自分自身を愛せない人が他人を愛することなんてできない
「自分自身を愛せない人が他人を愛することなんてできない」
その言葉をはじめて聞いたのは高校生の時。そこから哲学ははじまった。
自分の中にある嫌な部分や認めたくない部分、つまり受け入れることに強い抵抗がある部分というのは確かにあるかもしれない。
当然そこは触れられたくないものだから、暖かいコートで身をまとおうとするし、部屋の隅っこの方に隠そうとしてしまうことがある。
でもそれもこれも含めて、自己。
例えるなら、頭はいいけど走るのは遅い自分も自己だし、走るのが遅いことを克服したいからがんばってランニングする人もいれば、走るのが遅いことはともかく料理とか音楽とかに気持ちを向ける人もいたり、走るのが遅いことを人前でいつものネタにしている人もいたり。
要は置かれた環境をどうとらえてどう自分が生きるのかってことも含めて、それ全部まるっと自己。
そしてそれ全部まるっと含めて自己なんだってことを受け入れる。
自分自身を愛することって、つまりそういうことなんじゃないかな。
そしたら今度は他人にも目がいくかもしれない。
相手の人の陽の部分、陰の部分。
プラスの部分、マイナスの部分。
光の部分、影の部分。
そしてその両極端の間にある無限のグラデーション。
それ全部まるっと含めて、その人の自己。
自分の中にある嫌な部分や認めたくない部分、つまり受け入れることに強い抵抗があるときは、せっかくギューッと奥の方にしまってあったのに誰かにそこを触れられてしまうと、必死になってもっともっと奥の方へ押しこもうとしてしまうことがあって、そんなときはものすごく相手を言葉や暴力で傷つけてしまうこともあるかもしれない。
(相手のことも傷つけてしまうんだけど、そこまでして受け入れたくない部分は自己の一部だから、同時に自分自身のことも傷つけてしまう…)
「自分自身を愛せない人が他人を愛することなんてできない」
いっぱい勉強して、いっぱい経験して、いっぱい出会って、自分自身のことを受け入れていこう。
自己実現を目指そう。
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