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人は一人では

無性に人と会話をしたくなる時がある。心と心で語る会話。

そして、それがなぜ起こるのか不思議に思う。いつも。

そういうときに限って、自分の考えていることが分からないもので、

思考に集中することも、作業に集中することもままならず、

ただただ、海を彷徨う船のような気分になる。

人と会話をすることは、

その人がどんな人か、

これまで何をしてきて、

今何をしていて、

どんなことを考えているのか、

云わば相手のことを知ること、それ以上に、

自分という存在を認識する、そのために、

重要な意味を持っているのだと感じる。

会話を通じて、自分の像が相手に投影され、自分を認識し、

その像に対して、自分の考えを照らし合わせることで、

今の自分のカタチが浮き上がってくるような感覚。

鏡を見ながら、自分を彫り起こしていくような感覚。

こういう意味で、人は一人では生きていけないのかもしれない。

いや、生きていけないこともないのか、それはまだわからない。

そして、不安になる。

相手はどうなのか。

自分は相手を美しく映す鏡になれているのか。

分からないし、それを訊くのは野暮であり、必要のないこと。

そう直感する。

もし、なれていないとして、なら自分に何ができるのか。

結局のところ、自分は自分でしかないし、

相手の求める自分になれたところで、

それは最早、自分ではない。

自分はただ自分であればよくて、

それが自分のできる最善なのだろう。

そして、往々にして、快く会話ができる人同士は、

お互いの映す像が、お互いに求めていたカタチであるのだろう。

だから、特段何も気にすることはない。

そこに必要なのは、その人に出会い、会話をできることを、

尊く、幸せだと感じ喜ぶ、後から気づく心だけだろう。

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