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20210827-0829 夏休みおわり

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労終わって晩酌。スナックなぎわかのニコニコ配信をきき、そのあと富士川1-1も続けてききました。楽しいね。


shima_namiは当時(放送より更に前のお便り募集期間)、内定が出たうれしさをそのままメールに載せて送っちゃって、で読まれちゃったんだけど、いま改めて聞くと手紙の中の高揚感に気恥ずかしくなると同時に、案外良くもならなかったし案外悪くもならなかったなという感慨がある。
平凡ということではなく、就職に対して想像していた良さも悪さも、当時の学生の想像力の枠内に収まる程度のものであって、実際体験してみると予想外に良かったし予想外に悪かったな、と感じているというか。

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ともあれ、徳ちゃんの就活に幸あれ。

0828

にじさんじラジオ体操を見ながら起きる。こまごました作業をする。自分をとりまくおカネまわりを整理する。

講義を2本聴講しました。

午前はコロナ下の具体的な調査、午後には我々観の緻密な検討、いかにわれわれはケアされうるかという問題意識でつながっている。カリキュラムのDJがうまいな・・・って言った。

夕方に少しでかけ、今週分の食パンと数日分の材料を買い込んだ。

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いいポップだね…

まだもうしばらく残暑が厳しいようなので、外出回数は最小限にしたいところ。

帰り、声優レアグルーヴをきき、刺し身をいただき、快適。

https://www.twitch.tv/seiyu_raregroove/v/1131972280?sr=a&t=10502s

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0829

沖縄の異物混入の報道で、午後に予約していたワクチン接種が直前で延期になってしまいました…。美容あいちの職域接種(客対象)で受ける予定だったけれど、突発的な事態にも関わらず、担当者さんの応対も段取りも完璧でした。やっぱり日頃、美容室でお客の予約を10分単位で管理し続けているから、こういうときにそのオペレーションの上手さが現れるのかなと想像しました。お疲れ様です。

伏見駅で手持無沙汰になってしまい、

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そういえば久しくいっていないな、と美術館によることにしました。

美術館、博物館、公園の集まるこのエリア、夏休み最終盤の親子連れにまぎれてあるく。でも美術館はさすがに静かでした。

特別展は食指が伸びず、というか持ち合わせがなく、ワンコインで収まる常設展をめぐることにしました。常設展はその土地とどういう作品を結びつけたいかというメッセージがこもっていて、学芸員さんたちのパッションが感じられることが多いとおもっています。

メキシコの展示が面白かった。彼の地を舞台にしたハードボイルド小説などにただよう寂しさとか悲しみの背景を垣間見たきがする。先住民の血の上に文化がある。

また現代美術の展示が厚かった。現代美術の意味合いのとりにくさは、その分絵画や彫刻の前にわたしをとどめおく重力みたいに作用するらしい。意味のかけらをどうにか拾い出したくて意味不明な図像を睨む。横からみたり離れたりする。

そう大きな常設展示室ではないのに(5部屋くらい)、きづいたら1時間も練り歩いていました。スマホから遮断されて作品と強制的に向き合わされる場は映画館にも似ている。

写真展もありました。

Twitterで共有したい!とかこの瞬間をあとから思い出したい1とスナップしていることが多い。しかし、シャッターを押すに足る、コマを選ぶに足る、暗室で現像するに足る、展覧会に置くに足る、そういう何十ものフィルターを潜り抜けさせる作業がここにはある。どのシーンを記録しどのシーンを忘れることにするか冷徹に審判していく立場は、写真ストレージが枯渇するとグーグルドライブで買い足す、そういうわたしの態度とは真逆だなあ。

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加えて、彼がニューヨークで写真家をこころざしたころ、日本の友人に向けて書いていた手紙が展示されていて、それが圧巻でした。こういう手紙を書きたいと思った。写真の静けさに対して、文字の大きさも配列もばらばらの、書き損じて塗りつぶした跡もなまなましい、一枚の紙なんだけど、もう紙面全部で言いたい事をすべてわめいているようだった。

日本の駅の雑踏が聞こえるような写真も、ニューヨークの暗い集合住宅の臭気がただよってくるような手紙も、どちらも憧れるものです。一枚の写真とか一葉の手紙にどれだけの重さをもたせられるだろうなあ。

ちょうど手紙を書かなきゃいけない用事がある。いい手紙を書きたいと思います。






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