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#30 指をくわえて待っていても "楽しい" は一生やって来ない

こんにちは、夫婦でダンススタジオを営むシマムラ(妻)です。

長すぎる人生において、楽しいと思えること、夢中になれること、好きなことがあるのは、とても幸せなことだ。

大人になり、年を重ねるほどにそれは身に染みるから、わたしたち親は子どもに「楽しくて夢中になれる何か」を見つけてあげたいと思う。

習い事にいくつも通わせたり、休日にいろいろな場所へ出かけたり、大型連休には旅行に行ったり。

あれやこれやと “体験” をする機会を与え、そこから何か興味があることや得意なことを見つけてはくれないかと思う。

こういう親を客観的に見て、あなたは

「子どもに手をかけすぎ、過干渉で過保護だ」

と思うだろうか。


わたしは、そうは思わない。

行動範囲や知識、手段がどうしても限られる子どもは、親のアクションでしかそれを増やすことができない。

だから親が体験機会をつくってあげるのは、とっても良きことだと思う。

ただ、自分の子どもが何に対して「楽しい」と思って夢中になってくれるかは親でさえわからない難問。

その答えを見つけるには「探す」しかない。

「探す」とは「いろんなことを体験してみる」ということだ。


■体験したことからしか "楽しい" は見つからない

サッカーをしたことがないのに、サッカーを楽しいとは思えない。

恐竜という存在を知らずして、恐竜が好きだとは思えない。

工作もパズルもしたことがないのに、組み立てるのが好きだとは気づかない。

「楽しい」も「好き」も、はじまりは何かひとつの「体験」だ。

自分が楽しくて夢中になれることなんて大人でも見つけるの難しいんだから、子どもの行動範囲のなかでそれに出会い「好きだ」と気付くのはなかなかハードルが高い。

ならば、数で勝負。

あれも、これも、やってみればいい。

もちろん、時間と予算と体力が許せばだけど。


例えば習い事をいろいろやってみると、すぐに飽きて行きたがらなくなるものもあるかもしれないけれど、それでいい。

「自分はこれがあんまり好きじゃなかった」

そう気付けたのだ。

親からすれば「せっかく始めたのにすぐやめちゃって!」と思うかもしれないけれど、好きなことを見つけてあげるための過程と思えばいたしかたない。


習い事だと負担が大きいなら、休日にいろんなことをしてみればいい。

公園や美術館、動物園なんかに行ってもいいし、体験型のイベントやおまつりなんかもいい。

あと、非日常な場所、例えば空港なんかに行ったりするのもいいんじゃないかな。

たまにはマックや回転寿司じゃないお店で外食をするのもいいと思う。


ちょっと工夫すれば「いつもと違う体験」なんてのはすぐにできる。


大人にとってはひとつひとつはなんてことない小さな経験/体験かもしれないけど、子どもにとっては多くのことが初体験。

たくさんの初体験をすることが「好き」「楽しい」を見つける第一歩になるんだと思う。


■大人も肝に銘じよ、“楽しい” は待っていてもやって来ない

大人だって、楽しいことや夢中になれることを求めている。

でも「あー楽しいことないかな」「夢中になれる趣味がほしいな」なんて思いながらいつもと変わらぬ日常を過ごしていたって、いつまでも “楽しい” も "夢中" も見つからない。

あっちからはやって来ないことを認識しよう。

大人だって同じ。

"楽しい" を見つけたいなら、いろんな場所に行って、いろんな人と話して、いろんなことを初めてやってみないと。

わかるでしょ?

今まで散々いろんな経験と体験をしてきたのに見つかっていないんだから、同じ日常の延長線上にはもう出てこない。

子どもが巣立ったあとの夫婦だけの暮らしや老後の暮らしを見据えて、わたしたちアラフォーは子どもに負けじと本格的に “好き” "楽しい" を探しに向かうべきだと思うんだけど、アラフォーのみなさま、そんな夢中になれるなにか、今ありますか?

あるならば、わたしはあなたがたいそう羨ましい。

わたしも欲しい、夢中になれるほどの ”楽しい” なにか。


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