広い世界といっても自分の世界は狭い

 「世界は広い」こう言える人に憧れた。
 人が「世界は広い」と感じるのは、自分の知らない文化や価値観の人に出会い、刺激を受ける時だと考えていた。だから、ただひたすら自分の世界の中で人との交流を増やしたり、人の多い都内を目指す選択をしている。(海外経験にはご縁がなかった)
 この考え方は間違ってはいないと思う。でもあくまで「考え方」であって「世界は広い」と「感じる」時は全く別なのだと思い返している。

#私と海

私が初めて「世界は広いんだなぁ」と「感じ」た時、目の前には海があった。
素敵なハッシュタグに釣られて🐟海との思い出を言葉にしてみよう!


小学5年生の春休み。まだなんとなく寒かった。
父の職場が愛知県の三河にある幡豆という所にある。(合併などをしてるから市とか郡とか町とかが分からない)
父のアパートは海から歩いて3分。細かいことは覚えていないが、とにかく私はその海まで一人で歩いて行ってみた。
愛知は半島に囲まれているので、波もなければ、太平洋の流木やゴミが集まってくるような、綺麗な海ではない。まして、私が行ったのは本当に地元の小さな浜で、歩いて数分でその浜辺は終わってしまう。夏でも海水浴も出来ないような所だった。

でも、
静かなまだ寒い海風が吹く浜で私だけ。波の音しか聞こえなかった。目の前にはただひたすらに、海。
灰色の海がただ静かにキラキラして、水平線が真っ直ぐ伸びていた。ただそれだけ。

「世界って広いんだなぁ」


まだ小学生の、学区しか一人で行ったことのない私は目の前に広がるこの海からどこへでも行けるのだと思った。世界中にひとつしかないこの小さな名もない浜辺は今、この瞬間、私しか見ていない景色だということがなぜかすごく誇らしかった。
そして、この海は世界中に繋がっているのだと思った。


 今でも私は「世界は広い」と感じたくて人並みに押されながら山手線に乗って会社に向かう。色々な人に出会いたくて人とたくさん関わる仕事を選んだ。
間違っていない。小学5年生時より一人でどこへでも行けるようになったし、ほとんどのことはできるようになった。
だけど、「世界は広い」と「感じる」のはあの小5の春休みだった。

今年のゴールデンウィーク、またその浜辺に10年振りに訪れた。「すごい」と私が言うと母は「あまりにも変わって無さすぎるからでしょう。」と言った。

私にとって海は狭い世界に暮らす私に「世界は広い」と教えてくれる存在。


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