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指揮者修業,その1

指揮をするようになったのはスペインから帰国した次の年1989年からだったと思います。経堂の市民合奏団と長後の市民合奏団の二つを教える事になり、見よう見まねで振っていました。

勿論、その頃は何の技術も知識もありません。
1994年から大学のギター部を教える事になり,学生指揮者の指導もしなくてはいけません。この後も市民合奏団の指導は増えて、いよいよ本格的な指揮の勉強の必要性を感じ始めたのです。

意を決したのは40歳の時。私は1961年生まれですから2001年の時にある人の紹介で東京芸大を卒業されて指揮者活動をされていた先生に、習えることになりました。その時にはまだ私は知らなかったのですが、東京芸大は学年に2人しか生徒を取らないために、卒業すると必ず指揮者の道を歩むのです。
もっと厳密にいえば、生徒を取ってレッスンをすることは殆ど無く、コンサート活動、オペラ、バレエとプロの音楽家の道を進むわけです。
そんな方に直に指揮を習えるのはとても幸運でした。

最初のレッスン時に先生とお話ししていて、確認されたのは
1.10年間教えるので、それで指揮を出来るようになって下さい
(勿論、先生もお忙しいので)
2.桐朋音大のメソード(所謂叩きや、しゃくいなどの齋藤秀雄先生の物)は      教えられない。(芸大のメソードというより、欧米の一般的な指揮になる)
3.ギター合奏の専門で本当の指揮者にならない(なるのならギター演奏をしている時間はない!)
口調はとても優しいのですが、内容の一つ一つはとても覚悟がいるものでした。

でその日から山上先生のレッスンを受けたのですが、とにかく驚く事ばかりでした。

指揮は舞踏ではないから、常に音楽より前の時間(たとえ1秒でも)でアクション(棒で言うアインザッツ、拍への準備運動)が行われている。

指揮がダンスでは無いのは知っていたつもりですが、音を聞いて腕を振って合わせているのは、やはり指揮では無いのですね。
ですから、演奏者との理想のアイコンタクトなどは指揮者はもうソリストの出るべき場所で待っていて(と言っても数秒)演奏者がさてこの辺かな?と譜面から顔を上げると、指揮者が見ていて合図をくれて自分が出る。その瞬間が終わると指揮者はもう次のパートへの合図の準備をしている。こんな感じなのですね。
これの面白い話がありまして、有名な指揮者はフルオーケストラのコンサートの後のレセプションで100人以上の方と個別やグループで歓談できるそうです。「やあやあ!お疲れ様!今日はあそこ良かったね!」とある演奏者と話しているときに、頭の中とチラ見視線は次のターゲットにロックオンしていて「ちょっと失礼」と言ってすぐに次のオケマネージャーに話しかけて
「お疲れ様~!ゲネプロの時の譜面は演奏順番の通りに置いた方が良かったね!」で「失礼」と言ってもう次の人に話しかけている!これは職業的な要素も強いですが指揮者という職業をよく表している話なのですね。

そして肝心のレッスンでは先生はオーケストラスコアーを出して、初見でフルスコアーから大事な音を抜いて弾いてくれますし(今でも考えられません)色々ともう最初のレッスンからお口あんぐり!
いや、これは面白そうだけれど大変な世界だぞ!と実感しました。

続く


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