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Diana Miniで撮った大阪レトロ建築(中之島編)

こんにちは、しまたかです。
前回の記事で、Diana Miniを持って大阪市内をポタリングしながら撮った写真を取り上げましたが、今回はその続き。
っていうか、こっちが主眼だったんですけどね。

その今回のテーマは、
チャリとDiana Miniで大阪市内のレトロ建築巡り

大阪市内、特に淀屋橋から北浜のエリアは戦災から免れた地域ということもあって、大型の現代的なビルの間に味わいあるレトロ建築が数多く残っていたりします。
その多くが「大大阪(だいおおさか)」と呼ばれた頃のもので、その当時は大阪市の人口が東京市を上回っていたという、いわばイケイケ(死語w)だった時代に建てられたもの。
そんな輝かしい時代の遺産をチャリで巡って写真を撮りまくるというのが、今回のポタリングの目的でした。
走ってみての感想としては、東京人にとって「こりゃぁ、勝手が違うな?」ってこと。
大阪の市街地、特に大阪駅周辺や梅田の一帯は一方通行の幹線道路ばかりなので、車道を走るにしても逆走はできない、じゃあ必然的に歩道を進むわけだが、大都会なので当然ながら歩行者が多い。
慣れない地でのポタリングで非常に走りづらいものですが、だからこそ一日の大半を使ってゆっくり走り廻りました。

で、その日の走行ルートがこちら。

梅田駅がスタート地点で、午前を中心に北浜界隈のレトロ建築を見て回り、帰る前に道頓堀へ足を運んで、そっから新大阪まで一気にチャリで突っ走るというコース。
その後半部分で撮った写真が前回の記事なので、そちらをご覧ください。

使用カメラはDiana MiniとDiana Instant Squareの2種類。
トイカメラで撮った大阪レトロ建築の数々をこれから挙げていきます。

大阪市中央公会堂


大阪市中央公会堂とマイチャリ

まずは梅田から南下して中之島、いきなりレトロ建築の核心エリアへ。
そのシンボルといえるのが大阪市中央公会堂
大正7年(1918年)11月に完成、今年が開館105周年になりますね。
株式仲買人の岩本栄之助が100万円を寄付して建設させたものですが、その岩本は株式相場で失敗、大正6年、完成を見ずに命を絶ってしまいます。
設計したのは辰野金吾片岡安の二人、辰野金吾は東京駅と日本銀行の設計者でおなじみですが、その辰野が地元大阪の建築家である片岡と共同事務所を開いて、手がけたのが中央公会堂でした。
平成14年(2002年)に国の重要文化財に指定されています。

まず正面からマイチャリを置いて、一枚。
ちょうど何かの撮影をしている光景が写っていますが、何のための撮影だったんでしょうね。


堂島川のテラスから一枚

もう一枚は堂島川沿いのテラスから撮ったもの。
テラスの上には阪神高速が通っているので、雨が降ってもしのげるのがいいですね。
周辺の木々もきれいな緑で、如何にも中之島らしい風景かな、と。

大阪府立中之島図書館


大阪府立中之島図書館

堂島川と土佐堀川に挟まれた細長い島が中之島で、大阪市の中心街でもあります。
先ほどの中央公会堂以外にも魅力的なレトロ建築が残っていて、こちらの大阪府立中之島図書館もその一つ。
明治37年(1904年)に住友財閥の寄付によって建設されたネオ・バロック式建築で、大正11年(1922年)に左右の両翼を建て増して現在の形に。
こちらは昭和49年(1974年)に国の重要文化財になっていますが、さすがに重厚で迫力がありますね。


日本銀行大阪支店


中之島にはもう一つ魅力的な近代建築物があって、それが日本銀行大阪支店
明治36年(1903年)に建てられたこの建物、設計はもちろん辰野金吾で、東京の本店と同じようなドーム型の塔が見えますね。
こちらはDiana Instant Squareで大江橋の北詰から撮ったもの、頭上に高速道路が通っているのがわかりますね。
写真には淀屋橋も見えますが、大江橋とセットで昭和10年(1935年)に現在の橋梁ができました。
当時の大阪市長・関一がぶち上げた御堂筋拡張工事の一環としてできた、鉄筋コンクリート造りのアーチ橋で、堂島川に架かる大江橋に続く形で土佐堀川に架けられています。

難波橋


難波橋から大阪市中央公会堂を望む

堂島川と土佐堀川に架かる難波橋は当時「浪華三大橋」の一つに数えられ、現在の鉄橋になったのは明治45年(1912年)。
難波橋といえば南詰に控えるライオンの石像ですが(だから別名が「ライオン橋」)、鉄の欄干に施されているこのデザイン、大阪市章にもなっている「みおつくし」と呼ばれるもので、これが大阪市を代表する橋であることを示しているように見えます。
「みおつくし」は元々、水路のための標識なのですが、それにしてもどうして大阪市は「みおつくし」を市のマークにしたんでしょう。
恐らくは「八百八橋」と呼ばれるほどに運河に張り巡らされていた水都だったことが理由なのでしょうかね。
先ほどの中央公会堂が見えるあたりで、マイチャリと「みおつくし」も一緒にパチャリw
それにしても、高層ビルが林立する中に中央公会堂の姿がひときわ目立つのはさすがですね。

難波橋から見えるのが大阪取引所。
江戸時代の大阪米穀取引所が起源で、大阪株式取引所、大阪証券取引所を経て、現在に至ります。
高層ビルではありますが、円形状の下層階は昭和10年(1935年)築のアールデコ調の「市場館」の外観を保存したもの。
入口には取引所を立ち上げた五代友厚の銅像が聳え立っているのが見えます。

その大阪取引場からがいわゆる「北浜」のエリアで、近代建築の宝庫になっていますが、それについては次回。

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