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わたしは脱ぎたい。

こんにちは、咲夢です。

先日友人たちと話していて
自然と私の口から出てきたのが

「私は脱ぎたいんですっッ」

って言葉だったんです。

え?やべーやつじゃん・・・

と思われたかもしれませんw

皮だるまになっている私

社会に出ると
いろんな皮をかぶるようになりませんか?

仮面をかぶる、という
表現でもいいかもしれません。

それは人によっても場面によっても
さまざまで

・SNSでセレブのように見られたい
・稼いでいるように見られたい
・頭がよさそうに見られたい
・仕事ができるように見られたい
・センス良く見られたい

など、
あらゆるケースが考えられるでしょう。

そして1枚・・・
また1枚と皮をかぶり
それっぽく見せるのです。

それは自分を守るためでもあるし
ある種のブランディングでもあるから
決して悪いことだとは思いません。


でも、いつしか
かぶった厚い皮が
本当の自分と乖離してしまい
現在地そのものが分からなくなってしまう。

誰向けにカスタマイズされたか
よくわからない雪だるま(ならぬ皮だるま)状態になって
方向性を見失ってしまうことは
結構あるんじゃないかなと感じています。

自分自身もまさにその一人でした。

皮を脱いでいこう

「そのままでいいじゃん」
「むしろ自然体のほうがおもしろいよ」

その言葉を昔はストレートに受け取れませんでした。

え???こんなんでいいの??
キャーーー
いろいろ化けの皮が剝がれちゃうわ~~
剝がさないで・・・・お願い・・・

と思っていたけれど
そもそも皮をかぶっても
私はわたし。

中身は隠せないし、
いくら盛ってもバレるって話。

それだったら、最初から
出しちゃったほうが生きやすくない?

と思ってしまったわけです。

諦めがついたのか????
それとも、変に自信がついたのか???(謎)

脱皮したら現実が動き出した

脱皮したことによって
何か失ったものがあったのかと言われれば
何もなかったです。

昔は、
「さらけ出すこと=何かを失うこと」
だと思っていました。

でも実際は、真逆でした。

「私、本当はこうしたい!」

と声高らかに宣言したら

それ面白い企画になるね、と賛同してくれる人がいた。
人を紹介するよ、一緒にやろうよ、と言ってくれる仲間がいた。

現実が一気に動き出したんです!


ありの~ままの~~♪ってよく言うけれど
意外に自分を受け止めるのって難しい。

でも、心の底から
自分を信じて好きになると

皮をかぶらなくても
少しも寒いと感じることなく
(むしろ南国のような温かさの中で)
生きていけるんですね。

やっとあの歌の意味が
わかったような気がする。。。
(南国の解釈は違う気がするが・・w)

だから私はこれからも
どんどん脱いでいきます。
(何の宣言w)

今日も最後までお読みいただき
ありがとうございました。

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