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朝倉かすみ 平場の月

朝倉かすみ 平場の月

須藤は青舐に言いました。
『この先、どんどんキツくなるかもしれないのも分かってる。でも、決められるうちは、わたしが決めたいんだよ」』

青砥は須藤が死んだと、小中学校の同窓の安西から聞いた、安西はこれまた同級生のウミちゃんから聞いたのです。
青舐は平場で月を見上げで時のことを思う。それが切ない。

青砥は須藤とは付き合うというか根を張っていました。離婚して地元に戻って再会した。実は初恋だった須藤。須藤は「太い」感じのする子だった。
この「太い」はキーワードです。どちらかというと小柄な須藤を「太い」と感じるのには訳がある。

50代になって再会した青砥は須藤のお話、平場お話、平場で見た月のお話。
このお話はいわゆる地元で展開されるのですが、懐かしいわけでもなく、平場なんです。続いていく平場、その鬱陶しさや面倒さが描かれています。

自分も多分あのままそこに居たら、間違いなく感じる分かっているもの。
そこから出ても、新しく平場は築かれるのかもしれません。

50代っていろいろあるんだと思います。終わりの始まりと称される50代、青砥は須藤の50代は切なすぎるのです。この2人は全くキラキラしてません。日々の生活に取り組んでいる姿が自分とも重なりました。

そんな人生を須藤は生き抜きたいわけです。でもひとりで生きていくことはとても難しい。例えば身内。

『須藤がえらくこたえたのは、「生活を援助する身内がいるのを隠して生活保護をもらおうとするのは不正」という妹の意見で、「ほんとうに頼るひとのないひとたちの生活を守る制度なんじゃないの? お姉ちゃんみたいに「身内の世話にはなりたくないけど、国の世話にはなってやってもいい』っていう意固地で尊大で我儘な態度はおかしい」と怒鳴られ、「だいぶ参った」と唇を固く結んだ。 』

須藤は生きたいだけなのです。
自分で生きたいだけなのです。
この身内ってキーワードが重くのしかかる。歳を重ねると尚更なんでしょうか。

『舌で舐めてから、ゆっくりとひらき、言った。「『身内』ってワード、重要なシーンでなんか急に出てくるんだよね。 妹には助けてもらってるし、いてよかったと思うし、頼りにしてるとこあるし、感謝もしてるけど、わたしのなかでラインがあるんだよ。どこまで寄りかかるかっていう、まぁ、みっちゃんに言わせたら自分勝手な線引きなんだけど、でも、できるとこまでは死守したいんだ。泥船だけど、 わたしの船じゃん。 わたし、船頭じゃん。漕いでいたいんだよ、自分で。でも、みっちゃんが言うんだよ。 「あたしが潰れそうになったら、お姉ちゃんは生活保護受けたらいいよ』って。
『身内』ってそんながんばんなきゃならないものかね。わたし、みっちゃん
をそんなにがんばらせないと生きていけないのかね。ていうか、みっちゃん の押し出してくる、あの強固な身内感覚ってなんだろうね。みっちゃん、ときどきそうなるんだよ。知らないひとみたいになるんだ」』

だからなのかある場面で須藤はこう言います。
『この先、どんどんキツくなるかもしれないのも分かってる。でも、決められるうちは、わたしが決めたいんだよ」』
こう問いかけられた青舐ですが、彼は彼で平場を生き抜こうともがいているわけです。そんな中に須藤と共に居ることで感じる感情が切ない。

『冷たく黒い夜のなかで、幻灯機が映す縁日の賑わいのような懐かしさを放っていた。お面、ハッカパイプ、型抜き、射的。親の手を振りほどいて駆け寄った夜店の明かりに照らされて、筋者らしき風体の男に「これ、何円?」と訊く、自分の横顔がまぶたの裏を通った。それは平場のこどもの愉しみだった。平場のこどもは大人になって、窓から漏れる明かりをこんなに暖かいと思っている。』

そんな平場の夜に見上げてみると月がいた。その月が切ない。

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