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前門の虎、後門の狼

 今年、2022年8月4日のこと。ちょっと怖い体験をした。いや、ちょっとどころじゃない。
 その前日は長岡花火で、新潟市内を出る時は激しい雨。長岡市内に着いてからも雨だったが、なんとか持ち、花火は予定通り最後まであがった。
 4日の朝はゆっくり起き、花火見物に来た妹と姪も起きてきて、顔を洗ったりしていた。
 ふと、私は、ふだんはそうやりとりのない東京の知人の「新潟は雨ひどいみたいだけど、そちらはだいじょうぶですか?」というメッセージに気がついた。確かに雨は降っている。その時、インターホンのマンションの管理室からの全館放送で守衛さんが喋っていて、よく聞き取れないが、どうも駐車場が使えないと言ったような。
 げげげと思って、窓を開けてみたら、前の道路が川みたいになっていて、車が水しぶきをあげて走っていた。これはニュースで見る水害の映像ではないか。逆方向の窓を開けると、周辺は池になっていて、敷地の中まで水があふれていた。ネットのラジオをつけたが、どうも遠くの地域で水害が発生しているようだが、近所はどうなっているのかは確認できない。
 我が家は低い階ではない。この階まで水が出たらノアの洪水、世界の終わりだ。安全な場所だから、避難もへったくれもなく、ここにいるのが最善。
だいじょうぶだとは思うが、私は、東京の知人の助言に従い、停電に備えてバケツに水をためた。続いて風呂の浴槽にも水をためることにした。いつも「お湯張り」でボタンを押すとたまる。でも水を注ぐ蛇口は遠く、シャワーノズルで入れるしかない(と思った)。たまるまでノズルを持って立っているのもダルいので、浴槽にノズルを入れて水を出したら、ノズルが大暴れ。私はびしょぬれになった。まるでドリフかマルクス兄弟のコントだ。
 ぬれねずみで、あたふたとリビングに行ってみると、妹と姪は手鏡をのぞきこみ、メイクに余念がない。そう、妹は化粧しないと一日が始まらない種族。その妹に養育された姪も美容が命、整形なみのメイクで目を二重にする。
 いったい遺伝子とは何だろう。同じ両親から生まれても、私と妹はことごとく生きざまが違う。死んだ母も、最期の入院の直前まで欠かさず化粧していた。私はほぼ、どスッピン。顔洗って日焼け止めでも塗りゃ上等。必要がない限り女装しない。ファンデ塗ると落とさにゃならず、肌に負担がかかるし、めんどくさい。
 ともあれ、私はびしょぬれのまま、飲料水も確保すべしと、一心に水筒に飲み水をためていたら、急に姪が泣き出した。なんで!?と思ったら、私がガン無視したとか、返事の言い方が悪いとか何とか。へ?姪が何を聞いたかというと、夕べ長岡花火の休憩所の売店で私が買った菓子パンを食べていいかどうか。急に腹が減ったらしい。
 私が「もちろん食べていいよ。だって、道路に水があふれとるから、私ゃ必死で」というと妹は「だいじょうぶや。あんた、情報にふりまわされてる」などとぬかす。私はカチンときて「ブサイクな顔に塗りたくっとる場合か!」と核心を突いたことを言ってしまった。妹はプチンと切れ、経過は忘れたが、話が拡大し、「そんなに迷惑やったら、タクシー呼んでじぶんで帰るわ」と叫んだ。迷惑だなんて、一言も言うてないやろ!
 でも、それは不可能だったのだ。電話したって、タクシーは来られなかっただろう。
 二十代だったら「おう、勝手にせい!」というところだが、私も還暦を過ぎたいい大人である。言い過ぎた、悪かった、ごめんごめんと、腹の中は釈然としないが、彼女らをとりなした。姪は涙目で声を裏返しにして「ヨシコ、言い方ってだいじやで、ホンマに」とごもっともな説教を私にくらわせる。
 妹たちの支度ができた昼頃には、すっかり水は引き、車で仕事に出かけた夫も無事に戻ってきた。そのまま車に乗って走ると、町は一見いつも通り。名物のたれカツをご馳走し、妹と姪は表面的には機嫌を直してそれぞれの帰路についた。別れ際に、妹は「あんたも生き急がんようにな」と脈絡のわからない不可解かつ不愉快な捨てゼリフを吐き、新潟を去った。やれやれ。なんのこっちゃ。
 妹と一緒にいると、いつもこういうことになる。帰宅したら彼女は、またヨシコがな・・と、私が悪玉のストーリーに脚色し、この顛末を盛大に語ったことだろう。コロナ禍になって、会えない間は、医療の最前線で働くおばちゃんナースの妹を思いやり、野菜やコメを送ったのに。3年も旅行に行けなかった妹をとっておきの栃尾又ラジウム温泉の湯治に連れていき、めったな人には教えない宿や長岡花火の席を段取りし、最後はこれだ。こんな姉妹の小競り合いも3年ぶり。性格や好みが正反対なのをコロナ禍のブランクですっかり忘れていた。身内でも他人同様、距離が大事なのを思い知った。
 大雨の被害は、翌日あたりから、新潟市内でも浸水していたことが報道された。ほんとに一大事だったのだ。
 ニュースでインタビューを受けた人が、よその地域の人に、えっ、浸水したのとびっくりされたと仰っておられた。
 それから半月ほどして、タクシーに乗った時。ベテランの運転手さんに、この日のことを聞いてみた。その方は、新潟空港から新潟駅まで、お客さんを運んだのだが、途中の道路があちこち冠水しており、何度も引き返し、行ける道を探りつつ、なんとか目的地まで行けてほっとしたが、怖かったと、体験を語ってくれた。
 最近の雨の降り方だと、こういうことが起こる。増水する時は、あれよあれよという間で、止めるすべもなく、何もできない。
 私たちは安全な場所にいたのだから、よくいえば冷静、悪くいえばのんきに、化粧でも何でもして、水が引くのを待つしかなかった。とんかつ屋さんは浸水被害の出たエリアにあったが、私たちはつゆ知らず、のんきにたれカツを食べたわけだ。ひょえー。
 ともあれ、無事で良かった。死に化粧にならなくてよかった。

                      写真・文章とも©敷村良子

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