【朗読】【日本名婦伝③】太閤夫人/吉川英治

■太閤夫人/吉川英治
 豊臣秀吉の正妻として、波乱の生涯を送った北政所を、吉川英治が描いた好短編。
 吉川先生は、長編「新書太閤記」を残されていますが、いずれそちらも読んでみたいと思っております。
 秀吉とは、当時としてはめずらしい恋愛結婚であったようですが、実母朝日をはじめ周囲には反対され、藁と薄縁をしいただけの質素な式を挙げたそうです。
 ねねは世継ぎを産むことは出来ませんでしたが、親族や人質として預けられていた子どもたちを養育します。加藤清正、福島正則、石田三成、黒田長政、のちに豊臣政権をいろどった重要人物たちです。徳川秀忠も十二才で預かり、このとき懇切に面倒をみたことから、生涯ねねの味方となってくれました。実子はなくとも、天下のおっかさんとして、慕われたんですね。
 後年ルイス・フロイスも「関白の妻は異教徒だけれども、大変な人格者で、この人に頼めば解決できないことはない」とその著「日本史」のなかに記しています。

 物語では、信長からの手紙のくだりが出てきますが、これは史実で、非常に丁寧なもので、公式文書をあらわす「天下布武」の朱印まで捺されてます。

 北政所というのは、摂政と関白の正室の尊称なので、ねねさん以外にも北政所とよばれた女性はたくさんいるんですが、今となっては、この人の代名詞然となっています。

 尊称だけでなく、従一位の位階も叙せられていて、これは当時としては女性の最高位で、生前にあたえられた例は数例しかなく、じつに五百年ぶりのできごとでした。

 結局、夫とともに築いた豊臣家の滅亡を見守り、1624年。寛永元年になくなりました。

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