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「もう若くない」と認めることは大事。だけど「今日が一番若い」と諦めないことはもっと大事。

割引あり

私がこの連載を(自主的に)始めたのは2017年。
レベル48という「熟女真っ盛り、更年期も上り調子」な時期だった。

あれから6年。
レベル54になった熟女は、子宮を残したまま月経とサヨナラ(=閉経)し、数々の婦人病にも勝利した。一方、のほほんとヒキコモリで物書き稼業に浮かれていた生活とサヨナラし、老体に鞭打ちつつライスワーク(エンジニア)を復活させた。

これまでも何度かエンジニア業は並行させてきた。だがフルタイム通勤で二足の草鞋生活をしたのは初めてだ。現在、執筆仕事は週末と夜なべで対応している。
ただでさえ更年期の不安定な肉体、もはや寿命を縮めているような気がしなくもない。だが「充実」という意味では今がベストかもしれないので、肉体より精神の安定を優先させている。


認めない人は痛々しい。諦めのいい人は辛い。

アラフォーあたりから、周囲の同世代には「もう若くないから」という自虐的な発言が出てくるようになった。
己の年齢を自覚するのは構わない。むしろいつまでも若者のつもりでいたら、リアルな年齢および肉体との剥離で生きるのが辛くなるだろう(とはいえ大多数の「まだ自分は若い」と思い込んでいる熟女たちは、現実と向き合わないせいか無駄にポジティブでもあるのだが)。

若者ぶるのも痛々しいが、逆に早いうちから諦めがよすぎて無頼派っぽくなってしまうのも問題かもしれない。
現代の人間は長生きだ。50でも「人生半ば」な時代に、若者らしい若さを失ったくらいで「人生ヲワタ」な立ち位置に己をおいやってしまったら、その後の50年(もっと短いかもしれんが、最長まで生きてしまうことも考慮し)は生き地獄になってしまう。

後先考えず「人生、太く短く」なんて言いながら不摂生を続けてきた人は、50~60代あたりで肉体が限界を迎える。だがそれでも「お迎え」は意外と簡単にはやってこない。自暴自棄に肉体を痛めつけようと医療のほうが諦め悪く、寝たきりでも意識がなくても胃ろうになっても、なかなか死なせてくれない。
頭のいい人ほど人生に見切りをつけるのも早いが、だったら先のことまで鑑みて「生きながら苦しまない余生」を目指す賢さを持てばいいのにと思う。

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