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詐称としてのタイトル、味噌汁フラクタル        

牛丼チェーン店で味噌汁を注文したら味噌が踊っていて、フラクタルってこういうのも含むのかな、と思った。水面の波紋とか瞬時に計算できる数学者になってみたい。

哀れなるものたち、を雨宿りがてら見た。この感想はまた別の機会に回す。
スプラッタ苦手なので手術シーン無理やり目を見開いた。目指しすらしなかったけど、医者に向いてない。グロ耐性は睡眠不足の時ほどなくなる。血は嫌い。骨は好き。

雨上がり、ペトリコールよりは土の匂いが強かった。ずっと知りたかった甘い香りがするたくさん白い花を咲かせる植物の名前がわかった。『雪柳』だ。これからは雪柳の香り、と形容できる。月下美人も沈丁花もよくわかっていないので覚えたいと常々思っている。

煙に巻く、スモーキー、who I smokeみたいに、一つの現象を敷衍させていった結果すごく遠くなった言葉の意味に惹かれる。

全然面白いと思っていないことでも笑い声に釣られて笑ってしまう癖を直したい。

映画を誰かと観ても感想を言い合ったり全くできないので専ら一人で見るのだが、あーだこーだ言ってる人々を見るにつけそういう機動力が欲しいなと切実に思う。感動を分かち合うことの素晴らしさはわかっているけれど口から出てくる言葉の陳腐さが許せなくて「なんか、よかったね」で全て語ったことにしたくなる。

生命に値段はないけれど時給制で一時間953円だから生きることが労働になったら長生きの方が稼いだことになるんだな、とか1000円を一時間で買うのは妥当なのかそうではないのか、すごく考えた。だからといって歩合もキツい。お金を稼ぐことは凄いことだ。等価かどうかよく分からないままに世界を回すのだから。

音楽の歌詞が邪魔になってきて、音も邪魔になってきて、図像も邪魔で映像も絵も何もかも邪魔くさく感じる時があり、特に歌詞なんかは『いくらこれに心揺さぶられて自分のこと歌ってるように感じても実際そんなことないし勝手に喜怒哀楽動かしてて、馬鹿みたいだな』とか『この歌詞に出てくるこの単語からは自分は排除されているな』のような自己投影でしか聴けない時は曲を呪うのではなくて現実で人間に会った方がいいのだろう。

味噌汁フラクタルに鰹節をかけると味噌汁と鰹節のダンスが見れてハッピーな気分になる。でも、鰹とか大豆からしたら傀儡的な水分による対流運動だからちっとも嬉しくないよな、と思って慎もうとか思う。

書くべきことを書くべきところに書けばいいのに中途半端な捨てきれないTwitterアカウントに書き込むから分裂気味になってくる。何回も消したのにまた復活させてしまう。イースターが近いからだろうか。

取り敢えず1000字なったから切り上げる、、、
2024/03/24


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