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今もまだ人身売買がある?(と言う極端な見方)…(47)



先日テレビで古代ローマ時代の
グラディエーターの事をしていた。
その番組では野獣との戦い
又は剣闘士同士との闘いで猛獣や珍獣を次々殺していく。
もちろん人が負ける場合もあるが
後で調べると人が命を落とす頻度は
そう高くなかったらしく、
罪人の場合は人がたいてい猛獣に殺される
公開処刑の様なものであったらしい。
剣闘士同士の闘いでは殺すか無力化させるまで争われ
観客によって殺すか助命が決められた。
今ではこんな事が出来ないので
類似的に似たスポーツがある(あえて言わない)。
当時は奴隷の身分であった剣闘士を
皇帝マルクスアウレリウスが彼らを戦士として使って
自由の身を与えたとしていた。
今でもよく似た事をしている国がある。
どちらにしても命を賭けて戦うのだが
自由の身になると言う事がどんな事か
彼らならではわかっていたのか
その時代の人の考え方はわからない。
並はずれた考えの持ち主
ローマ皇帝アウレリウスは
現在の数%の人間と変わらない感覚の持ち主である様に思うのだが、
この時代に生きるのは辛かったであろう。
この時代の皇帝として民衆が望む
現在では許されない事をしなければならない
アウレリウスこそがこの時一番自由を欲していたのではないか。
僕は昔彼の自省録を読んで
古代ローマ時代にも現在から見ても
まともな人がいると感心した。
この本は誰でも一度は読めば良いと思う。

さてここまで何でこんな事を書いたのかと言うと、
今日、WBCで日本が優勝のニュースをしていた。
これはこれで日本中ほとんどが喜んで良いのだが、
ある番組のテレビで選手の写真があり
その下に○○億円とかが書いてあった。
年収だろうが、これは人間に価値をつけて売る奴隷商人
と変わらないようにも思える。
テレビに出ているコメンテーターはワイワイ言って喜んでいたが、
もちろんこんな中に僕みたいなのがいると
番組がシラけてしまうが
観ている人の極々一部はこんな事を思わないのか。
自分に値段をつけて売られるのは侮辱とは思わないのか。
まあゴルフでも同じ様な事をしているし、
会社員でも年収いくらというのと同じかもしれないが、
何かしっくりこない。
やはり金額で示すのが価値を表すのに一番しやすい事なのか。
少なくとも人間にはつけてほしくないが
望んでいる人間にはそれで良いのかもしれない。
もちろん金額は人間でなく、
その人間のする仕事に対する対価だとはわかっているつもりだが。

かなり前に、ロシアの数学者が
一億円以上の副賞のある賞を受け取らなかった事があった。
彼の言い分は僕は宇宙の何たるかを解っているが、
何もわからない人に僕の評価をできるわけがない。
その様な事であったと思う。
彼はお金持ちでなく年金で細々暮らす身である。
ロシアには時々すごい人が現れる。

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