見出し画像

高齢化問題は問題?

僕は人の悪口陰口が嫌いで、それを言っている人を見るのも不愉快極まりないから大体無視する。とはいえ我慢が越えた場合は言う事もある。仏の顔も三度までとすれば自分は三十度くらいだと思う。だから自分は結構ホトケだと思う。

それはそれとして、同じ言葉を使った悪口でも、そこに愛があるかないかでも別の意味になる。ただ悪く言って攻撃している場合と苦言やイジリは違う。無視は前者の場合。

中途半端に頭の良い人はそう言われないギリギリの表現するけどまぁ悪意は隠せていないから意味ないと思う。そういう事をそもそも分かっていないなら頭が良いと言うより単に要領が良いだけの世渡り上手かもしれない。

SNSを見ると時代的な風潮か高齢者を一括りにした物言いで悪意が込められている言動が結構がある。

確かに害悪としか思えない様な人もいると思うけど世代問わず害を及ぼす人はいるから、お互い様だろう。どちら様も「自分が良ければそれで良い」が隠せていない。

常々思うのだけど、こういうのは核家族化が進んだ成れの果てと言う気もする。

ジェネレーションギャップという言葉が出てきたのはそれが当たり前じゃなくなったからだろう。

世代問わず一つの家で暮らしてたならギャップはそもそも当たり前だったから言葉にする必要はなかった。時代は進み最近は「世代間格差」と言う言葉にアップデートされている。ギャップは格差になった。

僕は近くに住んでいた母方の方のおばあちゃん子だった。父方の方は僕が生まれる前に亡くなっている。高齢者と話すことには違和感や抵抗はない。

思うのだけど、高齢者の言葉には長い年月を生きて積み上げられた含蓄が端々に含まれている。蘊蓄と含蓄は天と地ほどの差があると思う。だから世間の論争に対する答えをサラッと言ったりする。

これはちょっと哲学的であるけど「人生の濃度は同じ」とある爺さんは言った。人生100年時代で平均年齢が長くなった分、現代では「時間当たりの濃度が薄くなった」のだと言う。

それは本を読んでいればわかることで特に戦争のある隊についての本を読めば、若くして到達した考え方に感銘を受ける事もあるという。今の自分がそう感じるのだから、当時の人は今に比べ非常に濃いらしい。

高齢者の話をしていたのに急に逆説的になるけど、90歳近い高齢者でも当時の23歳でも「人生の濃度が同じ」だとすれば、それを後世に伝えるかどうか、というのが人の役割だと言う気が最近してきた。

現代における高齢者を煙たがる風潮には、どこかそういう機会が無くなって行っている様な気がしてならない。

確かに高齢になると思考の速度が遅くなりがちで会話もチグハグになるという要素も否定できない。だから話していて厭になるというのもあるかもしれない。知能は衰えて境界知能まで下がっているから話す価値がないと考える人もいるだろう。

そう考えると、これは受け手側の問題と言って間違いない。
話を理解しようとしない、理解が及ばない、価値ある内容を掴み取れない、そういう聞き手側の問題。

高齢者が多いという事は、量的にも受け取るべきモノが多い筈なのだから、これに対して何か出来ないかなぁとも考えている。

日本の未来は本当に暗いのか?






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?