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死と祈りとSNS

夏に同僚の奥様がガンで帰らぬ人となった。同僚に直接聞いたのではない。
学校が始まってすぐに職員会議で短く説明された。(*アメリカの私立校で教師をしています)
同僚はまだ学校に来ていない。ひょっとするとこのまま来ないのかもしれない。
けれど私はその奥様や同僚の状態を色々と細かく知っている。
他人が話題にするからだ。
ランチの席やオフィスでのおしゃべりに出てくると聞きたくなくても知ってしまう。
そして誰かが”苦しまずに亡くなってよかった”や "最後に二人で旅行に行ってやりたいことをやれたから救われた”などと言うたびに、優しいような言葉の裏に潜む他人事な慰めに苦しくなる。
話している本人たちにはもちろん悪気はないし本当にそう思っているのだろう。
ただ愛するひとがもうこの世にいないという誰かにとっては、良かったことも救われたと感じることもないだろうし、いないところでこんな風にあれこれ言われるのはどうかと思っている。
たとえ老衰で亡くなったとしても、苦しまずに息を引き取っても、死を迎えて苦しみが無くなったとしても、愛するひとがもういないのは本人にしかわからない苦しみなのだからランチで話題にすることもない、と私は思っている。



私が大好きなあの人のお母様が亡くなられていた、ということをSNSで知った。

スーパースターとは身内の死のような苦しいプライベートをいつかどこかで公にしなければならないことがあり、そのタイミングや言葉のチョイスに加えてご自身の心の状態や仕事の状況なども考えなければならず、本当に大変だろうと思う。
まだ大丈夫ではないかもしれないが、現実を現実として受け入れるために公にするのがいいかもしれないと判断されることもあるだろう。
それがすぐかもしれないし何年か先かもしれないし、公にしないという決断になるのかもしれない。

私はスーパースターではないがもし夫が先に亡くなったら家族以外の誰にも伝えたくない。学校にも知らせたくない。
いくら私の夫は幸せだっただろうと言われても、”私の夫が亡くなったときも〜”と共感されても、”亡くなった旦那様も残されたシマさんに幸せになって欲しいと思ってる”と諭されても、”きっと遠くから見ているよ”と慰められても、知らん他人が知ったようなコメントを不躾に投げるのに我慢ならんと思う。
多分我慢ならん!とはならないのがスーパースターなのであろうが、やっぱり失礼だと受け止められる可能性がある言葉は聞いて欲しくない。

スーパースターのお母様の死はSNSでその場にいなかった私たちにも知れることとなり、たくさんのファンがお悔やみを述べ、思い思いの慰めや共感を拡散している。ファンにとってもショックだった、スーパースターの心の内を思うと苦しかったからだ。

SNSは思ったままを語る場であろうから今回に限らず時々失礼ではないか、と感じるコメントを目にすることもある。
生前のエピソードや写真をシェアしている人、高齢で亡くなられたお母様に対して”大往生でした”と書いている人・・・自分の家族でもないのに、と私にはとても失礼だと感じるけれど、普通なのかな。
近いうちに誰かのまた聞きをベースに大切な方の死がネットニュース(特に最近はSNSからのニュースが多いし)とかになると嫌だなぁ、そんなのがスーパースターの目に入ったら嫌だなぁ、と他人の私が危惧している。

愛する人を亡くされたご本人が”大往生だった”と言うのは良い。
だけど私たちにはその人の生も死も本当のところを知ることなどないのに、悪気はなくむしろ良いと思って言っているのだろうが、”大往生”とは失礼だなと感じる。
長生きしたから大往生!と他人が決めることではないし、悲しんでいる人にぶつけていい慰めの言葉だとも思わない。
私は150まで生きるつもりだがw、母には200でも300年でも一緒にいてもらいたい。大往生とか他人が勝手に語らんでくれ。

お悔やみの言葉は違う手段でも本人に伝えられるのだからその方がいいかもしれない、と思っているが、SNSは使う本人が何をどう表現するか自由なので私がどう思おうがどうにもならん。
それでも(わからないけれど)苦しいニュースをシェアしてくれたスーパースターのためにも本人からの言葉そのままの報告か、敬意を込めて静かに短いお祈りの言葉だけでも十分なのではないかと思う。

発表されたことをファンがどう受け止めるのか、聞いたことをどんな言葉で表現するのか、その表現をまた次の誰かがどう解釈してどう感じるのか・・・現代にはSNSがあるのでランチのおしゃべりどころの規模での反応ではない。
拡散されてちゃんと事実が伝わらないかもしれない、自分の言葉で伝えられてホッとするかもしれない、失礼な発言を聞くかもしれない、お悔やみの言葉を見て心安らぐかもしれない、発表を後悔するかもしれない。
スーパースターは身内のご不幸を語るという決断をしたときに、今のような状況になることをわかっていただろうし、それでも仕方ない・大丈夫と思われていたのかもしれない。

たくさんの愛溢れるメッセージがあったけれど、私個人としてはスーパースターがSNSをしてなくて良かったな、と思っている。
そしてスーパースターのこれまで以上の幸せを強く強く祈るばかり。

シマフィー


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