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冬戦争

ナポレオン戦争以来、200年に及ぶ中立政策を放棄したスウェーデン、ノーベル賞平和賞が軍事的中立性を失った2022年という文脈から、前稿(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/70238)までスカンジナビア2か国のNATO(北大西洋条約機構)入りを考えまし 今回はフィンランドに焦点を当ててみます。(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/70188)で触れたように、ナポレオン・ボナパルト自身がロシアとの密約で、いわば「売り渡す」ような形で、フィンランドはスウェーデンの属州からロシア帝国の支配下に入りました。

 大国間の思惑、利害調整によって祖国の運命が左右された。

 しかし、フィンランド人には「いまだかつて一度として、ロシア/ソ連に軍事的敗北を喫したことはない」という強烈な自負がある、と元在ヘルシンキ日本大使館書記官、外交官OBの北川達夫・星槎大学教授は強調します。

 フィンランドはハンガリ―やエストニア同様フン族の末裔、アジアからやって来た騎馬民族という、独立不羈の気概、プライドに満ちた、誇り高い民族です。

 前述の北川教授は、私にとっては幼馴染で2学年後輩に当たりますが、ヘルシンキもタリンも現地勤務が長く、ちょうどソ連の再末期に在ヘルシンキ勤務、ソビエト崩壊でエストニアが独立したため、タリン勤務で激動の時期を現場で過ごしました。


 現地語を駆使し、また卓越したピアニストでもあるので、各地のトップミュージシャンやVIPの歌の伴奏など、ピアノで外交を支えるという余人にできないキャリアを持っています。

 こうした私たちの生業、音楽の仕事に引き付けるなら、作曲家シベリウスの愛国的な交響詩「フィンランディア」をご存じの方も多いでしょう。

 ハンガリーのフランツ・リストやベラ・バルトークなども同様、強烈に鼻っ柱の強い国民性、私も長年フィンランドとのご縁がありますが、付き合えば付き合うほど痛感させられます。

 そんなフィンランドを、日本は従来軽視する傾向があった。

 例えば私がティーンだった頃、米ロナルド・レーガン大統領の腰巾着よろしく「日本は不沈空母となって米国の対ソ戦略を支える」と発言した中曽根康弘という元総理がいました。

 ソ連の政策を忖度しNATO入りなど一貫して控えてきたフィンランドの「親ソ政策」を指して、「ああなってはおしまい」という趣旨の発言があり、当時高校生だった私は、ひどいことを言うものだと呆れた記憶があります。

 そんな中曽根「大勲位」の90代での発言が良識派に見えるほど、2010年代の日本政府、また日本メディアの外交常識は、水準が低下しています。実例でお目にかけましょう。
マリン首相率いるフィンランド・・・

 去る5月10~12日にかけてフィンランドのサンナ・マリン首相(1985-)が来日、これにちょうどタイミングが一致してフィンランドのNATO加盟が報じられたのが、不運だったとしか言いようがないのですが・・・。

 テレビ各局とも、デスクがこういう見出しをつけるのでしょうが、実のところこれらは、国際情勢、またフィンランドの国内情勢を正確に反映した見出しになっていません。

「NATO加盟へ大転換、フィンランド マリン首相 ロシアに警戒感」(https://www.youtube.com/watch?v=VaGJ04rAoFs
「フィンランド・マリン首相がNATO加盟方針表明、ロシアの出方は?」(https://www.youtube.com/watch?v=AHm8Yswu7vY

極端なのになると「フィンランドNATO加盟申請へ、マリン首相の人物像とは」(https://www.youtube.com/watch?v=JZ7Op4n6dUs)というのまであり、不特定多数に誤解を与えないか心配です。

 フィンランドは、マリン首相の人物像で、NATO加盟決定しないと思いますよ。

 国内で注目を集め始めた「LGBT家庭で育った36歳フィンランドの美人女性首相」を強調して視聴率など取りたいのかもしれませんが、外交情勢判断で誤解を与えかねない報道となるリスクも懸念されますので、過不足なく指摘しておきたいと思います。

 みなさん、仮に

「松野官房長官が韓国の尹錫悦新大統領に祝電・・・」

「松野官房長官、プーチン大統領に警告・・・」

「フィリピンのマルコス新大統領の選挙疑惑に松野官房長官が・・・」

 といった見出しを目にされたら、どうでしょう。微妙に違和感を覚えませんか?

 仮に日本政府を代表して祝電など打つのであれば 岸田文雄・内閣総理大臣名で出すのが国家間の外交バランスというものです。そうでないと、つり合いが取れない。
日本では国政のトップを内閣総理大臣が務めます。松野官房長官はそれを補佐する役割。

 フィンランドではサウリ・ニーニスト大統領(1948-)を元首とする共和制国家(https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/finland/data.html)、閣僚経験も長い72歳のニーニスト大統領を補佐する、官房長官相当の首相に、若く有能で機転の利くサンナ・マリン氏が任用されています。

「マリン首相」がフィンランド国家を「率いて」いるわけではなく、内閣を調整し効率的な政府運営に尽力している、いわば「国家の秘書」役。
 これはアメリカでいう「Secretary of state」に近く、米国のこの役職は「国務長官」と和訳されますが、米国国務長官の役回りはむしろ「外務大臣」に近い面もあります。

現在の米国で考えるなら、アントニー・ブリンケン(1962-)氏は父親のドナルド・ブリンケン(1925-)氏はハンガリー大使、叔父のアラン・ブリンケン(1937-)氏はベルギー大使というユダヤ系外交官一族の出世頭です。
 本人も国務省欧州局を振り出しに、ビル・クリントン元大統領のスピーチライターなどを経て上院外交委員会スタッフ、民主党のディプロマティック・ブレインが「国務長官」を務めています。
 転じて米国共和党で考えれば2004年にアフロアメリカン女性初の米国国務長官に就任したコンドリーザ・ライス(1954-)氏のケースが、36歳のマリン・フィンランド「首相」と似ているかもしれません。
 ライス氏の場合はロシア外交のスペシャリストとしてスタンフォード大学准教授からブッシュ・パパ政権のスタッフに転じました。
 これに対して36歳のサンナ・マリン氏がフィンランド首相が政治家になったのは2012年のことでした。
 当時27歳、それからたった7年で首相に就任しています。マリン氏は大学院修士課程を修了後、2012年、タンペレ市議会議員初当選、翌年28歳市議会議長、翌翌年29歳で社会民主党副議長、3年後の30歳で国会議員、34歳で運輸通信大臣就任。

 その半年後、1年生議員のアンティ・リンネ前首相(1962-)の後任として選挙で選ばれ、フィンランド共和国首相に就任しています。 日本で考えたらどうですか。 27歳の新人市議会議員を翌年議長に据えますか? 30歳の1年生議員が4年目で運輸大臣、4年半で首相に当選するでしょうか?
 マリン氏は非常に有能で、ブレないステイツマンシップを持つ青年政治家です。
 そうした若者にかじ取りを託する社会慣習があることで、世界最年少の「国のリーダー」が誕生しているものであって、彼女が「率いて」NATO加盟に牽引しているわけではありません。
国民の2割が予備役
日本と全く異なるフィンランド防衛

 さて、いきなり話を振るようですが、ロシアの侵略にあえぐウクライナからの報道で、マリウポリやハルキウなど、現地に留まって戦禍を報告する「市長」や「市議会議長」の顔や姿、声をお聞きになった方も多いと思います。
 仮にいま、北海道にロシア軍が上陸してきたとしたら、各市町村の住民や政治家、議員はどのように行動するでしょう?
 逃げる人が少なくない可能性があるでしょう。どこの自治体がどうといった具体的な話はしていないし、もちろんできませんが、すべての市町村で、市長や市議会議長が空爆を受ける現地に踏みとどまって、被害を実況中継するでしょうか。
 何とも言えないと思います。
 フィンランドは人口約550万人。常備軍は3万5000人ほどですが、国民の0.6%程度、実は徴兵制が敷かれていますので、男子は1年程度の兵役を経験しており、世界有数の予備役数90万~100万人を擁します。
 これが何を意味するか?

人口550万人の国家で100万人の予備役とは、全国民の約19%が軍に編入されていることを意味します。
 つまり、小児や学生および中高齢者を除く男性が、ほぼすべて軍役と紐づけられている。フィンランド国家の真の横顔が見えてきます。もっとはっきり言うなら、予備役解除された高齢者も含め、すべての男性国民が、1300キロに及ぶ国境で隣接するロシアに対して、子供の頃から徹底した防衛意識を持つ「NATO非加盟の独立国家」。
 それがフィンランド共和国という国の国民性であり現実にほかなりません。

もし北海道にロシア軍が攻め込んで来たら・・・実際にはあり得ないでしょう。
 実際には韓国より経済規模の小さなロシアが、ウクライナ戦争でここまで疲弊して、いまさら東西2面で戦線展開など、自滅の道に一直線となりかねない。
 仮にそうした「侵攻」があっても、77年間、平和のもとで生まれ育ち、壮年を過ぎ、いまや老齢を迎えた人が大半の日本で、迎え撃つ市民はほぼ存在せず、いたとしても民兵としての組織化などは不可能。
 つまりフィンランドと日本とでは、全く戦う実情が違うし、フィンランド国民はウクライナ同様、国のため、特にロシアの蹂躙に抗って、家族を守り命を懸ける覚悟を持った市民が数十万の単位で存在している。
 そういう「隣国」フィンランドが、いまNATOに加盟しようとしているとき、ロシア軍の覚悟はどうでしょう。
 例えばどれほどの割合のロシア兵が、本当に命を賭ける覚悟をもってウクライナに攻め込んでいるでしょうか?
 捕虜となったロシア兵が、演習と騙されてウクライナに送り込まれ、申し訳なくて市民に顔向けができなかったと答えるインタビューも目にしました。誇張ではなく事実と思われます。
 フィンランドのNATO加盟は、ロシア革命の混乱の中、1917年に独立を果たしてこのかた共和国105年の歴史が、国民の総意として決定しているものです。
 国民皆兵というより「国家全軍」に近い、全国民のコンセンサスを、若いマリン首相が取りまとめているもので、決して彼女のイニシアティブで物事が動いているわけではない。
「マリン首相」の指導で「急変」するような代物では、全くありません。
 日本語マスコミの言語水準を改めて問うとともに、現在進行形で動いている国際情勢を、正確に反映する報道であるべきことを重ねて強調したいと思います。





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