しまだの文々

コピーライター / DJ / 野良の落語家

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マガジン

  • アメリカン・コミックの歴史

    1915年、アメリカ初の長編映画でKKKを英雄として描いた『国民の創世』から、昨年、初のイスラム教徒のスーパーヒロイン、パキスタン系移民の『ミズ・マーベル』まで、アメリカ社会の中での、覆面の自警団の歴史と正義の変遷について。

  • 映画雑考

最近の記事

『必死の逃亡者』

(1955年 アメリカ)★★★☆ 監督 ウィリアム・ワイラー 出演者 ハンフリー・ボガート/フレドリック・マーチ 郊外に暮らすサラリーマンの家庭に、銃を持った脱獄囚たちが押し入ります。仲間から逃走資金が届くまで彼らは家族を人質に、その家に留まることを強要。一つ屋根の下で繰り広げられる、脱獄囚と家族の静かな攻防を描くサスペンスで、3人の脱獄囚のうちリーダー格の男をハンフリー・ボガートが、サラリーマン家庭の父親をフレドリック・マーチが演じています。 映画は、主にこの二人の心

    • 『家庭の事情』(★★★★☆)

      流行作家のユーモア小説を映像化した、他愛もないプログラムピクチャーかと思いきや、いやはや。源氏鶏太による、小市民の悲喜こもごもを描いた原作を、ほぼ同じ年齢の吉村公三郎は、ベテランならではの安定した土台の上に、都会的な演出とリズムを重ね、見事にクールでモダンな快作、昭和中期のシティポップと呼びたくなる作品に仕上げています。 7年前に母親を失くした、父親と4人の姉妹からなる一家。 定年退職を機に、その退職金と一家の貯金、合わせて250万円を一人50万円ずつ分け合って、今後はそれ

      • アメリカン・コミックの歴史 第3回「仕立屋の息子たち(その2)」

        いつの時代も、学校生活をアメリカで送る限り、内気で口下手、女の子が苦手で運動も勉強もパッとしないメガネの少年の毎日は、決して華やかなものでありません。殊に、彼が貧しいユダヤ人移民の息子となれば尚更。 ジェリー・シーゲルの少年時代は、そうした例の典型でした。現代のスクールカーストで言うならばナード (Nerd)。恋愛やスポーツに青春を謳歌する同級生をしり目に、ジェリーが夢中になったのは映画と、一冊10¢のパルプ誌。 パルプ誌とは、その名の通り粗悪紙(パルプ)に印刷された、暴

        • ブラック・フェイス問題への国内の反応から見える、無関心という本当の問題。

          ダウンタウンの浜ちゃんが、黒塗り(ブラック・フェイス)でエディ・マーフィーに扮したネタ。 その是非はひとまず置いておいても、ジム・クロウ法という、1964年までアメリカに存在した、黒人をはじめとする有色人種(=非白人)の、一般公共施設の利用を禁止制限した法律の名前が、ブラックフェイス・パフォーマンスで白人が演じた架空のキャラクター、ジム・クロウから採られていることは知っておいても良いのではないでしょうか。 アメリカ社会に、特に、差別の対象となった人たちにとって(そこには、

        『必死の逃亡者』

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        • アメリカン・コミックの歴史
          3本
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          9本

        記事

          アメリカン・コミックの歴史 第2回「仕立屋の息子たち(その1)」

          1932年6月2日木曜日、米国オハイオ州クリーブランド、午後8時10分。黒人が多く住む貧民街の一軒の古着屋。ちょうど店主が、そろそろ店じまいをして帰ろうかと身支度をはじめていた時に入ってきたのは3人の男たち。そのうちの1人がおもむろに1着のスーツを手に取ったかと思えば、3人はそのまま代金を支払わず、店の外へ駆け出します。 銃声が聞こえたという証言もあるようですが、定かではありません。確かなことは、追いかけようと慌てて店を飛び出した店主が、不意のショックに心臓発作を起こし、そ

          アメリカン・コミックの歴史 第2回「仕立屋の息子たち(その1)」

          アメリカン・コミックの歴史 第1回「1915年の覆面のヒーロー」

          1915年に公開されたアメリカ映画『国民の創生』。D・W・グリフィス監督による米国初の長編映画です。同時に、クローズアップやカットバックなど、その後の映画の基礎となる手法を編み出した、映画史に永遠に残る約3時間の大作ですが、この監督のグリフィス。父親が南北戦争を南軍の大佐として戦った英雄で、南北戦争から連邦再建への19世紀後半のアメリカ社会を描いた叙事詩である本作の主役は勿論白人。しかも物語は南部の視点から描かれている為に、人種差別的な表現が隋所に見られます。何よりクライマッ

          アメリカン・コミックの歴史 第1回「1915年の覆面のヒーロー」

          『否定と肯定』

          今の日本社会の現状を顧みるに、間違いなく一見の価値がある映画です。 もっとも、社会的意義と切り離しても、魅力的なキャラクターが織りなす法廷劇映画として充分に楽しめる作品になっています。特に、もう一人の主役とも言える、ビンテージワインを愛する老弁護士(トム・ウィルキンソン)は、ビリー・ワイルダーの『情婦』に登場するウィルフリッド卿を思わせる好人物です。 古色蒼然としたイギリスの裁判の様子も面白い。(現代でも判事と弁護士は、法廷の場では中世と同様のカツラを着用しています。)美

          『否定と肯定』

          『西部戦線異状無し』★★★☆

          監督 ルイス・マイルストン リュー・エアーズ/ ウィリアム・ベイクウェル/ ラッセル・グリーソン 時代は第一次世界大戦の最中。徐々に敗戦が濃厚になっていくドイツ軍の前線を舞台に、祖国のために死ぬ、その無意味さを噛みしめながらも、戦場という非日常を生きる若者達を描いた戦争映画の古典であり、反戦映画の不朽の名作として知られる作品。時代が青春を奪い、国家が命を奪う。人格を否定する軍隊、戦場の狂気に加え、戦地と銃後のギャップ。一方で、そんな戦火の中でも生まれる友情や、ひと時の安ら

          『西部戦線異状無し』★★★☆

          『砂塵』(★★★★)

          オープニングからして良い。水平方向のパンによる長回し撮影で、西部の田舎の街道町”ボトルネック”の往来、酔っ払っては銃をぶっ放し、馬を駆け、喧嘩に騒ぐ無法者たちを、絵巻物のように見せていく。その絵巻物のラストには、一軒の酒場のドア。 大勢でごった返す店内。中央に設えたステージでは美貌の歌手が歌い踊り、荒くれ共が飲み騒ぐ中を娼婦が立ち回っている。一方、店の2階の小部屋では哀れな農夫が全財産の土地と牛を、イカサマ賭博で今まさに失おうとしている。 賭博の元締めは、街道を仕切るヤク

          『砂塵』(★★★★)

          雑考(2)

          笹川スポーツ財団のホームページにある、スポーツ辞典「ローラースケート/インラインスケート」の項では、ローラースケートは、1877年(明治10年)頃に日本に紹介され、1895年(明治28年)頃より、本格的に行われるようになったとしています。(※1) もっとも、この”本格的”という表現が何を指すのか(スポーツとして大会等が開かれたのか、愛好者の団体が組まれたのか)は定かではありませんが、それより以前の1892年(明治25年)、11月27日付けの『日出新聞』として、以下のようなイ

          雑考(1)

          1957年制作の増村保造監督第一作『くちづけ』。 主演の川口浩と野添ひとみがデート先に選ぶのが江の島の海水浴場、そして、そこに隣接したローラースケートパーク。戦後12年のモノクロ映像の中、海から上がった水着のままの若者たちが、闊達にローラースケートに興じている。 その姿が、やけに新鮮に感じられたのは、ローラースケートをぼんやりと、サーフィンやスケートボードと同様、70年代~80年代にかけて大衆に浸透していった、アメリカンカルチャーの一つにように捉えていたからでしょう。

          『ブロンコ・ビリー』(★★★☆)

          『夕陽のガンマン』や『ダーティー・ハリー』シリーズ等々における、凄腕ガンマン役で名を馳せたクリント・イーストウッドの監督7作目。 舞台は1970年代後半のアメリカ。 イーストウッド自身が演じる今作の主人公、ブロンコ・ビリーは、西部開拓時代(ウェスタン)の世界から抜け出てきたような、誇り高き西部の漢。彼を慕う仲間のカウボーイやインディアンの夫婦とともに、本物の西部を見せる『ワイルド・ウェスト・ショー』の一座を組み、全米中を旅して回っています。 “西部一の早撃ち”を自称する華

          『ブロンコ・ビリー』(★★★☆)

          『ダンケルク』★★★☆

          デミアン・チャゼル監督の『セッション』が、ジャズのクラスを舞台にしながらも、音楽の映画ではない(”ジャズ”という賭け金を奪い合うフィルム・ノワールである)ように、この『ダンケルク』も、第二次大戦中の戦地を舞台にはしていますが、戦争を描く映画ではありません。 『ダンケルク』に最も近い戦争映画を選ぶとすれば、スピルバーグの『宇宙戦争』でしょう。実際、『ダンケルク』と『宇宙戦争』の二本はとても良く似ています。 ------------------------------------

          『ダンケルク』★★★☆

          バニラエア事件から考える社会(Society)問題

          自力で歩くことができないのを理由に、飛行機への搭乗を拒否された下半身不随の男性が、航空会社側の静止を振り切り、腕を頼りに自力でタラップを這い上がるという“事件”が起こります。 その事件がメディアで取り上げられ話題になったことで、現場となった奄美空港には、車椅子でも搭乗が可能になるよう、アシストストレッチャーや階段昇降機が配備されることになりました。 アシストストレッチャーや階段昇降機は、何も、障害を持つ一部のマイノリティの利益ではなく、例えば健常者にとっても、旅先で事故に

          バニラエア事件から考える社会(Society)問題

          繰り返される失言について

          がん患者「働かなければいいんだ」 大西議員が発言謝罪(http://www.asahi.com/articles/ASK5Q4JHQK5QULBJ00K.html?ref=newspicks) 記事内では、大西議員について「失言騒動繰り返している」と記していますが、では一体”失言”の定義とは何なのでしょうか。それは暴言や、放言といった表現と、何が違うのか? 少なくとも、今回の発言に関しては、失言ではなく、暴言と記しても良いのではないかと考えています。 ”失言”という言葉

          繰り返される失言について

          天皇の「生き方」について

          5月21日付の毎日新聞に以下の記事があがりました。 退位議論に「ショック」 宮内庁幹部「生き方否定」(https://mainichi.jp/articles/20170521/k00/00m/010/097000c) 当然のことながら、保守派からは「偏向報道」だとのコメントがなされていますが、果たしてそうでしょうか?(※もっとも、多少の”煽り”感は否めませんが。) 平川名誉教授、渡部名誉教授のヒアリングが行われた、『天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議』の第3回、

          天皇の「生き方」について