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24歳、冬物語

10月の記憶がほんの少し綴られているだけの水色の日記帳は、かれこれ2ヶ月ほどベッドの下でうつ伏せになっている。
日記をつけよう、素敵な言葉に出会ったら書き留めておこう、という無謀な日課を、1ヶ月も私に続けさせられたのだから、私の日記帳としては大したものだと思う。もともと一週間も続けば上々、くらいにしか考えていなかったし。
とはいえ、日記をつけるのをやめたのは単なるサボり癖だけが理由ではない。

1ヶ月間、日々を言語化して改めて気づいたことは、私は正の感情よりも負の感情を抱くことの方が多いということ。いや、そうではなくて、負の感情のエネルギーが大きすぎるだけかもしれないけれども。
毎日楽しく過ごせている、と思い込んでいた私にとってそれは良くも悪くも新しい発見だった。
いいこと49、嫌なこと51の比率だなんて、なんだか惨めな大人だなあ、とMr.Childrenの歌を聞いて思っていた時代もあったけど、正直言って体感はそんな感じだ。

その51を言語化することは、その51をより凶暴化させて心をわざわざ傷つけることと同義で、それによって怒りや不安や悲しみからうまく抜け出せないことが増えた。
ありふれた日記帳でも、ただ日常を書いていくだけで気がついたら私の管理下を離れて魔物と化すのだから、やっぱり言葉というのは取り扱いが難しい。
心を占めている51を無視して、49をわざわざ書きつけてみる、なんてことも試したけれど、それはそれで自分に不誠実な気がしてなんだかダメだった。

そこからしばらく言語化することが少しだけ億劫になり、「言語化を怠るな」と人には口酸っぱく言いながら、それをしない自分からなんとなく目を逸らして過ごしていた。
今こうして久しぶりに何かを書いているのは、この冬にあったささやかな出会いと思い出たちを忘れるのはなんだか悲しい気がしたから。
というより、この思い出の片をつけるには、なるだけ早く文字にして自分から切り離さないといけないという、差し迫ったものを感じたから。
書いてみて魔物になるか、思い出として寄り添ってくれる温かい何かになるかはまだ分からないけれど、とりあえずやってみようと思う。

日記の導入にしては長すぎる前置きだが、これも魔物から自分を守るための一種の予防線だと思ってほしい。


12月16日

恋人と別れたときや、周りに気を配りすぎて自分の分がなくなってしまったとき、理不尽と戦ってへとへとになってしまったとき、そうやって負の感情が溜まると衝動的に旅行に出るという習性が私にはある。負がこびりついた日常から物理的に離れる以外の解消方法をよく知らない。
つくづく生きるのが下手だとは思う。私は当然そういう自分も含めて自分のことが大好きなので、下手じゃないよ、というフォローはいらない。誰に弁明しているかはさておき。

今回はベトナムのハノイの喧騒に、負の感情を置いてくることにした。

『Before Sunrise』という、私が愛してやまない映画がある。
列車で出会ったアメリカ人のジェシーとフランス人のセリーヌが、夜明けが来るまでとりとめない会話をしながらウィーンの街を練り歩くというロマンス映画。
夜明けがくるとジェシーとセリーヌは、半年後の12月16日にこのウィーン駅で、という再会の約束をし、映画は終わる。私はその12月16日に、この映画のような体験をした。

ハロン湾のクルーズツアーの帰りの長距離バス。
高校卒業以来英語には全く触れていない私としては、参加者やガイドとの慣れない英会話をしながらのアクティブなツアーということで、脳みそも体もとにかく疲れていた。だからバスではすぐに深い眠りについた。

サービスエリアについたので休憩する、という(聞いていなかったので定かではないがおそらくそういう旨の)アナウンスが聞こえ、目を覚ました。
「集合時間聞いてた?15分だって」
寝ぼけた顔の私に親切に教えてくれたのが、隣に座っていたユビン。
恥ずかしながら私は数字の英語表現にめっぽう弱い。寝起き頭で彼の発した「fifteen」という単語について3秒くらい考え込んでしまった私に、彼は時計の3を指差して教えてくれた。

彼は韓国人で、ベトナムには4人の幼馴染と一緒に来たようだった。
5人で固まっている異国人とわざわざ会話をするような機会はなかったため、彼とはどこかの島で写真撮影を頼まれたことを除くと初めての会話だった。

バスを降り、ベトナムにしては比較的綺麗なトイレで用を足し、鏡に映る血の気も化粧気もない頬を両手でぎゅっと挟む。強張った首と肩をぐるぐる動かしてからバスに戻ると、ちょうどユビン一行も戻ってきた。おそらく、窓側の私を先に座らせるべく寒い外で待っていてくれたのだと思う。こういう些細な優しさに気がつける人間でよかったなと思う。なんにせよ通路側の人を立たせてしまうのは申し訳なくて気まずいので、ありがたい配慮だった。

私が席につくなり、ユビンはサービスエリアで買ったと思しきチョコレートを私に差し出してきた。
ベトナム旅行初日から生理に見舞われていたせいで、無性にチョコレートの類を欲していた私にそれを断る理由はなく、ありがたくいただくことにした。
そこから市内までの道中、1時間くらいだろうか、ユビンと私はどうにも甘すぎるキットカットを食べながら、英語の教科書のような会話を繰り広げた。
仕事は何、趣味は何、この旅行の目的は、今までどの国に行ったことがある、日本のどんなところがオススメか、など、高校時代に英語の教科書を暗記するレベルで真面目に勉強しておいてよかったなあと思う1時間を過ごした。

バスを降りてユビンとお別れをして、足早にハノイの旧市街へ紛れ込む。いつも通りの1人旅へと戻り、ほっと安堵のため息をつく。


12月17日

8時半ごろに同室の誰かのアラームで目を覚ます。近所のお世辞にも清潔とは言い難い屋台で朝食をとり、フラフラと街を散策しながら残りの旅の予定を考えていたところ、ユビンから連絡が来た。

"よければ今日一緒にランチしない?"

昼食をどこでとるかは考えていなかったので、二つ返事で了承する。午後は学問にまつわるお寺に行くつもりだったのでその旨を伝えると、なんとそこにも一緒に来るというではないか。
5人での旅行なのに何も予定立てずに来たのかしら、お寺なんて興味あるのかしら、5人の旅行に私がお邪魔してしまっていいのかしら、と疑問点はいくつもあったが、とりあえず指定の集合場所に向かう。

有名なバインミーのお店で2,3分待つと、ユビンは現れた。しかし彼の周りに、昨日の御一行の姿はない。
私がもう少し真面目に勉強をしていて、IとWeの違いが分かる人間であればそんなことは予測できていたことなのだが、彼は他の4人とは別行動をして私と過ごすことにしたらしいのだ。

私に恋人でもいたらどうするつもりなんだ、と、了承した身分で勝手に面食らってしまったが、幸か不幸かそんな不都合はない。夜にスパを予約していたためその時間までなら、と、そこから半ば強制的にユビンとのデートが始まる。

しかし私の知っている"教科書英会話"のネタは昨晩のバスでおおよそ披露しきってしまったし、私の知っている韓国語はキュウリをオイということくらい。これでは半日戦えない。一体何を話せばいいのだろうか。

バインミーを食べながら彼が最初に選んだトピックは、お互いの性格の話。MBTIという、韓国で大流行し、そのまま日本にも流れ込んできたらしき性格診断の話を振られた。
韓国人の若者は全員自分のMBTIを知っていると言っても過言ではないらしい。私も自分のMBTIを知ってはいるが、血液型や星座くらい信憑性のないものならともかく、MBTIのようなある程度忠実に自分の性格に基づいている型に囚われてそこに人間を分類していく考え方はなんだか少し怖いな、と思っている。
……なんて話を英語でできるわけもなく、大人しくお互いのタイプを当てたり、学生時代と今とでは性格が変わったよね、なんて他愛もない話をしたり。

彼は韓国人なのでネイティブレベルの英語話者というわけではないが、仕事でも英語を使っている以上、特に不自由なくコミュニケーションはとれるようだ。難しい表現やスラングも使わないし、聞き取りやすいため、私としてはとても助かった。
彼は自分のことをあまり英語が流暢ではないと言っていたが、そもそも私のようなレベルでも「英語喋れるんだ!」と持て囃されるような日本人とは基準が違いすぎる。

バインミーを食べたあとは、grabという配車アプリを使いお寺に向かう。
俺が交通ルールだと言わんばかりのバイクタクシーに乗るのも旅の醍醐味だが、比較的安全な車のタクシーを選んでも安く済ませられるのは2人以上での旅の良いところだと思う。

孔子が祀られているそのお寺では、お互いの国の宗教の話や、漢字の話をした。
どうやら韓国では中国の歴史や文学は学ばないようだ。日本の歴史についてどう学ぶのか、なんて話を聞いてみても良かったのかもしれないが、
情けないことに私が日本史、特に近代史以降のことにはサッパリ疎く、日韓のデリケートな関係について話すとして、韓国人の彼に一切の誤解を与えぬ言葉選びができるとは到底思えなかったため、その話題については出さないことにした。

お寺でひとしきり祈ったあと、近くのカフェで休憩する。堪能でない英語で一生懸命メニューについて伝えてくれた可愛らしい店員さんオススメのコーヒーを注文し、席につく。
そこではお互いの趣味の話をした。私はオンラインゲームで友達と遊ぶことにプライベートのほとんどを費やしているわけだが、そのことを熱弁する私がおそらく1番嬉しそうに見えたのだろうか、彼はその話をうまく広げながら聞いてくれた。

この辺りから私はユビンに、友人と合流する目処は立っているのか、しなくていいのか、と都度都度尋ねてみたのだが、その話題を出すとなんだかはぐらかされている気がした。
彼は何度か電話をしていたが、韓国語なのでどういうやりとりをしていたのかは分からなかった。少なくともキュウリについては話していなさそうだった。

カフェを出て、街の中心部にあるホアンキエム湖へ向かう。
無数にある道中のお土産屋の1つで、ユビンが欲しがっていた本の栞を選ぶ。
どれが好きか尋ねられたためいくつか示してみたが、どうやら私と彼とでは好みが違うようで、彼には全く刺さらないようだった。あいにく私は、デカデカと地名が書かれた栞を使う感性は持ち合わせていない。
ついでに物欲も持ち合わせていない私は、特に欲しいものもなく、近日中に会う予定のある人たちの顔を思い浮かべながら、ごちゃごちゃとした店内をぼんやり眺めていた。

日曜日ということもあり、ホアンキエム湖の周りはたくさんの人で賑わっていた。
体操をする人、踊る人、走る人、喋る人、穏やかな湖を取り囲むその空間が、ハノイのどこかのんびりとした喧騒を作っているのだと、何となくそう感じた。

私とユビンはその大きな湖の周りを一周ぐるっと歩いた。もう何の話をしたのかは覚えていない。なんだか楽しかったことだけは覚えているのだが。
だんだんと冷え込む中、ベンチに座って少し休憩をする。
彼はお土産屋でいつの間に買ったらしい、私が可愛いと言った柄のマグネットをくれた。
物欲のなさすぎる私にあれこれ見せてきたのはそういうことか、と合点がいった。
そのマグネットは今回の旅で唯一、形に残るお土産となった。

知らない人と知らない街を探索する、その非現実的で不思議な時間の中にいた私は、まるでありふれた映画の登場人物にでもなったような気分だった。

一緒に観光できて楽しかった、という旨をどうにかうまく伝えたかったが、伝わっただろうか。
またいつか、日本か韓国で会おうね、なんていうテンプレートじみた会話を最後に、私たちはそれぞれ宿泊先へと戻った。

その後も何度か連絡は来ていたが、ハノイ最後の夜の私は、私が独り占めすることにした。


12月18日

帰国の日。
ようやく本来の一人旅ができる。

深夜便に備えて20時ごろに空港につく。昨日聞いた彼らのフライト時間的に、きっとこのあたりにいるだろうな、今行けば会えるだろうな、という考えはあった。
彼が私に会いたがっていることも分かっていた。

けれど、私は行かなかった。なんとなく、行かない方がいい気がしたから。それでよかったと思う。

現実は現実で、彼はジェシーではなく私もセリーヌではない。ユビンがどうだったのかは知る由もないが、異国の地でこころなしか気持ちが昂っている私でも琴線はピクリとも動かなかったし、再会の約束なんてものもしていない。
ただインスタのDMでたまに会話をする程度。強く念押しされた"Let's keep in touch"というのはどうにも苦手分野だから、少し困る。

私とユビンの思い出は、一旦ここまで。


12月23日

12月も半ばを過ぎると、いよいよ街は「今日がクリスマスですけど?」という顔をしはじめる。
そうすると私も少し気が大きくなって、「クリスマスだし」という何の意味もない枕詞を多用して衝動的な買い物なんかをしたくなる。

この日も私は「クリスマスだし」を発動させた。
買い物ではなく、なんとなく気になっていた人を飲みに誘うことに。
とはいえ、ろくに2人で話したことなんてないに等しい人をクリスマス当日に誘うような胆力のある人間ではないので、あくまでも忘年会という名目で。

彼は3つ年下の大学4年生で、どういう関係かと他人に聞かれたら、バイトの後輩という枠になるのだと思う。
ただ、当時シフトもほとんど被っておらず、私の方が後に入ったため先輩後輩という感覚もなく、さらに私はそういった微妙な距離感の人との会話が極端に下手な人間なので、先述したようにろくに会話をしたことはなかった。お互い顔だけは知っている、程度の人。

私がそのバイト先のコンビニを卒業して3年経つが、いまだにそこのバイト先で仲が良かったネパール人とベトナム人とモンゴル人とは、たまに飲みに行くような良好な関係性が継続できている。
(最近少し不穏な予感がしているが、その話はまたいつか。)
9月、例の如くその3人と日程調整をしていたとき、そのうちの1人が、その彼を誘おうと言い出した。

彼と会話をするのはそこでほぼ初めてといっても過言ではなかったし、ある程度人数のいる場だったので結局大した話はしていないが、一緒に飲み一緒に歌うという、いにしえの時代から変わっていないコミュニケーションで、ある程度距離は縮まるようだ。
それ以降、コンビニで彼と会うと、友達のバイト先に遊びに行った時のような、ほんのちょっぴり嬉しい気持ちになるようになった。

ようやく話を戻すが、12月23日、予約していたケーキをとりに行ったとき、わけのわからないニワトリの帽子とサンタのエプロンを着用した彼を見たそのとき、私の「クリスマスだし」が動き出した。

"忘年会誘われてないんですけど"
"主催してください、行きますよ"
"それはめんどくさいな、年内いつ暇なの?"

この日友人と飲みに行く予定があった私は、返事を待っている間のヤキモキだとか、断られた時のガッカリだとかのダメージが少なくて済むだろう、という後押しもあり、こんなようなLINEで彼の日程を抑え、それから例のメンツを誘うという自称極めて自然な流れで誘い出すことに成功した。

"この日シフト代われますか?"
"大丈夫です!"

というトーク履歴しかない相手を、なんの脈絡もなく自分から誘えるような柄では決してないので、やはりクリスマス効果は絶大だ。そんな唐突な誘いを受ける彼もまた、一種の幻惑にかかっていたのだろうか。なんてファンタジックに書いてみたが、思うに彼はいつ誰に誘われてもどこにでも行くような人だ。

ちなみにこの日は4年ぶりに会う友人と飲んだのだが、ついつい話が弾んで終電まで飲み、日付が変わった24日、クリスマスイブの真夜中に、乗り換えの品川駅と横浜駅であわてんぼうのサンタクロースもびっくりの走りを見せてしまった。まもなく25歳になるというのにね。


12月27日

2023年で1番の二日酔いで迎え、そのまま私を嘲笑うように通り過ぎていったクリスマスについては特筆すべきことがないので、そこから2日後、例の忘年会当日まで時を進めよう。

結局参加者は紆余曲折あって、私と彼と、ネパール人の3人。そりゃあ年末の予定なんてすぐに合わせられるはずもない。決して私の人望の問題ではない。
もし2人だったらさすがに開催していなかったと思うので、私の振り絞った勇気が報われてよかった。

ご飯を食べ酒を飲み、いつものカラオケで少しだけ歌い、翌日も仕事だというネパール人を家まで送り届けて、23時すぎ。
そこから私の家へは徒歩10分程度。普段の私なら、当然そのまま愛しの布団を抱きしめにスタコラサッサと帰っていただろう。
ただ、地元で飲むと、終電を気にしなくていいのを良いことについつい飲みすぎてしまうので、その時の私はかなりいい具合に酔いに絆されていた。

だから(という接続詞で私の以降の言動をアルコールのせいにしてしまって良いものか分からないが)、そこから1時間半くらい、彼と2人でフラフラと何もない住宅街を散歩した。徘徊という言葉の方が適切かもしれない。
あまり鮮明に覚えていないが、恋愛観だとか結婚観だとか、男女が深夜にする鉄板トークをしたように思う。
俺のこと狙ってます?と聞かれ、そうだとしたら?と笑ったり、結婚しようよ、と言い、3年考えます、とあしらわれたり、
恋人がいるわけでもなく、お互いに恋愛感情を抱いているわけではないからこそできる軽い会話を挟みながら、手を繋いだり、たまにキスをしたりして、なんでもない短い夜を過ごした。

たしかこの日は満月で、その光に照らされたうろこ雲がぷかぷかと浮いていた夜だった。

彼と私の物語は、一旦ここまで。

彼は、自分が60程度の好意を持つ女性が自分に対して100の気持ちを持っていたとして、その場合でも男側からアプローチをしないといけないことに理不尽さを覚えているらしい。100を抱いた側がアプローチをしろ、という理論のようだ。
幸い私は60で待っていても、お咎めを受けたり拗ねられたりすることのない方の性別だが、(こんなこともう言っていられない年齢になってきたが)言わんとすることはとてもよく分かる。
やはり彼はどこまでも合理的な人間だ。たかだか数日の出来事を、こうして8000字も使って書き連ねるような情緒的すぎる私とは正反対の人間だ。

彼は自分から100を抱くことはないらしい。私もそれは同じ。100を恋と呼ぶのなら、私はもう一体何年恋をしていないのだろう。
60の相手だとしても、アプローチされたら気分次第ではとりあえず付き合ってみたりもしてきた。それでも80や90を超えるような炎が灯ることはなかった。

私と彼に関して言えば、私は60、いや、正直に言うと70くらいかな、を持っているけれど、彼はどうだろう。少なくとも50以下ではないと信じたいが、こればかりは分からない。
そんな2人なので、これ以上どうにかなることは正直あり得なくて、この距離までこうやって、半ば無理やり近づくことが、私にできる最大限だったと思う。

あと2ヶ月もしたら彼は大学を卒業し、どこか遠いところに行くみたいだから、もう会うこともないだろう。
彼の中でこの夜の思い出が、悪いものになっていないといいなと祈ることしか、もう私にできることはない。するつもりもない。



24歳の冬、出会った2人との物語。
至る所に転がっている陳腐な話だとしても、いい歳した大人が、と揶揄されてもおかしくない幼稚じみた話だとしても、青臭すぎて見ていて恥ずかしくなってしまう話だとしても、それでも私は今これを書かずにはいられなかった。

『Before Sunrise』の続編である『Before Sunset』でセリーヌがこんなことを言っていた。
「若いときは人との関わり合いなんて無数にあると信じて疑わないけれど、大人になると、それはほんの限られた数しか起こり得ないことなんだって気がつくの。」
この映画に心が奪われている私は、この素敵な冬を蔑ろにしてはいけないよと言われている気がした。

セリーヌはこんなことも言っていた。
「思い出は決して終わらない。私たちが生き続けている限りはね。」
私が新しく何かを感じたり思いついたり、彼らと再会したり遭遇したりすれば、思い出はまた新しいページを開いてこちらに差し出してくる。

だから、私は一旦という言葉を選んできた。
この冬物語は、一旦ここまで。

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