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日本の秀才はAIに取って変わられ、慈悲心のあふれる人が残る?(54)


今、中学の数学のデータのところで
四分位範囲と箱ヒゲとヒストグラムの項がある。
昔は無かったところで中央値の考え方が出てくる。
今までの平均値を使った表し方が
現在の日本の世帯の平均年収と普通の庶民の年収とに
感覚的に差が出てきている時、なかなか文科省も考えていると思う。
極端な例で10000人の村で、
資産が100万円の人が9999人で
1兆円の金持ちが1人いるとする。
この村人の平均資産は1億円以上になる。
そんな考えは感覚として受け入れられないし、
それならば真ん中の人の資産100万円のほうが実感として受け入れやすい。
これまでも教科書で中央値は載っていたが
一歩掘り下げた内容になっている。
この章では殆ど計算しなくても良く
図から次のことが言えるかどうかという設問も
これまでの中学の数学ではあまり見られなかった。
これまでと違って自分で考えながら答えていくのは
新しい試みのように感じられる。


又高校の数学でも不定方程式や合同式とRSA暗号は結び付いている。
これなど非常に面白いが、ほとんどの高校生に聞くと
RSA暗号との関わりなんて聞いたことがないという。
初めはそこが大切なのにと思ったが、
よく考えると自分で気づかないものは
世界の最先端の動きを思うより、
習ったことをコツコツやって正解して
AIに取って代わられる人間になれという事かもしれない。
暗記より自分の考えで考えられる者だけが
世の中の基準を作るのなら
自分で考えられないものはそのままにした方が効率が良いのかもしれない。
昔の職人が技術を教わらないで
技術を盗み師匠を超えていった様に
教える事は新しいことを作るのに邪魔になるのかもしれない。
時代が変わる時、
100点を取ることを目標とする秀才は用がないのかも知れない。
それ以上のことを考えられない者は不必要なのかも知れない。
新しいことに挑戦する企業も100点を目指すのではなく、
100点以上から物事が始まると聞いたことがある。
最近の旅客機も先端技術もロケットも全てダメなのか、
考え方の異なる量子コンピュータなんて
最初に作った国が全てとってしまう。
これからの日本は、
観光など日本人の特質の優しさなどで勝負して、
人そのものの動き中心にしていくしかないのか。
そんな気がする。

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