1ヶ月の重み

1日が秒で過ぎる。
最近こういうことを言い過ぎである。
自分が日々を大事に過ごしていないくせに、光陰矢の如しと言い過ぎ。日々はみな平等にあるはずなのに、偉そうに。すんません。

1月も後半になり、私も歳をとった。
年々、他人と自分を比べることが減る一方、思わぬところで他人と自分を比べることが増えることもある。
30代になり、自分のことばかり考えて生きられなくなってきた。
私は同世代の友人たちよりも5年から10年人生のスピードが遅いと感じている。
みんなが20代に思い悩んできたであろうことを、今になってようやくウンウンと悩み始めている。
みんなが同じスタートラインでクラウチングスタートをしている時に、場外でポテロング食べながらウロウロしていたのかもしれない。
そりゃ遅れるわな。

多様性を大事にしようと言われ始めてからものすごいスピードであらゆることがアップデートされているものの、社会の方がその多様性になかなか順応してくれていない為、結局足踏みをしてしまっているような空気も感じる。
好きなことをして生きよう!と息巻いて生きてきたものの、なかなかそうもいかないのだなあと、日々ままならなさを痛感する。
「生きやすい社会」というものの具体を決めつけずに生きたいものだ。

さて、演劇というものもなかなかままならないものである。
一寸先は闇どころか、闇の中でわやわやともがいているイメージである。
演劇でしか表現できないものは確かにあって、その不確かな確かに魅入られて大学まで演劇学科を選んでしまった。
だけれども、演劇に輝かしい未来があるのかは全然わからない。本当にわからない。
信じて進むには、生活の中に犠牲にするものが多い。
この一過性の芸術に全てをかけていくには、自分の中で納得させていかないといけないものが多すぎる。

なのに、懲りもせずに本番はやってくる。
タイトルは「弱者の行進」です。
社会派なの?と聞かれましたが、社会派です(当社比)。
というか私的にはここ数年書いてきたもの全て社会派のつもりだったんだけども、あんまり伝わっていなかったようでウケる。はは。
今となっては、演劇で伝えたいことは社会のことしかないです。
半径5メートルで芝居を書くな。と大学時代から言われてきましたが、今本当に思う。半径5メートルで生きたくないという気力が意欲になる。

稽古をどんどこやっていっています。
客演のみなさまの協力の元、「この演出は何を言っているんだ?」と思っていても「やってみましょう!」な雰囲気で稽古ができていてありがたいです。
今回は役が多いので、こんがらがりながらやってくれている様子に申し訳なくなりつつも、心強いです。

今回は、事象を伝えることを意識し、回収をあまりしないことを目標としました。
散らばった芝居だと思いますが、ぜひその散らばりをただただ受け止めてほしいです。

役者さん紹介をやろうと思ったけど、長くなったので次回で。
稽古も学校と同じで、行くまでがマジで嫌だけど行ったら楽しい。
稽古行ってきます。

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