霞ヶ関ビルみたいなビル

【退職録1社目】もっと認められる場所に行きたい。(Rグループ)

 私は大学卒業後3つの組織に入って、辞めてきた。それぞれの退社録を振り返って書いていこうと思う。自分の中で変わっていった部分もあるけど、ずっと引きずっている課題もあったな〜って思う。

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 もう10年も前のお話になります。2015年に回想しながらはてなブログに書いた記事の転載です。大卒後、ベンチャー気質の大企業、Rグループから”社会”に飛び込みました。

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自律神経失調症で退職

 2007年、売り手市場で何とか受かって、2008年に新卒入社。(この秋にリーマンショックが起こり、景気が悪化して転職市場も一気にヤバくなった、あの時期です)

 私は1年間営業の裏方みたいな部署で働き、その後3ヶ月営業をやり、もう無理だと思ったとき、不景気で会社が希望休職者を募っていたからこれ幸いとまず9ヶ月ほど無給で休み、結果的に退職した。

 休職理由は、自律神経失調症。体が悲鳴をあげた!というほどの症状ではなかったけど、会社で営業電話をかけつづけるのがもうしんどくなってしまい、体がだるくなり、会社に行けなくなってしまった。正確に言うと、もう会社に行きたくなくなったことを認めたというかんじ。勤務時間も長く、土日のどちらかでアポ取りリストとか企画書をつくっていたわけで、若さでふんばってたけど結構きつかった気がする。

 そのころ私が考えていたことは、「この不景気の中でいらないと断られ続けながら人材を売っていく人数が多すぎるんじゃないか。世の中には儲からないけど人手不足の業界もあるんだから、せっかくだったらそっちに行きたいなあ」ということだった。

ちょっと美しい転職理由に見える気もするけど・・・

 このときの私の本音は「こんなに頑張っているのに認められなくて超つらい。もっと活躍できる、私が認められる場所に行きたい。」という叫びだったんだと思う。今思えば。そのときは気づかなかった。

 スタッフ部門でも営業部でもほとんど業績めいたものは出せていない。さぼったりはしていないんだけど、かなり働き詰めだったけど、私の中の何かがダメで、ぜんぜんぱっとしない人材だった。先輩にたくさんたくさん教えてもらって、いろんな経験をさせてもらって、かわいがってもらって、私はあまり関係構築できなかったけど先輩や同僚が好きで、だからこそ役に立って返したい気持ちもあって、自分はできるはずだという自負もあって、でも、できなかった。

私に、やりたいことは何も無かった

 就職活動時、私はどこの企業の人事にも「志望理由」が弱いと言われ続けていた。なぜうちなの?あなたはなにをやりたいの? そう聞かれ続けていた。ぶっちゃけ、私にはやりたいことは特になにも無かった。ただ、学生時代にNPOで精力的に活動した経験と、入れてほしい、認めてほしい、愛してほしい、という気持ちだけがあった人間だったんだろうな、と思う。

 私は当時何となく「人の役に立つこと」で「新しいかんじのこと」で「自分で創意工夫できること」を探していたから、受けている会社の事業内容に上記3つの点を当てはめて、ひねり出して話していた。話しているうちに、自分もその気になってきたりして。

 そんな状態だったから、売り手市場で学歴よくても落ちるのは当然だったと思う。1社目の会社は、おそらくそれを見抜いた上で採用してくれたんだと思うから、そのジャッジには本当感謝しかありません・・・。

ノブレスオブリージュという呪い

 中学生のころ、家で中国からの留学生のドキュメンタリー番組を見ていて、衝撃を受けたことがある。その留学生は、家が貧乏で日本に来て働きながら学校に行っていた。一方で、私は? 何の苦境も無く、のうのうと生きている。家にお金があるので、働かなくても大学まで行ける。こんなことってあっていいんだろうか? 私は何をしたらいいんだろうか? 何をしたら生きていて許されるんだろうか? 中学生ながら、ちょっと涙が出るくらい衝撃を受けた。

 その時覚えた言葉が、エリート(選ばれた人)と、ノブレスオブリージュだ。

 ノブレスオブリージュとは「社会的地位の高い者はそれにふさわしい義務を負ってしかるべきであり、彼らは一般の人よりも多くの規範に従うなどの責任を担う」ということだ。

 お金を持っている人、恵まれた人(エリート)は、一般の人よりも多く社会に貢献をすればいいんだよ、それをノブレスオブリージュと言うんだよ、と父が教えてくれた。そうか〜、なるほど!私は恵まれた分、人の役に立てばいいんだね! と、この考え方は私のなかに深く刺さった。

その時の私に言ってあげたい。

「社会貢献なんてしなくていいんだよ」と言ってあげたい。

 その時の私は、無意識に、金銭的に恵まれたことを引け目に感じていた。こんな価値のない私がこんなに恵まれた場所にいるのは恐れ多いことだ、と感じていた。自分はもう十分恵まれた、他の人に還元しなくては生きていてはいけない、くらいの気持ちがあった。

 中学生の私に本当に必要だったのは、ノブレスオブリージュの思想じゃなくて、「あなたはあなたで十分だよ。あの中国人の留学生に引け目を感じなくていいんだよ。そのままでいいんだよ」という言葉だった。

 恐ろしいことに、「何か(役立つこと)をしないと生きていてはいけない」と心の奥底で思ってしまうと、その「何か(役立つこと)」が「自分のやりたいこと」になってしまうようだ。

役立って、認められたい

 その呪いがよみがえってきたのが、就職活動時であり、1社目退職時である。私が本当にやりたいことは、もっと社会に貢献することだ!という、あたかも自分が本当に思っていることのようによみがえってくる。「私は恵まれて育ってきた分、人に役立つ仕事がしたいんです!」と面接官に言う私。

 私がそういう「役立ちたい・貢献したい」主張をする時、いつも相手は「よくわからないな」という顔をしていた。なんで伝わらないんだろう、と思っていた。伝わらなかったのは、それは私の声じゃなかったからだ。私の本音は「誰か私を認めてほしい」だった。

 営業で求められる行動ができず、役に立てず、まったく認められない。「こんな場所じゃなくて、もっと私を求める人がいる業界で役に立つ仕事がしたい!」と心の中で強く思ったのは、自然なことだったな、と思う。

 呪いが解けつつある2015年現在、私は人に役立つことがしたいとは思っていない。やりたいことをやって、結果的に人に役立ったらいいかなとは思っているけど。


***転載おわり***


 今振り返ると、ノブレスオブリージュの言葉の前、子どもの頃にも、もっともっと刷り込まれてきたいろんなことがあったなぁ... 役立たねばならない、役立たないと生きている価値はない、この刷り込みはけっこう強烈なんですよね。多かれ少なかれ、多くの現代人に刷り込まれてるって思います。

 最後まで読んでいただきありがとうございました。次回は2社目の退職録を、明日更新予定です。次回も読んでいただけたら嬉しいです。また読みたいと思っていただけたら、マガジンフォローお願いします。(もちろんまるごとでも歓迎♡)

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