像することを手伝う。

本書はミステリでもある。が、しかしそこは置いておき、ただただ主人公カイアの生き様を目に焼き付けられた、奥底に迸る炎を感じた作品であった。
抗えぬ人間の性に運命を振り回されながらも沼地を母とし強かに生き抜いた、生き抜かねばならなかったカイアの人生は、フィクションとはいえその息遣いが感じられるほどの熱が、ある。

ついつい海外文学は敬遠しがちな僕である。しかしこんな作品があるのならば食わず嫌いせず読んでみようとも思うようになった。打たれ弱き僕だから、その対岸のカイアに惹かれるのかもしれない。我が辞書に、強かという文字はない。読んだところで自己満足に終わるのは目に見えている。

それから職場関係の読書仲間から『むらさきのスカートの女』が面白いときいて、即、アマゾンで注文した。今村夏子はその含まれる季節に反応して、もちろん数冊手にしているし、読んでいる。
はじめに読んだのが『あひる』、その次にデビュー作の『こちらあみ子』(そういえばこちらあみ子も映画化されていたな)であった。そんなものだから勿論むらさきのスカートの女も目にとめていたのだが、なんとも奇妙な表紙に少し恐怖を覚えた鹿田は、敬遠していたのである。

今村夏子とは、なんとも不思議な作家である。
アヒルにしても、上辺を読めばどこかイソップ物語のようにも感じるし、しかし深く読もうとするならば、もっと別に意図しているところがあるのではと感ずる。けれどやはりそれは思い違いかなと思えば、そうも思えてくる。

どうにもとらえどころのなさが、時に病みつきになり、時に不安になるのである。人間、恐怖の根源が”未知”なのだとすれば、まさにそれにあたる

今一度先程アマゾンで注文したスカートの女の表紙を眺めつつ、そしてビールを飲みつつ綴っているが、見れば見るほど奇妙である。読書家の方ならだれしも一度足を止め見入っただろうあの、白地に黒の水玉模様にスカートから、二組の両下肢がでている、それは、僕にとにかく読め、といいつつまたあのいみわからんワールドに連れてってやる、ともいってそうなのである。

顔は、水玉のスカートの中に隠れているからわからない。勿論あらすじすら読んでいないので小説の内容もわからない。だからといって推測するにも大きなスカートから出た二組の足は、こどもにも、おとなにも、おとなの女にも、男にも見える。そしてよく見ると、左側のほうが、少し、背が高い。

ともかく表紙1つにこれだけ釘付けにされたのなら、もう読むしかない。なんならもう、今読みたいくらいなのである。かと言って注文してしまったのに、キンドルで買うのももったいない。それまで二組の足の見える水玉のスカートをみて、僕は妄想するしかないのである。

そんな風に、秋の長夜に仕方なくつきあって、本を読んでる鹿田です。
では、また。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?