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指揮者修業、その2

さて、指揮を習うようになってからは合奏の指揮は興味深い事ばかり。
ある意味先生に習った事を直ぐに実験できる場をいくつも持っているのは
とてもありがたいと思いました。

その一つが見られる指揮をしなさい。というお言葉。
確かに愛好家の集まったアンサンブルでは弾くのが精いっぱいで、指揮を見るどころではない奏者も沢山います。

でも、必ず必要とされて、またここで見ないと自分だけ飛び出したり、遅れたりするぞ!という実感が奏者に生まれれば、指揮者を見る場所は必然的に生まれるはずなのです。
実際自分もギターアンサンブルで弾いていると、最初を最後は兎も角あとは
指揮者をチラ見して「うん!特にテンポもダイナミクスも変わらないようだ!」となると(まぁ、まれにそういう曲もありますが)奏者は安心して譜面を見ていて、指揮者の事は見ません(笑)

で、思わず「皆さん~!ここは指揮を見てくださいね!」と言いたくなりますが、これはあまり良くないそうです。あくまで自主的に奏者が見る必然性があると思える棒を振らないと意味が無いのです。
確かにギターの独奏の合間のトークで「皆さん~!次の曲はピアニッシモで始まるので、良く音を聴いて下さいね!」って、言わなくても皆さんお金払って良く音を聴くためにそこにいるのです(笑)

具体的に現場での話は例えば2小節先にritがあります。これを初めてのリハでがっつりかける人はいません。何なら皆で素通りします。ここで「はいはい、ここにritがありますから見落とさないでください!」と言葉にしてしまうと奏者の皆さん「成程、ではどの程度遅くするの?」と考えます。
つまり、その時点で指揮者も演奏に流されて、テンポのまま振っていたりしていることも多いのです。

では、どうしたらよいのか?やはり棒で示すしかないのです。
そして、その棒がぶれない事が一番大事なのです。
イタリア語の原型がritが自動詞rallが他動詞ということもあり、ritは分割することもしばしば。遅くしていき、どこで譜割りを分割したらよいのか?
を明確に棒で表す必要性があります。
この時に演奏が一度で合わないと、言葉を使って説明する事も可能ですが
逆に言葉のせいで混乱する奏者も確実にいるのです。
ですから、この場合の正解は「おや?合いませんね、もう一度やってみましょう!」と続けて無意識に「あぁ!ここは見ると自分自身がritが分かりやすい!」と奏者に思ってもらう事が大事で、なによりその時の皆さんの唯一の指針になるような棒を心がける事が全てです。

面白いもので、自然にその場所で皆が棒を見るようになると、棒さえしっかりしていれば、即興性を帯びて変化するritにも対応できます。
これが出来るようになると、十何人の音を自分の棒一つで束ねる事がまさに
気持ちが良くて指揮者はもうやめられません(笑)

続く



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