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社員のリレーブログ⑥~ちいさな哲学者~

こんにちは、志高塾です。

社員のリレーブログ、今日の担当は徳野です。
これで無事に2周目を終えました。いつも読んでくださっているみなさま、ありがとうございます!

哲学をはじめ、とかく象牙の塔のなかにあると思われがちな人文科学系の学問を、わたしたちが地に足つけて生きる世界に連れ出してくれる文章です。


徳野の作文②~ちいさな哲学者~(2023年11月24日)

弊塾の代表から紹介してもらった「BizHintニュース」というメールマガジンを読むようになった。私があまりにも一般社会に対する知識が少なすぎる現状を踏まえて情報を吸収していくための取り組みの一環である。そして、最近の記事で印象に残ったのが、鹿児島の濵田酒造株式会社の濵田雄一郎社長のインタビューだ。(最後にURLを貼ってあります)濵田氏は自社の魅力を高めるべく32年間奮闘してきた方であり、京セラの創業者である稲盛和夫氏とのエピソードを中心にお話をされている。稲盛氏は濵田氏に向けて次のような助言をされていた。
 
「フィロソフィに沿っている。間違っていない。」

「フィロソフィ」つまり「哲学」。先述の「BizHintニュース」では、様々な資本が限られている地方の中小企業で改革に成功した経営者の方々が多く取り上げられており、皆さんが揃って重視されているのが「理念」である。言葉は違えど「哲学」もそれと同等のものとみなせる。小手先の解決策を探るより先に「守るべき価値観は何か」「企業としてどこを目指すのか」という指針を定めないとメンバー間の精神的な結束は望めないし、コストをかけるところを見誤ってしまう。苦難の末にしっかりと結果を出した人々の説得力ある言葉は、ビジネスの世界における根本的な思考の重要性を改めて教えてくれる。

さて、今回は哲学との関わり方についてもう少し掘り下げていきたい。
まず、学問としての定義を説明すると、哲学は大きく「倫理学」「認識論」「美学」に分類される。ちなみに、私は大学の文学部で3つ目の、アートやデザインを通して人間の感性を研究対象とする美学を専攻していたので、いちおうは哲学者の端くれだった。「好き嫌い」や「センス」といった漠然とした言葉で片付けられてしまう感覚的な事柄に論理的にアプローチし言語化すること。そして、日常で当たり前のように用いられている言葉を一つひとつ疑い、より包括的に定義付けられるよう自分なりにアップデートを繰り返していくこと。そうやって過ごした3年間は楽しかったし、理解が及ぶ次元を少しだけ高めてくれたのは事実だ。

しかし、我ながら残念なことに、研究室での学びが大学の外にある「社会生活」の糧になるという気づきには至らなかった。私個人の問題として捉えるとあまりにも視野が狭く様々な経験を積んで来なかったせいなのだが、周囲で哲学系を専攻していた、特に就職活動を始めた頃の知人たちも「自分の卒業論文のテーマは将来の仕事には役立たない」と漏らしていたのだからなかなか深刻である。あくまで私が見た範囲での話になるが、講義で取り上げられる題材はあまりにも抽象度が高く、まず資料の内容を把握するだけでも膨大なエネルギーと時間を要するので、指導する側も知識の伝達や文献の精読だけで精一杯という面は否めないだろう。また、そもそも大学から出たことのない教員にとって、利益追求を狙いとする組織についてイメージを膨らませながら自身の専門分野との繋がりを見出すのが容易でないのも分かる。それでも、わがままなのは承知だが、哲学が実社会から切り離された研究者のための「別世界」ではなく、どんな人生を歩む場合でも助けとなることを学生たちが実感できるような機会があれば、受け止められ方はもっと前向きになるはずだ。我が母校でも、鷲田清一先生がかつて「哲学カフェ」という対話を中心に据えたスタイルの授業を展開していたが、現在はどうなのかを同校に通う学生講師に尋ねてみようと思う。

そして今、次は教育に携わる者の端くれとしての私の目標は、「フィロソフィー」の重要性を伝えていくことだ。たとえ身近なレベルであっても「自分がどうありたいか」を浮き彫りにするために己を徹底的に見つめ直す過程は、物事の根本原理を追い求めるという意味で立派な哲学的思考であり、特に意見作文はこれ以上無い教材である。さらに、考える習慣が付けば知識も血肉になるものとして捉えられるようになる。 

志高塾を卒業した生徒たちに私と同じ専門分野に進んでほしいなどとは望まない。ただ、人文科学系の教養を「無くてもいいもの」ではなく「あればあるほど良いもの」と認識した状態で旅立てるようにしてあげたい。

(濵田雄一郎氏のインタビュー記事)
https://bizhint.jp/report/858631


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