可愛くなりたい、の心理

ご機嫌よう、本日は最近考えた事を書いていきます、

以前知人に「可愛くなりたい、って人よく分からん、」と言われた事があった、

確かに私達は「可愛い」に囚われ過ぎているな、と感じる一方、逆に「え、可愛くなりたくない、??」と思い、可愛くなりたい心理って何だろう、と考えた、

「何で可愛くなたいの??」と聞く人は今の自分で充分、とか他者と比較しても意味が無い、「可愛い」の定義があやふやすぎる、と言う事なのだろう、

確かに「可愛くなりたい」の理由は人それぞれだし、色々ある、
モテたいから、チヤホヤされたいから、恋人が欲しいから、自分に自信が無いから、誰かに勝ちたいから、見返したいから、

これらの理由には全て孤独があって、この孤独と戦う為に、「より良い自分」や「理想の自分」に近づきたく「可愛くなりたい」のである、

「可愛くなりたい」以外にもあやふやな願いや目標は沢山あって、「絵が上手くなりたい」や「頭が良くなりたい」もこれに値する、

これらの願いだって、定義や到達点があやふやだし、順位付けされる事によって結局他者との比較になってしまう、

誰だって「理想の自分」になりたい、その「理想の自分」の形が人にはよって違うだけだと私は思う、、

「理想の自分」が存在しない人は、孤独を感じて無い、若しくは「人は孤独ではない」と思っている人だと思う、、

ありのままの自分で良い、誰かと比較する必要無い、

本当にそうなら良いけど、社会では常に「理想」を求められる、

残念な事に、資本主義の社会の中では、他者からの評価がその人の価値になってしまう、
どれだけ自分が「今の自分で充分」と感じていても、他者からは「全く成長しない人」として評価されてしまう、

「可愛くなりたい」人はその孤独や「理想の自分」、市場、今の自分を一番理解してる人なんじゃないかな、と感じる、、

昨日より今日、今日より明日、より理想に近づく為に日々努力している、


逆に「ありのまま」で生きる、ってとても難しいのだ、

全員の「本当はこうしたい、こうありたい」を実現する事は不可能に等しい、だからこそベンサムの功利主義「最大多数の最大幸福」なんて考え方も生まれた、

「ありのまま」がいき過ぎると自己本位な人ばかりになり、社会が成り立たなくなる、

若干論点はズレてしまったが、、

「ありのまま」の自分の個性も大事、その上で「理想の自分」を追い求める事も大事、

只、「ありのまま」過ぎても「理想」ばかりでもいけない、バランスはいつも重要だし、それで誰かを傷つける事をしてはならない、、




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