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もやもや…もやっと

ここのところもやっとすることが続いている。

例えば、まだそんなに親しくない知り合いの知り合いの依存度が、なぜか妙に高くなってきて負担や不満に思うことが増えてしまったとか…
優しくてかかりつけだと思っていたクリニックのドクターの冷たいと思われるような対応だったりとか…
娘夫婦の同居に伴うご近所へのあいさつ回りのこととか…
自分のペースで物事を決めてしまう相方の段取りや言動とか…

もしかしたら全然たいしたことがないことが、ここのところなぜか気になって、思い悩むまではいかないけれどもやもや…もやっとしてなかなか消化できない。

noteの投稿もやりかけてはやめ、を繰り返してしまい無駄に下書きが増えている。
これって、何?
たまたまそういうのが続いているのか、私の精神状態のせい?
それとも「木の芽時」という今の季節のせいなのかな。

私が住む町はやたらと桜が多い。
桜の並木、公園、川沿いと桜がたくさん植えられている。
今日から冷たい雨が降っているけれど、昨日気温が高かったせいで近所の桜は満開。

桜が咲くのはとても楽しみだけど、満開になった桜は見事すぎて、そのあとは散るだけかと思うと気が気ではなくなる。
葉桜の美しさも楽しみだけれど、桜は満開になるまでが好き。
満開になってしまうと心がざわざわしてしまう。

ずっと昔、青空に咲く桜がとても綺麗だったのに、気持ちが動かなかった年があった。
桜が満開の公園に、両親と子供と出かけて行った。
とてもつらいことがあった後だった。
落ち込んでいた私を見かねて両親が連れ出してくれたのだと思う。
今考えればとても幸せな時間になったはずだった。
なのに、たまたま会った子供時代の習い事の先生に優しく声をかけられて何とか挨拶を返したものの、我慢できなくなって子供を両親に託して一人で家に帰って泣いた。
まだ小さかった子供二人を、あんなに無責任に放り出すように誰かに託したのは後にも先にもあの1回。
だからこの思い出は、後ろめたさとセットになって記憶に残っている。
あれは、つらいことがあったせいではなくて、満開の桜が綺麗だとわかっているのに気持ちが動かなかったことがショックだったんだと思う。
あの時から満開の桜は苦手…。

今年の桜は少し楽しめるような気がしていたけれど、生憎見ごろは雨続きで終わりそう。

木の芽時、桜の満開の時期はどうしても気持ちがもやっとする、
葉桜になる頃はもやもやも晴れて、美しい緑を楽しむことができるだろうと思っているけれど…。




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